2017年6月23日金曜日

歴史実践としての「在日による戦後史再考」ーー教室における「歴史」とは何であるのかーー加藤千香子(横浜国立大学 日本近現代史教授)

(西川長夫ほか編『戦後史再考』平凡社、2014年、50頁)
                                 
1.「在日」ゲスト講義のねらい
 本論では、「差別」にかかわる歴史教育実践の試みとして、横浜国立大学で行った在日朝鮮人二世のゲスト講師による授業「『在日』による戦後史再考」を紹介したい。
 この授業を行った講義科目は、教養教育「日本近現代史」(2016年度秋学期、月曜3限)で、対象は全学部の14年、受講登録者は189名(経済学部29名、経営学部43名、教育人間科学部36名、理工学部81名)である。まず、この講義科目についての私の意図を述べておきたい。シラバスの「授業の目的」では、以下のように書いていた。

   歴史を学ぶということは、単に過去にあった事実を知る・覚えるというだけでなく、まさに私たちが生きている現在との「対話」、すなわち現代という時代とはいかなる時代なのかを考え未来を構想していくことです。本講義では、日本の近現代を対象にしながら歴史に向き合う方法を学びます。そこでは、現在の私たちが自明としている日本のシステム、身につけている生活習慣や思考様式が、日本近現代の国民国家形成・展開過程において生じた問題と深くかかわるものであることを知るとともに、それらの問題点に気付き、見直していくことを目指します。視野に入れるのは明治維新以降における日本の国民国家形成過程ですが、特に戦後における国民国家再編の過程に注目します。従来の日本史では外されがちであった、植民地、女性、在日外国人などの視点から日本の歴史を見ることを重視します。

   重視したのは、次の2点である。まず「歴史」を、「現代」を考え「未来」を構想するために不可欠なことととらえ、自明としている今の日本(さらには世界)のありようを見直すこと。もう一つは、それを考えるための視座を、従来の「日本史」の枠組みから外されたり、周辺的な問題として扱われたりした側に置く、ということである。
   テキストとして、西川長夫・大野光明・番匠健一編著『戦後史再考―「歴史の裂け目」をとらえる』(平凡社、2014年)を指定した。同書の意図はカバーの次の文章に端的に表れている。「<国民の歴史>から排除されてきた人々の歴史、忘れられてきた出来事―「歴史の裂け目」に光をあてることによって、<国民の歴史>が、何を隠蔽し、何を忘却してきたかをあらためて問い直す」。私も執筆・編集に加わったが、新たな(日本)現代史の方法に対する問題提起でもある本の主旨を大学の授業で実践したい、というねらいもあった。

   今回取り上げるのは、この授業の第9講「『在日』による戦後史再考」で、テキスト『戦後史再考』の第11章「日立就職差別裁判闘争後の歩み」と第13章「原発体制と多文化共生」の執筆者である朴鐘碩(ぱくちょんそく)さんと(ちぇ)(すん)()さんをゲスト講師とした授業である。在日朝鮮人二世であるゲストの二人は、「<国民の歴史>から排除されてきた人々」の側に位置するが、同時に、1970年代の在日朝鮮人問題が語られる際には必ず言及される「日立就職差別裁判闘争」の原告と支援運動のリーダーという差別反対闘争という歴史の当事者でもある。講義は、歴史的出来事の当事者である「在日」二世の二人が、戦後日本社会の中での自身の歩みについて「差別」との闘いに焦点をあわせて語る、というものである。

では、「差別」と闘った当事者の語りを現代の学生が聞いて共に考える、ということはどういうことなのだろうか? 歴史の授業において、ある歴史的出来事について、講師が第三者的な立場から客観性を標榜してそれを受講生に解説する、というのは通常の講義の方法である。一方、出来事の渦中にあった当事者による証言を使って、単なる解説では足りない部分を補ったり、生々しい現実として実感させようとしたりすることもある。しかし、ここでは、本授業で当事者の二人に講義を託した意図はそれにとどまらない、ということをあえて強調しておきたい。それは、「日本人」である「われわれ」が「彼ら」についての知見を増やし、他者への理解を深めるというだけのものにしてしまってはならない、と考える点である。言い換えれば、「在日」である証言者を、日本社会のマジョリティである「日本人」の単なる対象者、インフォーマント(情報提供者)としての位置に置いてしまってはいけないのではないか、ということである。

