2015年12月17日木曜日

辺見庸の、「戦後思想上、最大の問題作!とされる『1★9★3★7』を読む


この本は歴史家や思想史を選考する学者では書き得なかったと、私は、正直に思います。1937年は確かに南京虐殺のときであり、ここにはその事件の内容が詳しく書かれています。しかしその「じんじょうならざる」ことが、辺見は、「「いま」となって墓穴からたちあがる。かつて「ヒットラーを羨望させた」(丸山真男)ほどのニッポンのファシズムは、新たなよそおいで、古くかつ新しい妖気をはなちつつ、いままた息をふきかえしてある。「日本はこんな国なだと思わないでください」・・・・。それでは、ニッポンとは、いったい、なんなのだろうか。」と問うのです。

彼は1937年の「じんじょうならざること」を記すのに、堀田善衛の小説『時間』を軸にします。日本人小説家が中国人を主人公にして、彼の目から見た南京事件を語らせるのです。その解説を書いた辺見は、「南京事件を中国人知識人の視点から手記のかたちで語り、歴史と人間存在の本質を問うた戦後文学の金字塔」としています。1955年に書かれた本です。


小説のできに関しては異論があるでしょうが、確かにこの中国人知識人の目を通して語らせる堀田の思いは、当時の中国に渡った多くの文筆家の中においても、もっとも高く評価されるべきであろうと私も思います。出版当時、この作品が大きく取り上げられなったのさもありなんです。しかし辺見は2015年、堀田の『時間』を不朽の名作にしたように思います。


辺見は、1975年10月31日、皇居「石橋の間」でおこなわれた天皇の記者会見に触れています。そして天皇を徹底的に批判をします。というよりは、一億総懺悔ということで、ニッポンジンが天皇に対して戦争に負けて申し訳なかったとしている、ニッポンのあり得ない実態を糾弾するのです。「コノオドロクベキジタイハナニナノカ」 私は辺見は詩人の感性で、ニッポンとは、ニッポンジンとは何なのかを書いているのだと思います。

(問い)また、陛下は、いわゆる戦争責任についてどのようにお考えになっていられますか、お伺いいたします。
(天皇)そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究してないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。
(問い)原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受けとめになりましたでしょうか、おうかがいいたしたいと思います。
(天皇)原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思っていますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私はおもっています。

そしてもうひとつの軸は辺見の父親です。中国に送られた軍人であった父親は上等兵からなぐられた経験を持ち、帰国後は地方紙の新聞記者だったのですが、父親が書いた戦地での経験談の記事を辺見は読めずに机の上においていたようです。しかし辺見はそれを読み、そこにおいてもはやり戦争を起こした責任、だれも責任をとらないニッポンを見てしまうのです。

辺見は父親は中国で何をしたのか、略奪・殺人・強姦・放火を止めよ仲間に言ったのかと問うのですが、それは非難ではなく、自分がその場でいたらそのようなことをしなかったのかと内面をえぐります。辺見のこの著書では天皇に厳しい批判をしていますが、彼の別の著書では、彼が記者時代に偶然に遭った天皇への特別な、自分でも意外であったような感情を持ったことに触れていました。

辺見は、この著書の中では小林秀雄や阿川弘之のような、結果として時代に媚びる権威主義者に対しては厳しいですが、そのような人間のありようとそのようにせしめるニッポンのあり方を厳しく峻別しているように私には思えるのです。彼は自分を正義の言葉で飾ったり、ヒロイックな表現をすることはありません。時代を見る目は厳しいのですが、決して強がらず、苦しむ自分をそのまま書いているように思えます。ブログなどで見せる放言はさすがに著作のなかではしませんが、戦後ニッポンの平和と民主主義を奉るような輩に関しては厳しい視点を見せつけます。戦後のエセ民主主義を前提にしてどうするんだという、SEALDsなどに対する厳しい声も私には行間から聞こえました。

実は私ごとですが、私は辺見に講演を依頼したことがありました。好意的な返事が来たのですが、まもなく講演の最中に倒れ、それ以来、まったく接点がありません。機会があれば、是非、飲みながら思うがままの話をしてしてみたいものです。



1 件のコメント:

  1. はじめまして

    今般、辺見庸氏の著作「1★9★3★7」を読んで感銘を受けて、その批評を探して、このページにたどり着いたものです。
    貴コメントには同感することが多かったので、私の感想を聞いてもらいたいと思いました。

    辺見氏が最も言いたかったことは「おい、おまえ、じぶんならばぜったいにやらなかったと言いきれるか」という問題提起だと読みました。
    その質問を問いつめて、この厚い一冊になった、とその執念に敬意の気持を持ちました。

    しかしながらこの自分自身に対する問題提起に対して、著者はこの本でどのような答えを出したのか?がはっきりしていません。問題提起(責問)だけに終わった書のように思われました。
    問題提起だけとしても大した精神力だとは認めますが、やはり問いに対してはその答えが重要です。

    その問いに対する著者の直答を著書の中で見つけられませんでしたが、全体を通じて「絶対にやらなかった、とまでは言いきれない」となるように思われます。

    この答えは、今までの世論の「やった人を犯罪者として切り捨てる見方」と比較すれば、かなり自分に厳しいものではありますが、私に言わせると未だに曖昧で、不十分です。
    ここはやはり「自分もやったに違いない」と答えてほしかった、という感想です。
    「やったかもしれない」というあいまいな言葉では反省にならず、それでは南京の犯罪を自分のこととして引き受けることになりません。

    軍国主義の強力な圧力をここまで分析した著者が、「自分だけはやらない可能性もあった」などと自分を別格に扱える根拠がどこにあるのか?その説明が必要です。
    「自分もやったに違いない」と考えてこそ、その責任のあり方が違ったものに見えてくると思われます。
    また自分自身が責任を引き受けないのでは、日本人全体の反省に繋がらないと思います。

    突然のコメントを失礼しました。
    ご感想をいただけたら嬉しく思います。

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