2018年2月4日日曜日

日本の「権力構造」の謎を解くウオルフレンからの抜粋


ウオルフレンのことは恥ずかしながら最近まで読んだことがありませんでした。オランダ人で8ケ国で居住しながら日本でも30年暮らしたジャーナリストです。彼はチームを作り読むべき本を選別し、数多くの政治家、学者、ジャーナリストとも対談をしており、彼の主張する日本の「権力構造の謎」についての分析は見事です。

しかも研究者としてと言うよりより自分で知ったこと、学んだことを偏見なく、ジャ―ナリストの目で適確に記しています。いちいち、誰それからの引用ということを研究論文のように書いてないことが多いのですが、単なる批判に終わらず、日本社会の質的な変換を願う気持ちが伝わります。

以下、私が読みながら感心してメモしたことをここにあげてみます。

(1)ウオルフォレンと白井聡
ウオルフレンに白井聡が対談で、長年、日本の官僚、<システム>が変わることを願い念じてきたが一向に変化のないことで疲れて見えると感想を述べていたが、そうなんだろうと思う。しかしウオルフレン、頑張ってほしいなそのままで。

『人間を幸福にしない日本というシステム』と『偽りの戦後日本』を読みました。前者はKV ウォルフレン、後者は白井聡との対談集です。並行してウォルフレンの官僚批判で世界的に読まれた『日本/権力構造の謎』上下を読みはじめています。ウォルフレンのことは後でまとめて感想を述べたいと思います。

白井聡は『永続敗戦論ー戦後日本の核心』で一躍有名になった若手の研究者で、彼と小出裕章の二人をお呼びして「原発と差別、戦後日本を再考する」というシンポジウムを一昨年持ちました。
(http://oklos-che.blogspot.jp/2015/02/blog-post_20.html)

私自身は彼がレーニンの研究者であったことに注目していたのですが、『永続敗戦論』で日本が戦後も対米従属している実態を批判していることは、大変意味があると考えています。『偽りの戦後日本』では最後にウォルフレンと共に沖縄の闘いを高く評価、期待していることが印象的でした。そうだと思いますが、私としては日本の植民地支配の清算ができていない問題や、朝鮮半島の問題に日本との関わりで言及されていないことが気になりました。

両者の日本の政治、社会、マスコミ批判は鋭く、読みやすいい対談なので、もっと広く読まれればと思います。対談の最後に白井聡が記した言葉が二人の生きる姿勢を表していると思いました。「問題の根源を見据えることだけが唯一の希望」、心したいと思います。

(2)実質的に日本をコントロールしている<システム>
ウオルフレンが 『日本/権力構造の謎 』でいう 〈システム 〉とは実質的に日本をコントロールしている官僚や経済界の管理者(アドミニストレーター)の集団を意味しているそうだが、私にはそれが全て日本国内、日本人同士だけで暗黙のうちに通じ合っている「日本教」の幹部たちのように思えてくる。


それが<システム>(体制)となって、政治から巷のありとあらゆる集団を牛耳っている、なんともグロテスクな世界ではないか。私はそこには自分を捨ててまで入ることはない、これだけは断言しておく。嫌われ者、変わり者、それは名誉ある褒めことばではないか。

(3)ウオルフレン曰く

(日本では)抽象思考はそれ自体が最終目的となりがちで、人間の関わり合い本質を見極めるのに活用されることはない。一方、社会研究は研究のための研究にとどまり、それは経験から獲得された論点とは完全に切り離されている。『日本/権力構造の謎』より

(4)ウオルフォレンの30年前の予言
30年前にすでにウオルフレンは次にように予言している。私もまたFBに投稿しながら、そのような可能性を強く感じる。


(浅間山荘にこもった連合赤軍や三島由紀夫のような)「過激な日本主義の英雄的伝統が、今も社会を不安定にする可能性をのこしている。欲求不満と緊張の両方が日本に溢れている。これらが今の後の経済問題と、国が正しい目標を失っているという喪失感のたかまりにむすびついたら、感情的で理不尽な日本主義運動に火がつくことにもなりかねない。そのための組織はすでに各種の右翼団体のあいだに存在する。そして、自分たちは反日的な世界の犠牲にされたという被害者意識と共に、“日本主本来の価値観に戻る“必要性が増大するにつれ、これらの運動は広範囲な共感をあてにできるだろう」ウオルフレン『日本/権力構造の謎』106ページ