戦後日本社会における「在日」の位置を考えるならば、「日本」という国民国家の内部にありながら、<(日本)国民>とは明確に区別され、<国民>の周縁部におかれてきた存在であったことは言うまでもない。戦後史のなかで、「在日」は、国家が保障する政治的・社会的権利が付与されないという意味で「見えない人びと」とされ、また近年では逆に、<国民>がもたない「特権」をもち、<国民>に脅威を与えかねない不穏な存在として表象され、ヘイトスピーチにさらされている。そう考えるならば、「在日」が自身の歩みを語るということ自体、<国民の歴史>に対する強烈なアンチテーゼになるだろう。

同時に、そうした<国民>の周縁を生きるということは、当事者にとって、「日本」という国民国家の排除と包摂の論理の体験を意味するはずである。重要なのは、そうした位置から見えてくるものである。戦後日本社会が何を隠蔽・忘却し、排除してきたのか、<国民>を自明の前提とし「平和と民主主義」という言葉で語られる「(日本)戦後史」の「再考」が可能となろう。歴史教育実践として見るならば、<国民>という一体感を高めたり優越意識をもたせたりするための<国民の歴史>とは異なる、新しい<歴史〉の実践の試みになるのではないか、という期待もあった。
だが、はたしてそれが思惑通りにいったのか、受講生にとってはどのように受けとめられたのか、以下で検証していきたい。

2.講義の概要 
 ゲスト講師の講義に入る前に、まず加藤より「戦後日本と在日朝鮮人」についておさえておきたいことを話した。要点は、敗戦により日本が植民地を喪失するなかで、日本内地に住んでいた旧植民地に出自をもつ朝鮮人や台湾人は、日本国籍を剥奪され、外国人として管理対象となり、日本に住みながらも日本社会においては「見えない人」になっていたこと、在日朝鮮人の総数は1960-70年代には約60万人にのぼっていたが、そのなかには、戦後日本生まれの在日朝鮮人2世も多かったこと、などである。

  スライド「民族差別との闘い―日立就職差別糾弾」
次に、ゲストの二人が当事者であった197074年の「日立就職差別裁判闘争」について、当時の新聞記事を配布して紹介するとともに、1975年当時に制作されたスライド「民族差別との闘い――日立就職差別糾弾」(企画・制作:民族差別と闘う連絡協議会、20分)を上映した。

スライドは、日立闘争を闘った支援者の手でつくられ、運動の意義を伝えるものである。朴の生い立ちにはじまり、ナレーションでは「日本名の新井鐘二(あらい・しょうじ)として育てられ本名の読み方さえ知ら」ず、「正しい在日朝鮮人としての民族的自覚を持つことなく自分を隠していた」朴が、採用試験合格後に採用取り消しをした日立を相手どって裁判を提訴するに至ったことが述べられる。朴の支援には、日本人の学生たちとともに、「〔朴君の事件には〕民族の歴史と日本社会の根深い差別の現実が反映されている」ととらえた在日朝鮮人青年があらわれて結成された「朴君を囲む会」が、運動の中心を担ったこと、裁判で問われたのは、日本社会に根深く存在する「民族差別」であったことが述べられる。そして、3年半にわたる裁判の経過と、最終判決で、朴の解雇は日立の「民族差別」によるものであるとの原告側の主張が認められ、全面的に原告である朴側の勝利に至ったこと、さらに裁判だけにとどまらず、「朴君を囲む会」と日立との直接交渉によって、今後民族差別を行わないという確認書が交わされたことが語られる。だが、その事件の後も、朴のもとには「日本は日本人のものだ、朝鮮人は朝鮮に帰れ!」といった匿名の投書が届いており、差別との闘いは今後も続くであろう、と結ばれる。

このスライドの視聴後、受講生に朴さんと崔さんを紹介して、2人に講義を託した。その際、「日立闘争の当事者である朴鐘碩さんと崔勝久さんは、その後どのように生き、何を考えてきたのか、お話ししいただく」と今回の講義の課題を提示した。すなわち、日立闘争自体ではなく、闘争の「その後」さらに「現在」を主題としてご自身の生き方や考え方を語ってもらう、ということである。2人の講義の概要について、以下、要約をしておきたい。

  朴鐘碩さん講義「日立就職差別裁判闘争後の歩み」
裁判勝利後に入社するか否かの議論もあったが、在日朝鮮人が日本の民間企業に入ること自体が当たり前でないという状況の中で入社することの重要性を考えて日立に入った。入社してからはコンピューターのソフトウェアの開発に従事した。日立は「民族差別をしない職場環境」、「本名を名乗って働ける職場を作る」ことを約束したが、実際には人権や差別のことなど言えない雰囲気だった。当初5年間、仕事を覚えることに神経をつかう一方で、「差別や人権(問題)と闘う」ことをどうすればやっていけるのか、非常に悩んだ。

