2017年2月7日火曜日

真鍋教授の講演:「市民革命」を近現代史の流れの中でとらえるーその死生観と歴史認識ー

25日(日) たんぽぽ舎での「韓国市民キャンドル革命を知る」連続講座第3弾。
韓国の民主化研究の第一人者である、東大の真鍋祐子教授の講演会がありました。
2時間にわたる真鍋さんの講演は、研究者としての正確な事実の把握とともに、自らの韓国での実体験を踏まえたものであり、韓国の「市民キャンドル革命」を理解するうえでどうしても知っておかなければならない内容をお話しくださったと思います。
講演の内容はユーチューブで知ることができます。https://youtu.be/Saye6S4FMHs


なぜ、シャーマニズムか?

特に私にとって興味深かったことは、巫女、シャーマニズムという土着的な宗教に対して、1千万人と言われるキリスト者や仏教徒が多いといわれている韓国社会の中で、政府批判をする最も先鋭的な社会意識を持つ学生たちがなぜ大きな関心をもち、デモや葬儀の際にシャーマニズム儀式を正面に打ち立てたのかという背景でした。これは真鍋教授の自伝でもある『自閉症者の魂の軌跡―東アジアの「余白」を生きる』(叢書 魂の脱植民地化 6、青灯社2014)に記されているように、シャーマニズムとの出会いは教授にとっては単なる学問研究の対象であるのではなく、自閉症者であった真鍋教授自身の「魂の軌跡」のうえで、なくてはならなかった体験があったがゆえに、韓国の学生たちの焼身自殺、遺家族の思いを受け止め、そこに自らを同一化をしないものの、彼らの悲しみ、怒りを深く理解することができていたからではなかったのか、と思います。


私はこの真鍋教授の人間を見る視点が単なる研究者やマスコミの視点とは決定的に異なり、それゆえに、韓国の学生の運動の説明に説得力があるのではないかと思いました。

真鍋教授の韓国の民主化闘争の研究再開(「再起動」)の背景と韓国近代史を見る視点

これはパワーポイントの最初に示されたもので、講演者の今回の講演の問題意識を示したものです。一時、韓国の民主化闘争の研究を中断していた教授が改めて取り組みだした(「再起動」)の動機を説明されました。このことの説明だけで2時間はゆうにかかるのではないかと思ったほど、内容の濃いものでした。

そしてこれが結論部分のスライドです。

韓国の「市民キャンドル革命」は全面的にセウォル号の真相究明、責任者処罰を求めています。これは真鍋教授の見解では、民衆の「歴史意識の再覚醒」であり、80年代の軍事独裁に対する民主化闘争における焼身自殺を生み出した社会的背景と重なり、韓国における市民・民衆の過去、現在、未来につながる歴史認識として「市民キャンドル革命」を見ていくということになります。

パワーポイントの資料の目次からでも真鍋教授の韓国の市民(学生)運動を見る視点が浮かび上がります。
・固有名詞で構成される韓国民衆史の歴史観
・民主化運動の犠牲者を記憶するー疑似家族としての全国民族民主遺家族協議会(「遺家協」)ー
・固有名詞を伴う「記憶の闘争」(2011年)
・「連累」の歴史観(彼女は私だ)ー”「風かたか」(風の防止)になれなかった”(稲嶺名護市長)ー

そしてここから、現在の闘いが過去とつながることの説明が続きます。
・民衆史を構成するローカルな記憶―学窓
・民衆史を構成するローカルな記憶ーセウォル号惨事(2014年4月16日)と光州事件
・民衆史を構成するローカルな記憶ー甲午農民戦争(1894年)と全琫準ー
・民衆史を構成するローカルな記憶ー光州事件(1980年)と市民軍の「光州出征歌」ー

次に、全斗煥の軍事独裁政治に対する焼身自殺などの激しい民衆の民主化要求運動があり、盧泰愚による時局収集宣言、いわゆる「6・29宣言」がだされ、民主化の約束がなされた歴史とつながるのです。
・「1987年フレーム」の再現ー広場の記憶
・「1987年フレーム」の再現ー朴鐘哲拷問致死事件(1987年1月14日)30周忌ー
・「1987年フレーム」の再現ー韓烈を救い出せ(催涙弾の直撃により死亡)
・「1987年フレーム」の再現ー民主国民葬(白南基農民の霊柩行列(2016.11.12)、朴槿恵打倒 霊柩行列)
・「1987年フレーム」の再現ー民主国民葬とシャーマニズムー
・「1987年フレーム」の再現ー真相究明・責任者処罰・犠牲者名誉回復を求める運動ー


真鍋教授の紹介した映像には、青年が建物の上からアメリカを批判しながら投身自殺する場面が写されました。そのように次から次へと自殺する青年の行為に金芝河は批判をしたらしいのですが、その自殺を見ているオモニたちの泣き崩れる姿が映し出されていました。これまでの儒教社会の価値観としては息子が親を残して先に死ぬこと自体が認められず、またキリスト教では自殺を戒めているので、そこで自殺者の復権を求めるのにシャーマニズムが登場する必然性があったようです。

遺家族たちは、このような自殺する青年を排出する社会を作ってきたのは自分たちの責任だとして、若い人達のデモの先頭に立って激しく為政者を批判し、遺家族は「家族」としてひとつになって息子の死の弔いを社会的に行うのです。その弔いの場がすべて、100万人市民が集まる光化門なのです。もちろん、運動側はすべてこのことを計算づくでやっていると教授は見ます。

本来儒教社会を支えるものであったシャーマニズムが、時の為政者を批判する情念として市民の間で共有化される社会的な必然性があったのでしょう。80年代の民族至上主義的なスローガンは人権意識、民主主義の理解の深まりとともに、人間本来の在り方を求める次元にまだ高められてきていると教授は見ます。日本軍「慰安婦」であったハルモニたちもまたそのような次元に立っており、単なる反日ではなく、ベトナムでの韓国人兵士の現地のベトナム人の虐殺行為をとりあげ、熊本地震による犠牲者への寄付をする行為につながっているのです。

私はこの点が、日本の戦後の運動が広島や長崎での被爆に象徴される「犠牲者であること」の主張にとどまり、植民地支配者であったことが十分に考察されずに「平和と民主主義」の国になったとみる傾向とは、かなり運動の質に差異があるように感じるのです。


「市民キャンドル革命」はパク・クネ批判からはじまったものですが、これまでの学生の「過激な」運動形態は一切、影をひそめ、労働組合もまた裏方に徹し、家族連れの市民が全面的に前に立つデモになっています。これはこれまでの民主化闘争のように結果として失敗に終わらせてはいけないという強い意志が運動側にあるからだと思われます。しかし現在の「市民キャンドル革命」の運動が、その質において、過去の激しく闘ってきた闘いからかけ離れているとは思えません。この「市民キャンドル革命」の動きが継続し、大きな力となって、韓国社会を根底的に変革していってくれることを願います。

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