(5)東大偏重の謎
ウオルフレン『日本/権力構造の謎』「高潔なアドミニストレータの選別」〝支配する権利”より

「日本が治外法権を規定する条約を西洋諸国とむすんだ結果、東大が正当性をうけるということに関して要の位置を得ることになった。・・外国政府は、日本が資格をそなえた司法が法に則った裁判を実施できるようにさえなれば、明治政府の深い憎しみの対象だったこれらの条項をはきするつもりだった。このため、何としても東大法学部に近代版のサムライに資格を授ける機能を与える必要があった。当初、最高位のポストを埋めるため、東大法科の卒業生は公務員試験に合格する必要がなかった。」
「東大卒業生は“頭がよい”ことはそうであるが、知的にひじょうに優れていながら別のタイプに属する多数の日本人は社会の主流から外されて永久に外辺で働くことを運命づけられる。こうして、独創的な考えを生み出す才能の多くがろうひされる。日本の支配階級は、教育があるというより、徹底的にしこまれているちいったほうがよい。これは日本の管理者(アドミニストレーター)の国際社会に対する態度やアプローチの面から見て、相当に重要な事実である。」


なるほどそいうことであったのか。日本の官僚の歴史的背景と彼らの質、日本社会の東大偏狭の背景がわかる。

(6)日本におけるコンセンサスについて
ウオルフレン 「コンセンサス神話」『日本/権力構造の謎

「“コンセンサス”という言葉は、提案や行動のコースを皆が積極的に支持することを暗に意味する。ところが、日本で”コンセンサス“と間違って呼ばれているものは、問題の当事者が当局が決定したことをひっくり返すことはないとする状況のことである。」
「”コンセンサス“達成に至るまでの過程は”根回し“と呼ばれる。根回しとは、何かを植える前に土地を準備するように、ある計画を”受け入れ“てもらうよう、関係者とあらかじめはなしあうことである。この下準備においては、西洋では許される(拒否を含む)”民主主義的な“異議をとなえることはできない。日本人は、本物の意見一致であるかのyいうにみえるが、実際にはしばしばそうでものを指して、”コンセンサス“と呼ぶようになったにである。」


この後ウオルフレンは、「おどしを通じての秩序」ということで、官僚を含め脅しが「構造的」になっていると指摘する。「おどしが日本社会では不可避でかつ、いたるところに存在する特徴となるのである」。

(7)一挙に結論!
ウオルフレン 「支配力強化に一世紀」 『日本/権力構造の謎』

「日本の<システム>を正確に評価する上で重大な妨げになるのは、・・・日本敗戦の直前までの過去とはっきり決別した新しい日本が誕生したという、今もなお非常に一般化している見方である。」
「この説は、1920年代後半から1945年までを日本歴史の逸脱と見る有力な学派によって唱えられたので、多くの人びとが容易にうけいれるところになった。この理論によれば、日本は満州事変の少し前までは歴史的必然としての“近代化”路線をたどっていたのであった。狂信的な国粋主義者(ナショナリスト)が日本を脱線させryまで、この国は議会や政党など、立派な近代民主主義社会になるための要素を全て備えていたというわけだ。」
「この見解は近年、学術研究、特にアメリカの歴史学者の研究によって覆された。彼らは日本の帝国建設の努力と国内の抑圧は、明治時代の主だった傾向から育った論理的な発展だとした。・・1945年はそれまで考えられていたような分水嶺ではなく、20世紀前半に遡る権威主義的な制度と手法が、現在の日本を形作る上で決定的な要因だったと、一部の学者が指摘したのは1980年代になってからのことであった。」
「あと知恵の利をもって、さらにもう一歩進めてこう言える。1980年代後半の日本の<システム>は、19世紀末から徐々に形成された官僚的および政治的な勢力の統合強化の産物であり、戦争によって促進された統合物である。」

ウオルフレンは敗戦後の日本の変化を認め認識した上で、「しかしながら、日本では権力がどのように行使されるかという本書のテーマに沿って考えると、変化より継続性の方が重大であるようだ。支配エリートの動機が継続されているだけでなく、彼らが作った制度も継続されているのである。」と一挙に本書上下巻の結論に向かう。私がウオルフレンを詳しく紹介しようとしてきた意図も読者は理解されることでしょう。


「日本は戦災を受けた街々の瓦礫から不死身のように身を起こし、先輩格の工業国に挑戦して世界第二の経済国になった。しかし、この再生の主力になったのは、米占領軍に指導された“デモクラシー”による経済的、政治的再編制ではなく、日本の社会、政治的世界と一度は捨てた戦争中の“封建的”な慣行だったのである。」

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