5年後、どうも職場はおかしいと思うようになった。職場では人権や差別について話ができる状況ではない。日立製作所には組合があるが、経営者と労働組合がシナリオを作り結論を労働者に押し付ける。5年目に我慢出来なくなり、人権や差別のことを職場の会議で言おうと決断した。実は私はこういう経過で日立に入った、と職場の人たちに話した。目の前が真っ暗になって何も見えなくなった。そのことがあって後、胃潰瘍と診断され入院となった。それから開き直り、職場集会でモノを言うことをはじめた。

民族差別の問題も、労働者にモノを言わせないことが民族差別につながっているということに気がついた。組合の役員選挙にも立候補したが、会社と組合が結託して役員を決める中でそれを無視して立候補することは勇気が必要だった。おかしいと思ってもおかしいと言わない、そういう職場環境こそが民族差別を作り出すということが見えてきた。
日立製作所は、従業員が約33千で関連会社を含めると323万人、家族を含めると日本の人口の約1%が相当する。その日立製作所は、日本が朝鮮半島を植民地にした1910年に創業した。日立の歴史は、朝鮮半島の植民地政策が背後にある。それと無関係で今日の日立があるわけではない。

私が日立に25年勤めた時に自分の歩みを論文にまとめ、朝日新聞が募集した戦後50年の記念論文に応募した。会社は驚いて論文を取り戻すように迫ったが、結局会社が折れたということがあった。その時に日立は会社行事での日の丸の掲揚もやめることとなった。

会社経営者幹部と組合幹部が話し合う春闘の交渉の場に行って、組合員の意見が反映されないことはおかしい、と言ったこともある。
日立の裁判から40年後の201111月に定年退職した。2011年は、東日本大震災、福島原発事故が起こった年。日立は、GE・東芝とともに福島第1原発を作ったメーカーの一つである。日立は日本の原発の半分近くを作っている。事故の収束状況は全く先が見えず、染水が垂れ流され、多くの人が避難させられているといったことがあるにもかかわらず、日立・東芝の社長は、相変わらず原発を作り輸出すると平気で言っている。私は日立の社長と会長宛に、福島の人たちへの謝罪と原発事業からの撤退の要望書を会社に送った。ほとんどの日立の労働者は、福島原発の事故が起こってもそれについて語らない。そういう労働者に沈黙させる状況を、私は「企業内植民地」だと考えている。

  崔勝久さん講義「日立闘争のその後と原発体制との闘い」
日本は戦後70年どういう社会だったのか? 皆さんは「平和と民主主義の社会」と習ってきたと思う。ところが、我々(「在日」)の視線から見た場合、本当にそう言えるのかと思う。社会の実態は、あくまでもそこに住む人がどのように生きざるをえないかがわからないと見えてこない。これは沖縄の問題も一緒。

日立闘争の後に我々が一番力を入れたのは地域活動で、桜本の教会で保育園をはじめた。日本人の子どもも朝鮮人の子どもも一緒に入れ、朝鮮人は朝鮮の名前で保育園に入るという方針を決めた。そういう実践を「民族差別と闘う地域活動」と位置づけて言ってきた。もう一つは、「国籍条項」の問題で、日本人だけとしている法律があっても、朝鮮人の人権からみて「おかしいものはおかしい」という日立闘争の次の在日の闘いを地域でやってきた。川崎の地域ではじめたことが全国的に広がっていって、最終的には法律が変わった(国籍条項撤廃)という歴史が、第二の日立闘争としてある。
3.11を迎えて分かったのは、「日本人だろうと朝鮮人だろうと、民族や国籍に関係なく、事故があれば一緒に死ぬ」という事実。SNSで「国籍・民族にかかわりなく、協働して地域社会を変えていこう!」というメッセージを発信した。しかしそれに対する圧倒的な反応は「クソ朝鮮人、日本から出ていけ!」だった。

我々の運動は、「国籍・民族を越えて協働してこの社会を変えていこう」というもの。まず原発メーカー訴訟をはじめた。日本には原発メーカーは責任をとらないという法律がある(原子力損害賠償法)が、我々には川崎の経験――法律よりも人権の方が尊重される――があるので、自信をもってメーカーの責任を問う裁判をはじめた。39ヶ国、4000名の原告が集まったが、そのうち2500名が外国人という裁判は、日本の裁判史上ない。第1審は負けて、今は第2審、控訴裁に行っている。原発メーカーに責任がないという法律はおかしい、という点とともに、原発をつくり輸出することは憲法に反しているという主張である。

