2017年9月2日土曜日

日本で公開されていない、もう一つの朝鮮人「殺人」ー原爆投下の現場で何が起こったのか?

関東大震災時の朝鮮人虐殺は歴史的な事実。それを正面から受けとめるべきなのに、小池東京都知事は地震時の事故として一般化したがっているようです。日本のマスコミと研究者や平和運動家の間でも問題にされていない逸話を問題提起として紹介します。
これは韓国の韓洪九という歴史学者から直接確認した内容ですし、ハプチョンでも同じ話を聞きました。日本では広島の朝鮮学校が聞き取り調査して出版した本があるそうです(私は直接確認していませんが、横国の加藤千香子教授が横国の図書館で確認されたそうです。広島県朝鮮人被爆者協議会編『白いチョゴリの被爆者』.)。朝日や東京新聞の記者にも8月6日前に取材をして報道してほしいと2年前から依頼してきましたが、まだ実現されていません。
1945年の8月6日の原爆投下によって、長崎と合わせると70万人が被爆し、その1割の7万人の朝鮮人が被爆し、うち4万人が死亡しました。その高い死亡率に関する報道は日本ではまだどこでもなされていません。それは朝鮮人被爆者が水や食べ物をほしいと朝鮮語でつぶやいたら水も食べ物も与えられず、病院にも連れていかれなかったからです。これは朝鮮人差別の上での「見殺し」です。「見殺し」は『殺人」ではないのですか?

私はルカによる福音書にある、「よきサマリア人のたとえ」を思いだします(ルカ:10章25-37)。これは律法の専門家がイエスを試そうとして、どうしたら永遠の命を受け継ぐことができるのかと質問した時にイエスが答えた喩え話です。あくまでも理屈で自分を正当化しようとする聖書学者は、慣例のように言われる、「あなた美神である主を愛し」、「隣人を自分のように愛」することが立法に書かれているとこたえるのですが、ではそれを実行しないさいと言うイエスに、「私の隣人とは誰か」と訊きます。そこでこの「よきサマリア人の喩え」が語られるのです。

半殺しの目にあった旅人を手厚く扱い救ったのは、誰か、宗教家か、ユダヤ人の差別の対象であったサマリア人か。半殺しの目にあって苦しむ旅人の隣人になったのは、実際にその旅人を助けた人です、と答える聖書学者に、それでは「行って、あなたも同じようにしなさい。」とイエスは言います。これは「良きサマリア人のようになる」説教として知られていますが、そんなきれいごとをイエスは語っていません。良き隣人になるというのは、実際に苦しむ人を救う業を行うことで、そこでは民族や宗教の規則や常識で自分の価値観、生き方を決めていたことはすべて破られなければならないのです。ナショナリズムや宗教の枠にとどまっている限り、半殺しの目にあっている人の隣人にはなれない、「永遠の命」は得られない、すなわち、人が人して立つ、人間らしく生きるということはできないということではないでしょうか。

広島や長崎での原爆投下があったとき、そこで多くの半殺しの目に遭った人がごろごろといました。その中で痛いと叫び、水や食べるものをほしいと漏らした被ばく者が、その語る言葉で朝鮮人とわかると、半殺しの「旅人」を多くの同じ被爆者や救助に向かった日本人は、見殺しにしました。朝鮮人だからです。これは人間らしく生きる、ということの対局にある生き方です。どうしてそういうことになったのか、それは日本の繁栄のために、富国強兵のために、天皇のために生きることを求められていた日本人にとっては、朝鮮人は同じ人間ではなく見えたからでしょう。関東大震災の朝鮮人虐殺を思い出してください。そのときも、15円50銭と言わせ、正しく、日本人のように発音できない者が朝鮮人だとして、虐殺していったのです。それと同じことが原爆投下の現場でも行われていました。

これは関東大震災の朝鮮人虐殺から22年後のことで、日本の植民地支配の中で起こった「事件」です。植民地支配は支配された側の人間を傷つけ殺すだけでなく、支配する側の人間性を歪めてきたことをしっかりと直視すべきではないでしょうか。広島、長崎は被害者であると同時に、加害者であったことをしっかりと日本人は見つめ直さないといけないのではないでしょうか。
1)朝鮮人被爆者が存在する理由、これは日本の植民地支配に責任があること。日本政府はいかなる謝罪もしていない。原爆の被害者は広島、長崎の日本人だけでない。そこに1割もの朝鮮人被爆者がいたこと、そして現場で放置され、多くの者が死んでいった事実は公にされていない。謝罪もない。
2)アメリカの原爆投下そのものは非人道的で違法であり<下田判決参照:原爆判決(下田事件、下田判決)
全文 http://www.geocities.jp/bluemilesjp/genbaku.html
下田事件判決の到達点とその現代的意義 
http://www.hankaku-j.org/data/jalana/oslo_201305_005.html >、いかなる理由であっても正当化されてはいけないこと。アメリカ政府はいかなる謝罪もせず、賠償金も支払っていない。むしろ日本の降伏を早め、米兵の命を救ったと原爆投下を正当化してきた。これら原爆投下を正当化する戦後の歴史観を根底から覆す必要があるのではないか。
3)2017年8月3日、韓国のヒロシマと言われるハプチョン(狭川)で被ばく者が立ち上がり26名の弁護士のもと、アメリカ政府、原爆製造社、韓国政府を相手取って調停申請をし、原爆投下の謝罪と賠償金の支払いを求めた。この調停の結果を受けて、彼らはアメリカ政府を被告とする裁判をアメリカですることになる。私たちはこの裁判において日韓の被爆者が原告になることを願っている。そして世界の平和を求める個人、市民団体がこの裁判闘争を支援するようになることを願っている。平和を求める市民による国際連帯を輪を広げていこうではないか。                   

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