2017年8月18日金曜日

命をかけて闘ってきた金信明(キム・シンミョン)を救済する募金活動を日本ではじめます

在日の金信明(キム・シンミョン)さんを助けてください。

去る84日‐6日、韓国のハプチョン(陜川)で開かれた韓国人被爆者追悼行事と慰霊祭、国際フォーラムのために、福岡在住の金信明さんは10人の日本の仲間と共に、韓国に渡りました。5日の国際フォーラムの講演が始まる直前、仲間と朝食を共にしていたときに、下咽頭がん手術で狭くなっている気道に誤嚥(ごえん)によって異物が詰まり、心臓発作から鼓動停止にいたり陜川病院の緊急治療室で応急手当をうけ、慶尚大学病院に救急車で移送されて集中治療を受けました。救急車内で心臓マッサージによって鼓動は回復しましたが、脳損傷のために意識が戻らず、現在ソウルのGreen Hospital(緑の病院)で治療中です。

金信明さん(64歳)の父親(金仁義)は、朝鮮・元山で生まれ育ちましたが、日本が朝鮮を植民地支配していた時代に、非常に貧しい生活を余儀なくされ、学問をしたいと職をもとめて日本に渡り、日本人女性と家庭をもちました。金信明さんは彼らの間に生まれた在日朝鮮人2世です。彼は20歳になるまで、自分の父親が朝鮮人であることを知らされずに育ちました。都立定時制高校の教師として働いていた40歳のときに、「松澤信明」という日本名ではなく、金信明(キム・シンミョン)という韓国名を名のり、公私にわたって韓国名で生きることを決意しました。

金信明さんは公立学校などの公式行事で義務化された日本の国歌である「君が代」斉唱が強要されることに反対する裁判に参加しました。安倍首相靖國参参拝と安保法制は違憲であるとする裁判にも関わってきました。2011311日福島事故発生後、東京から福岡に避難し、東電に賠償責任を求めるとともに、原子力発電所メーカー(日立、東芝、米GE社)の製造責任を問う裁判に積極的に参加してきました。

彼が参加して結成した日韓反核平和連帯は、201610月に「福岡宣言」を通じて明らかにしたように、広島、長崎で被爆し、陜川(ハプチョン)に移住した多くの韓国人被害者たちが米国政府とデュポン、ロッキード・マーティン、ボーイング社など原爆投下に関与した米国企業を相手に訴訟するのを推進し、支援する活動を開始しました。

金信明さんを日本に移送するには、専門医師の同行をはじめとするさまざまな法的・医学的手続きを必要としますが、大学病院ではそれらの手続きに対応できず、韓国の友人たちのつてで、814日にソウルの「緑の病院」に移されました。幸いなことに、病院長のキム・ボング院長は金信明さんの社会的な貢献に深い理解を示されて診療費用なしで、しばらく治療を続けてくださることを約束してくださいました。事故当日、日本から急きょ正子夫人と娘さんが韓国に来られ、信明さんの傍らに寄り添っておられます。
 大学病院では、日本の国民健康保険の適用ができず、3200万ウォン(日本円で約320万円)の診療費が請求され、今後日本への移送には1500万ウォン(約150万円)がかかり、さらに日本での治療費も必要になってきます。韓国では、釜山で妻の甲状腺がんは古里原発の責任という判決を勝ち取ったイ・ジンソプさんや被爆者支援の活動を長年されているカン・ジェスクさん、それに私たちの仲間が金信明さんの救済のために多大なる貢献をしてくださいました。その友情とご厚意に心からの感謝を申し上げるとともに、金信明さんを模範として反核平和を求める日韓の連帯運動をさらに進め、アジアの平和を実現させていく所存です。

既に韓国では、新聞記事などによってこの事故が報道され、韓国の仲間たちによって募金活動が始められました。私たちは日本においても早急に金信明救済募金を開始します。金信明さんの平和活動を覚え、疾病の快復を願いつつ、みなさまの祈りと応援と資金的な援助を差し伸べてくださればさいわいです。

2017818日

呼びかけ人:
日韓/韓日反核平和連帯:日本側代表 木村公一牧師、共同事務局長 崔勝久
ハプチョンでの国際フォーラムの参加者:吾郷健二、吾郷成子、野上勇次、
矢野真由美、原豊典、寺島栄宏、田上真知子、真鍋祐子、纐纈厚