私は韓国の古里(こり)原発訴訟で勝利したイ・ジンソプさんとともに、アメリカ・カナダをまわってきた。アメリカでは、福島での「トモダチ作戦」で被曝したロナルド・レーガン号乗組員が起こしたメーカーを相手取った裁判がある。アメリカでその弁護士に会った時に、我々の経験を話し、その裁判をどうして起こすことができたのかについて、次のように言った。「私は在日韓国人だから」だと。法律があっても法律よりも人権が大切だということを確信しているから裁判ができたと言ったが、大きな拍手が起こった。

台湾では「脱原発宣言」が出された。いま同じことを日本や韓国でやらなければいけないと思っている。台湾のように脱原発宣言を一緒にやろうという働きかけを、日韓/韓日反核平和連帯運動として進めている。韓国では、大きなデモが6週間にわたって行われているが、こういうことは誰も想像できなかった。そうした韓国の民衆と連帯したいと考えている。我々の国際連帯運動のスタートは何か? それは日立闘争にある。

3.受講生のコメントから
 受講生には授業開始時にコメント用紙を配布し、それに自由に記載してもらい、授業後に回収した。コメントは記名式である。A6版のコメント用紙の半分以上の分量を書いたものが全体の2/3以上あり、中には表だけでなく裏にも記載されているものもあった。その一方で無記載も数枚あった。

  当事者による語り
まず多くのコメントに表れていたのは、歴史的出来事の当事者である朴さんと崔さんの話を直に聞いたことに対しての率直な感想である。「日立の就職差別裁判は高校の教科書にも載っていた出来事であり、今日まで忘れずに覚えていました。この裁判の当事者の話を聞くことができるとは思ってもいませんでした」、「今回、実際に差別に遭った人の話を聴き、ビデオの数倍リアルでおもしろかった。差別を受けた過去から現在までの歩みを学ぶのは、過去の一部を収録したビデオではなく、常に更新されていくという点で、人の話を聴くというのが一番良いと思った」、「今回の授業はとても大きなものでした」、「渦中のお方に直接聞く話はやはりとても興味深いです」など。

「在日」の当事者からの講義という点でとくに意味があった、ということを書いているものもある。「在日の方から見た戦後についての見方など、今までの見方とは違う面で戦後についての考え方を学ぶことができた有意義な時間でした」、「在日の人がどんなことを思っているのかを知ったり、在日の方と触れあう機会を作ったうえで、改めて歴史について学ぶ必要があると思いました」。ただし、これらの感想においては、「在日」は、あくまでも自分とは違う特別な人たちだということが前提となっており、普段は自分が接することのない人から直接話を聞いたことに意味があった、とする意見であるともみられる。

強い印象を受けたことが表れている感想が多かったが、それは、自身の歩みや信念を受講生に向けてストレートに熱く語りかける二人の姿のもつインパクトの影響も大きかったといえる。「お二人ともものすごい熱量でした」と圧倒されたことを書いている感想もある。また、「自分の中で確信があることを信じて、初めから不可能だといってあきらめずに行動することなんてなかなかできないし、とてもかっこいいと思いました」、「お二人の強く熱い気持ちを見習いたいと思いました。私もお二人のような真っすぐな生き方をしたいと思います」、「二人の意見を聞いてとても心を動かされ、〔二人の〕心からの話しで自分が考えていたことは浅はかだったなと感じました」など、自分の生き方や考え方を見直したという感想もあった。

このように歴史の当事者、差別の当事者の語りかけは受講生の多くに届き、少なからずインパクトを与えたことは確かといえよう。だが、問題は、そのうえで受講生自身が、日本社会に根付く「差別」についての思考を深めることができたのか、ということである。講義はあくまでも差別を受けてきた「在日」によるものであった。そこで2人が問題とした「差別」にかかわる問題を、他人事ではなく自分たち自身が負うべき課題としてどのように考えることができたのか、次にその点を見ていこう。

  「差別は日本にない」と思っていた
今回のコメントに目を通して、驚くとともに認識を変えなければいけないと思ったの
は、かなりの数の学生が、現在の自分や日本社会と「差別」とをつなげて考えていなかったことである。日本に差別があるとは思っていなかった、この講義を聞いてはじめて現実の日本にあることだとわかった、という素直な感想がかなりみられた。

