2015年2月10日火曜日

イ・ジンソプさんの日本便りー(その2)日本での講演会と活動家



日本の講演会や活動家(その2)2月6

大阪の講演会は、2回に分かれてはじまりました。4時ごろに大阪の反核の主要活動家と初めて出会い挨拶をしました。南大阪 YMCA 会館で会った人々の年齢が思ったより高かったです。講演をしながら驚いたたことは、講議する人の負担を減らすためなのか、参加者が各自ペンとノートを持って懸命に手書きをすることでした。

二度の講義を終えて、自信がうまれました。韓国での発達障害者の親として世界に出て、忘れられないにしようと提起した訴訟が今、日本に来て講演をしていると思うと、私の人生はもう一度開かれていくようでした。私たちは、忘れられてしまえば何もないのです。忘れられないようにしようと私は息子と一緒に道を歩いてきました。その道で人と出会うことになり、私たちの話をすることができるようになりうれしいです。


大阪から移動しながら、福井県の小浜、福井市でもまた多くのことを感じることができました。切迫感をもって始めた私たちの世界歩きを日本の人々はキュンドの登場に理解をし始めました。一人で日本に来ていたら、こんなことがあったという話になるだけのことでしたが、キュンドと一緒であったから、日本の人に私たちの行きてきた姿を話しすることができました。講義の教室を遊び場にして歩きまわるキュンド、しかしこの訴訟の始まりはキュンドであったのだから、回りのの人もきっとそれを受けとめてくれたのでしょう。


私たちの世界は真心が通じます。この真心から私たちの話は始まります。東京、福岡もまたキュンドの話しが講演の出発点でした。日本の人にはわからないかもしれない訴訟の話し、彼らも関わっている各種訴訟は私たちのように切迫したものではなかったかもしれません。ちょうど23か月のこれまでの歳月の結果が、彼らには驚きでしかなかったのです。

すべての講演を終え、一日の休暇を別府で過ごしました。私たちの日程のすべての調整をしてくださった数人の方と最後のひとときを一緒に過ごしました。彼らは年齢がわからないほどの若い夢を持っていました。年齢が70歳になる人ですが、人を配慮する力で若さを保っていました。私は彼らから人となりを学び、帰国をしました。敗北することのない、この世で生きることを学んできました。

ひとつの意味のある訴訟を一緒に喜び、この障害児をもつ父親のために後援会を結成すると言ってくれたときは嬉しかったです。「キュンドとの世界歩き」は彼れに切迫感から出てくるエネルギーを与えてくれたとのことです。日本の土地では感じていないオーラを与えてくれたとのことでした。私が学んだ障害者運動が大きな威力を発揮したようです。彼らが言う安全の基準値は決して私達の生命の安全値ではありえません。その対象者が私でなくとも、我々は話をする必要があります。

「キュンドと世界歩き」は、決して私たちの家族が何かを勝ち取るために道を歩いているわけではありません。一緒に生き一緒に息をするために我々は、歩くのです。今日も明日も休むことなく、私たちはこれからもこの道を歩くと約束をします。明日はキュンドの日本での姿を明らかにして、新たに学んだ世界歩きのお話しをしましょう。

イ・ジンソプさんのFBからの転送です。キュンド君と歩んで来たこれまでのことを記した本が韓国で出版されるそうです。もちろん、古里原発を相手にして勝ち取った判決のことも記されるでしょう。翻訳して日本で出版したいという希望をイ・ジンソプさんに伝えました。みなさん、ご協力をお願いします。
約1週間、イ・ジンソプさん親子と日本国内を回ったのですが、あるときキュンド君から、「おじさん、いい人だね(착하다)」と言われました! 崔勝久
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(以下、イ・ジンソプさんの文書)
キュンドの本の表紙を選択しよう思います。
スカイブルーの表紙と手のつないで歩く2つの表紙のふたつです。
便宜上1番表紙、2番表紙です。どれが良く見えますか?
スカイブルーのものは、前面にキュンド、裏面に私の写真です。
広げるとこのように向かい合います。
(どちらがいいか)もう一度選択してください。
本の発売は是非、あなたと一緒にいたします。
沢山、見てください。
私たちのキュンドを愛してくださり、プレゼント用にしてくださいますように。

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