2017年5月12日金曜日

私の家族史から、在日を日本の戦後史の中で捉える試み(「在日」の世界ー力道山と親父)

「崔先生の生命社会伝記(Biography)は、東北アジアの民族たちの深淵に流れる話として人生の喜怒哀楽を新しい次元において預示していますね。感動しました。オモニ(母親)、その存在はまことに重要ですから」(ブログへの投稿から)。http://oklos-che.blogspot.jp/2017/05/90.html

「90歳のママに乾杯!」をお読みなった金容福博士のお言葉、ありがたく読ませていただきました。
私は母親に関する最初に書いたエッセイのなかに簡単に父親のことを書き加えました。私の両親はまさに日本の敗戦の直後に私を生み、日本の敗戦からの立ち上がりの真っ只中で私を育ててくれました。その生き様は、日本社会に差別・抑圧があったのは歴史的な事実ですが、その犠牲者であるだけでなく、そのなかで、生きるために全力を尽くした民衆の姿であったのです。
私の父母はジョン・ダウワーの『敗北を抱きしめて』に書かれている、まさにその時代を生きてきました。在日は闇市やヤクザ社会と結び付けられ否定的なイメージで語られることが多くなりましたが、それは敗戦の中から立ち上がり始めた民衆の胎動、エネルギーの発露と見るべきでしょう。紅白歌合戦を彩った歌手、プロ野球選手、そして相撲界から抜け出しプロレス選手として日本社会の英雄になった力道山という在日は、彼らの個人的な能力もさることながら、敗戦の貧しさの中から生きはじめた民衆が待望したものであり、そのようなヒーロー、ヒロインを大衆社会が求めたのです。父は北朝鮮出身の同郷として力道山と「義理兄弟」の関係でした。

  「力道山の世界」から思うこと。

    http://oklos-che.blogspot.jp/2011/02/blog-post_24.html 
父がはじめたレストラン、カレーライス専門店も占領軍との関係があったでしょうし、占領から独立した日本が「復興」から高度成長に向かう中で、父は数々のビジネスを立ち上げのしあがりました。しかし独立した日本の官僚化、専門化による社会の壁によって父は葬り去られていきました。私の家族の崩壊はそのような在日の歴史の一例です。父の成功と敗北は、ボクシングジム・オーナーとしての栄光と挫折として現れます。
(城島充『拳の漂流ー拳の漂流 「神様」と呼ばれた男ベビー・ゴステロの生涯』講談社、このフィリピンの天才ボクサーと白井義雄をアメリカに連れて行ったのは父でした)
日本社会の中で本名使用などはおぼつかず、植民地主義の継続の中で(しかし経済的には豊かになる日本社会の中で)在日は生きてきました。自分の本名も朝鮮の歴史も知らず、高度成長を願う社会の流れの中で私は育ち、大学生になったとき、在日であることを隠して生きてきた私は在日韓国教会の中に受け入れられ、在日とは何か、自分はどのように生きればいいのか考えはじめました。そこから植民地主義の残滓ともいうべき日本社会の差別と闘うようになりました。そうです、そこから日立闘争、地域活動、国籍条項(当然の法理)を提起・行動し、そして3・11を目撃して、私は原発体制を植民地主義と捉え、国際連帯運動の構築に全力をあげるようになってきたのです。
金博士、私のこのような個人的な経歴と思想の変遷が、私個人のものでなく、日本社会全体、そして東北アジアや全世界に向けた普遍性あるものであると気づかせてくださいました。金博士の短いコメントに触発されて書いてみました。これからもよろしくご指導ください。一緒になって闘いの戦列に参加させていただきたいと願います。

0 件のコメント:

コメントを投稿