ある学生は次のように書く。「世界史の教科書で見る“黒人差別”などが『差別』という言葉を聞いた時に最初に浮かぶ。日本史をやってこなかったせいだろうか、日本と『差別』という言葉があまり頭でつながらなかった。しかし現実は全く違っていたことが今日はっきりと分かった」。この学生にとって「差別」とは、世界史の授業で習う「黒人差別」だったのである。

また、次のような感想がある。「日本は差別の少ない国だと最近まで思っていましたが、今日のお二人の話や最近耳にするヘイトスピーチという単語から、戦前の植民地支配から続く根強くそして日本人にとって分かりにくく残っているのだと感じた」、「このような話を聞いて、差別と無縁の生活を送っていると思っていたが、実はとても身近で存在しているのだとわかった」、「身近なところでは民族的に差別的な考え方を持っている方が少数派だと思っていたが、法律や企業などの大きな枠組みの中で根深く残っていることに驚いた」。
これらのコメントは、2人の講義が、日本に差別はほとんどない、少なくとも自分たちとは無縁の問題だ、と感じていた学生の認識を少しでも変えた可能性を示唆する。

 崔さんの「日本は本当に平和と民主主義だと思いますか?」という問いかけに、「ドキッとした」と告白する学生もいる。その学生は「そんなことを言われて素早く肯定できるわけじゃないが、そんな国ではないと思いたい。しかし…」と続け、崔さんの「その国の実体を知るには、そこに住んでいる人達がどのように生きざるをえないかということを調べれば分かる」(下波線は原文のまま)という言葉の意味を考える。そして、「自分達日本人から見たら差別のない国かもしれないが、朴さんのような在日朝鮮人に生きづらいような法律がある限り、差別のない国とは言えないのだなと思った」と書く。

 なぜ学生たちは、今回の講義のような場で、「在日」はどのように生きざるをえないかという話を直接聞くまで、日本社会の差別に気づくことがなかったのか。十数年にわたって学校教育を受けてきて、彼らが社会科や道徳などで「差別」を習わないわけはない。人権教育も行われているはずである。しかしそれが、反省すべき過去のこととして、あるいは外国のこととして教えられ、現在の日本については「平和と民主主義の国」として習い、そこでの差別は「あってはならない」こととしてのみ教えられたとしたら、どうだろう。多くの学生は、「差別」が問題だということは知り、習ってもいたが、それは自分にとっての身近にあるものではない、ということになってしまっているのではないだろうか。

  「差別」と「区別」
 身近にあってはならない、あるはずのない「差別」を、「在日」から指摘されて気がつき、自分の認識を変えざるを
えなくなるという経験は、日本社会のあり方の見直しへと向かうだけではない。コメント全体では少数であるとはいえ、
反発を掻き立てられた学生がいたことは無視できない。たとえば、次のコメントには考え込まされる。

昔、在日の人たちに対する差別があったと私たち大学生に話されても、今現在はどうなの?と思いました。在日の人たちは日本人や日本社会に不満を持っているという事実だけ知らされて、民族差別をあまり意識しない私でもこれから在日の人たちと日本人を区別して生きていくことになると思います。確かに昔日本人が在日の人たちにしていたことはひどいですが、それを今の若者に押しつけないでほしい。

 この学生は、あくまでも今の日本社会には「差別はない」(と考えたい)と思っているだろう。2人が話した内容は「昔」のことだとして、強く今の自分との切断がはかられる。自分の認識に揺さぶりをかけた「在日」の語りかけは、自らも日本社会の見直しや変革を手がけなければいけないという意識を高める方向に向かうのではなく、そうした「不満」を表明する「在日」という他者を意識化する方向に作用してしまっているのである。「在日」を、自分たち「日本人」と「区別」し、「日本人や日本社会に不満を持っている」人びととみなす認識である。この学生は、そうした意識をもつことになってしまうことには懸念を示しているが、「日本人に不満を持つ在日」という認識それ自体には、ヘイトスピーチの「在日」観との共通性も感じられる。

 さらに、この学生は「区別」という言葉を使っているが、われわれ日本人と外国人との「区別」を積極的・肯定的にとらえる次のようなコメントもあった。「〔在日の問題に〕無関心が過ぎたなと反省しています。ですが、私はこうも思うのです。区別は必要だと。朝鮮人と日本人という線引きはどうあがいて消せません。そこには文化や言語、習慣や考え方など大きな違いがあり、その異質さを受け入れることで〔日本社会が〕悪影響を受けるものは間違いなく存在します」。この学生は、明確に「区別は必要だ」と述べる。それは、日本社会が「悪影響」を受けないために必要だという論理であるが、おそらくそのことを「差別」とは認識していないのである。