金融機関:ゆうちょ銀行
● ゆうちょ銀行→ゆうちょ銀行に振り込む場合
記号:17450、 番号:87768601、 名前:ニッカンハンカクヘイワレンタイ

● 他金融機関→ゆうちょ銀行に振込む場合
店名:七四八(ナナヨンハチ)、店番:748、普通預金、口座番号:8776860、名前:ニッカンハンカクヘイワレンタイ

連絡先:木村公一 電話:080-6410-3311  Mail: kimurakoichi@gmail.com
    崔勝久  電話:090-4067-9352  Mail: che.kwsk@gmail.com

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       8月5日、ハプチョンで倒れた、在日の金信明に学ぶ

               日韓/韓日反核平和連帯 事務局長 崔勝久

 8月5日、韓国の広島と呼ばれるハプチョンで金信明が倒れた。下咽頭癌の手術で狭くなっている気道に異物がつまり、20分間の心臓停止。意識は戻らず、現在ソウルの緑病院で治療を受けている。どうして日本国籍をもつ、元公立高校の教師であった金信明が40歳になって公私にわたり日本名から韓国名を名乗り始めたのか、どうして金信明はこの日、ハプチョンにいたのか。

1945年8月6日、この日アメリカ政府は広島に原爆を投下した。アメリカ政府は日本がもう闘う能力もなく降伏しようとしていることを知りながら、戦後の核兵器による世界支配のために敢えて非人道的で、違法な原爆投下をした。日本の天皇は国体護持を理由にいたずらに戦争終結を遅らせ、そして8月9日に2発目の原爆が長崎に。そこでも日本の民間人と共に、軍事施設で働く多くの韓国人が被爆した。広島・長崎での被爆者総数は70万人、そのうち韓国人は7万人で4万人が死亡した。生き残った被爆者の多くは貧しいハプチョン出身者であった。ハプチョンでは現在に至るも被爆者2世、3世が遺伝による疾病、そして差別に苦しんでいる。韓国政府による法的な支援ははなく、日本政府も韓国人被爆者への謝罪、補償はない。

韓国人被爆者の高い死亡率は、母国語を話す韓国人被爆者は水も食べ物も与えられず、病院にも運ばれなかったからである。植民地主義は支配される側の人間を抑圧し傷つけ、同時に支配する側の人間性を歪める。

第二次世界大戦、日本は中国に負けアメリカに降伏した(纐纈厚氏の国際フォーラムでの講演より)。しかしアメリカの原爆投下で日本が降伏したのではない。原爆投下によってアメリカ兵が救われ、韓国が解放されたのではない。このアメリカの原爆投下を正当化する歴史認識は根底から覆されなければならない。原爆投下を仕方がないものとする歴史認識は、原発を肯定する考えと通底する。

金信明の父は元山出身で貧困の中で生きたが日本で学びたいと願い一人日本に渡り、朝鮮人差別の中で生きるために出自を隠し電気会社を起こして、日本女性と結婚し子供4人を育てた。金信明が20歳まで父親は朝鮮人であるということを知らなかった所以である。しかし定時制(夜間)高校で生徒たちと切磋琢磨しながら、いかなる差別にも負けない教育実践に励んできた彼は、40歳になって「コペルニクス的」(君が代裁判陳述書より)転回によって韓国名で生きる決心をする。それを誰よりも喜んだのは、彼の父親であった。

しかし金信明は「民族回帰」にとどまったわけではない。ナショナリズムと国民国家の枠を突き抜け、社会の歪みを直視し、人間らしく生きる道を歩み始めた。日本のナショナリズムの象徴とも言うべき「君が代」の強要に反対する裁判闘争に関わり、安倍首相の靖國参拝違憲訴訟や安保法案反対の運動にも積極的に参加してきた。

そして2011年3月11日、福島の原発事故を目撃して彼ら家族は九州の福岡に避難し、その後、原告として福島事故を起こした原発メーカー(日立、東芝、米GE社)の責任を問う裁判に関わり、日韓/韓日反核平和連帯の国際的な運動の中心メンバーとして活躍してきた。金信明は、韓国人被爆者が原爆投下をした米政府の責任を問う裁判をはじめるのを知り、支援したいと反核平和の闘いのためにハプチョンでの韓国人被爆者の慰霊祭と国際フォーラム参加のために訪韓し倒れた。


私たちは金信明の生き方から学び、彼とともに、核兵器と核発電(原発)を撤廃しようと立上り、戦争がなく差別・抑圧のない社会を目指す、「平和をつくりだす者」(マタイ5章9節)となることを誓う。

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