 また、はっきりと外国人の権利を認めることへの反対を表明する意見もあった。「在日外国人の権利を何もかも認めてしまうと、日本国民との区別がなくなり〔日本人の〕アイデンティティが失われてしまうかもしれない。外国人の権利と一国の文化の問題は、日本に限らず深刻だと思う。……国家という枠組みがある以上、国籍は厳しく扱わなわなければならない」。一国を成り立たせるものとしてアイデンティティや文化が重要で、その国家の枠組みは国籍という形で国民と外国人との間に明確な境界が設けられ、両者の権利には差が設けられる。これはまさに従来の国民国家の論理そのものである。この論理を自明とするならば、コメントに書かれたように、「在日」という「外国人」の要求を認める必要がないという主張は、当然のこととして出てくるものであろう。

  「モノを言えない環境」
一方、朴さんの講義の内容に共感を寄せるコメントで注目されるのは、民族差別と「モノを言えない職場環境」とがつながっている、という点がよく分かった、腑に落ちた、といった反応をみせていることである。いくつかあげてみよう。「朴さんのお話を聞いて、日本人の職場の和を重んじるあまり言いたいことも言えずに抑圧されて生きている状況が、民族差別と深くつながっているという言葉がとても印象に残りました」、「民族差別について何も言えない環境というのは、特定のだれかではなく、職場全体の空気によって作られるものだということが分かった」、「日立の民族差別の根底には、企業に対して従業員が物を言えない状況があることを知った。個人がどのように思ってもより大きな力に押し殺されてしまう日本の風潮は、民族差別だけでなくあらゆる不平等を招く悪しき習慣であり、自分たちの世代が社会に出るにあたって立ち向かわなければならない」。

ここで登場する「職場の和」、「職場全体の空気」、「個人が……大きな力に押し殺されてしまう日本の風潮」といった言葉は、朴さん自身が使ったのではなく、聞いた学生が解釈して言い換えた学生自身の言葉である。それらは、書いた本人にとっておそらくこれから立ち向かわなければならない問題にほかならず、この回路を通して「民族差別」は他人事でないものと理解されていたことがわかる。
いじめを受けた経験をもつ学生のコメントには、次のように朴さんへの強い共感が示されるが、それはとりわけ現在の自分の実感をともなう切実なものとなっている。

   朴さんの話の中に「何も言えない会社の状況」があると言っておられましたが、本当にその通りで、日本人や今の現代では人々の大衆化が起っており、他と違うことをするのを皆が恐れてできないのです。そのような風潮(ママ)差別やいじめが起ってしまうのです。私はいじめられたことがあるし、朴さんが言われていたことが原因というのがすごく分かります。だから朴さんや崔さんの持つ正義感にとても心を打たれました。SNSや手紙で批判をしてくるのは匿名だからです。顔が見えないからできるだけで、皆の前では言えないのです。

 この学生は、朴さんの「何も言えない会社の状況」を、いじめを受けた自分の実感と重ね、「人々の大衆化」、「他と
うことをするのを皆が恐れてできない」風潮をあげて問題としている。そうした問題は、他の学生のコメントでも「集
団主義」「同調意識」といった言葉で表現されていた。「集団主義の恐ろしさや問題の深刻さに触れたような気がし
た」、「差別意識は日本人に根付いている同調意識や抑圧意識によるものである。日本人は自分と違うものを遠ざける傾
向にある。自分と差異あるものはどうでもいいと考えている節がある。他国民や福島県民など。自分及び自分の周囲の人
のことしか考えることができない性である」。このコメントには「福島県民」も出ている。横浜市には、福島第一原発の
事故による自主避難者が多いが、その子どもたちに対するいじめが報道されるようになっていた時であり、そのことがオ
ーバーラップしたものとみられる。
 
  制度に組み込まれた差別への気づき 
崔さんの講義において印象に残った内容としてコメントに多く登場したのは、日本の法律や制度の中に差別が構造的に組み込まれているという指摘である。「差別はあまり自分には関係ないと思っていたが、日本の法律自体に差別が含まれる可能性があることに驚いた」という感想や、「崔さんがおっしゃっていた、差別とは社会の内に法律として規律として構造的に組み込まれているということは、私たちも何となく感じています」と、自分が組み込まれている社会の問題でもあるとする共感の声がある。また、同窓の在日韓国人の友人の境遇に思いが至った学生もいる。「今大学に、生まれてからずっと日本に住んでいるけど韓国籍の友達がいる。何も私たち日本人と分かりはない。教育学部の学校教育課程に在学しているが、公立学校の教師になるということはできないらしい。生まれてからずっと日本にいて日本の教育を受けて、日本人となんら変わりないのに自分の選択肢をせばめられてしまうのはおかしいと思う」。

また、日の丸・君が代も、現在の日本においては公的な場で制度化され強制力を発揮しているが、朴さんの話に出てきた日の丸掲揚への抗議の話についてのコメントもいくつかあった。これは意見がわかれている。「日本にある企業なので別に構わないと思うし、そこまで気にするのはどうかと思う」といった意見がある一方、「自分たちは小中高大と入学式や卒業式で日の丸が掲げられていることや国歌を斉唱していることに疑問を思うことは全くなかったが、友達の中には「見えない人」として複雑な気持ちでいた人もいたかもしれない」という感想もあった。

日本の法律や制度自体に、外国籍者を締め出し、差別を孕んでいるという問題、それは、自らそうした構造にぶつかりながら闘ってきた者の言葉だからこそ、考えさせたと言ってよいだろう。「お二人は民族差別や原発事故に対して裁判によって声を上げた勇気ある方たちでした。崔さんは『在日朝鮮人だから裁判ができるんだ』『法律よりも人権が大事だ』とおっしゃっていました」、「『歴史は作られるものでなく自分で作るもの、人権は与えられるものでなく自ら獲得するもの』という言葉に感心しました」。

一方、「法律よりも人権の方が強いというのは、考えてみればあたり前だなと思った」という声もある。この声は、その「あたり前」のことが「あたり前」になっていない今の日本の現実を、逆に照射しているのではないだろうか。人権に重きをおくという「あたり前」ができないという状況、現在の日本社会の困難や閉塞感はそこにあるのかもしれない。
次のコメントはそれを示しているといえよう。「人権が大切という考えを第一にしても、今の消費社会の中でこの豊かさを捨てることができるのか? 私たちのデフレ・不景気世代では『何を言っても変わらない』という考えがあります。いくらデモをしても憲法改正討論をしても結局思う通りにはいかない。鬱憤(ママ)とした雰囲気に諦めを感じることが多い」。「人権が大切」というのはわかっている、でもそれを社会のなかで実行に移すのは…、という溜め息が聞こえてくる。

  差別の背景にある植民地化の歴史
なぜ日本で在日朝鮮人に対する差別があるのか、その背景として日本が朝鮮を植民地として支配してきた歴史があることに気づいた、というコメントもある。「日本人には他の国を占領していたという意識が根強く残っており、外国人を見下す傾向が強く存在していたのだと思う。その考えは今の時代にも悲しいことにつながってきていると思う」。歴史の授業で学習したはずの「韓国併合」や植民地支配であるが、話を聞くまで、それらが戦後の在日朝鮮人への民族差別とつながっているとは思わなかったという感想もある。「在日朝鮮人の差別が戦後長い間続いていたことはなんとなく知っていましたが、それを日本人の韓国併合の歴史と結びつけて考えたことはありませんでした。植民地化の歴史を日本が忘れないためにも、この問題をよく知り考えていかなければならないと思いました」。

一方、民族差別は歴史教育にも原因の一端があるという次のような意見も考えさせられる。「民族差別は、日本の朝鮮戦争や植民地支配についての歴史の授業での偏った考え方によるものであるように思う。授業ではどうしてもあまりいい印象をもたれないような教え方をされる」。「いい印象をもたれないような教え方」の内容は不明であるが、朝鮮戦争は特需景気で経済復興を遂げる日本と対照的な朝鮮の惨状、植民地支配では抑圧される朝鮮という対比のみが教えられるなら、大国で経済発展を遂げる日本と悲惨で貧しい朝鮮という印象を残すことにもなってしまったともいえるかもしれない。

また次のコメントは、「日本近現代史」という「歴史」の講義として行った本授業の意図を汲みつつ、さらに自分の言葉で「歴史」の重要性について書かれたものとして、ここであげておきたい。
 
  差別、人権、責任、労働、組合、経営者… こういった問題は全て関連しており、単にヘイトスピーチや囲む会、差別闘争等といった表面的な問題のみではなく、もっと根本にあるものを、経済、戦争、植民地、差別、政治、民族といった様々な側面から見る必要があるのではないだろうか。全てが「歴史」という一本の太い糸にからみついており、それらを1本1本に糸としてではなく、1着の服として見ることが大切であり、別々に見ることは出来ない。……差別することはよろしくない、そういうのは簡単なことであるが、それだけでは問題は解決しない。歴史的に解明していきたいと思う。

おわりに
 在日朝鮮人のゲスト講師の2人が語ったのは、「在日」の位置から見えてきたものや考えたことであり、その結果としての行動についてであった。その内容は、戦後日本の法律や制度、あるいは暗黙のルールといったものに対して「モノが言えない」のは「おかしい」と言い、「法律(あるいは制度、社会のルール、規範など)よりも人権」と言い切り、それに抗うという行動の経験であったといってよい。

2人の講義が学生に強いインパクトを与えたことは確かである。では、学生はそこで何に気づき、何を考えたのか。それまで多くの学生にとって「見えない人」であった「在日」から直に講義を受けるという経験は、「あたり前」のものとして受けいれてきた日本社会自体を少なからず再考させたといってよいだろう。ここで重要だと考えるのは、自分とは異質な社会的少数派―マイノリティを知り理解を深めた、ということよりも、むしろ自分も含まれる現実の日本社会の「おかしさ」に気づいたということである。

学生のコメントから見えてくるのは、社会の無意識のうちの強制としての「空気」にあわせることが求められ、たえず同調が求められる状況のなかで生きざるを得ないというきわめて息苦しい現実である。自分の感覚を大切にしたいという思いはありつつも、それを表出させることを、無意識のうちに「和」や「空気」という同調構造のなかで抑え込み、既存の社会を構成する集団の一員として行動することが身についてしまっている、と言ってよいかもしれない。朴さんや崔さんについては、まさに自分たちも経験している閉塞的な構造を見通し、それに抗って「声を上げた勇気ある方」と受けとめていた。

ただし、「見えない人」であった「在日」が姿を表し、日本社会の「おかしさ」を問題にしたときに、強い反発が生じることも無視できない。日立闘争のスライドでは朴さんへの嫌がらせ投書、崔さんの講義では、3.11後にツイッターで「国籍、民族を越えて協働して地域社会を変えていこう!」と発信した際の「くそ朝鮮人出ていけ!」という反応が語られたが、コメントでも少数ながら、「日本人や日本社会に不満を持っている」「在日」に対する拒絶反応が表れていた。また、日本人と外国人との「区別は必要だ」、「線引きはどうあがいても消せません」といった意見もあった。「日本人」であることに自らをゆだね、「日本」を自らのよりどころとするならば、日本人や日本社会についての称賛は自分への賛辞となるが、反面で日本社会の「おかしさ」についての指摘は、自分に対する外部からの攻撃にみえてしまうのかもしれない。現在の教育現場やマスメディアが、その方向性を強めていっていることは明らかである。そうした反応は当然起こるものといえよう。

日本社会の大きな構成要素である学校や企業においては、個人を、集団(学校、会社、国家など)の一員として訓練するということが、あまりにも重視されすぎているのではないだろうか。朴さんが日立に入社してから分かった集団の「おかしさ」は、その外側や周縁にいないとみえない。しかし、集団の内部にいる者は「おかしさ」をうすうす感じていたとしても、その内部に踏みとどまるために、外や周縁の声を拒絶して「黙って」しまう。そのため、犠牲を生むまで放置される。「差別」はまさに、こうした構造の中で生み出されるものと考えなければならないだろう。

「差別」の<学び>として重要だと考えるのは、まず、集団を背負う個人という意識を外して、個人の人権を何より優先させること、そのようなごく「あたり前」でシンプルな「教育」(といえるか?)実践である。「歴史教育」に関して言うならば、集団のアイデンティティを強めるための「日本」を主語にした<国民の歴史>ではない「歴史」実践の方法が、もっともっと生み出され、議論されなければならないと思う。「歴史」は、自分を取り巻く社会を再考する目を養い、自分の未来の可能性を開くために社会を変える力を育てる武器にもなりうるはずである。

最後に断っておきたいのは、コメントで「原発メーカー訴訟」や原発メーカーの責任の問題について触れたものもかなりあったが、今回はそれについての分析に踏み込むことができなかったことである。崔さんの主張に対する意見は賛否相半ばしており、本来ならばそこから学生の認識を読み取らなければならないが、それらのコメントでは原発と「差別」とを関連付けてとらえるものがほとんどなかったため、今回は検証の中に含めなかった。


0 件のコメント:

コメントを投稿