2013年4月6日土曜日

地方自治体の在日差別・抑圧の根は何か


壱花花 風刺漫画報からの引用です。これほど一目見て問題点がはっきりとわかるマンガって素晴らしいですね。

多くのひとがネット上でこの町田市の問題を取り上げています。しかし町田市は、神奈川県知事や川崎市市長のように、北朝鮮の「挑発」や、核実験、ミサイル実験、拉致事件を理由にして、民族学校を差別、弾圧することが市民感情に応えることだと本気で思っていたようですね。そして事実、この事実に憤りを持ついる人が多くいる反面、それをよしとする日本人が多くいるということなのでしょう。神奈川県と川崎市に関しては事態は何も変わっていません。

今さら政治と教育を混同してはならないというようなことを言うのも腹立たしいですね。ましてや、在日の人権の問題は日本の植民地支配の清算の問題と捉えていない人が圧倒的だということに驚きます。

各地方自治体のこれらの蛮行は当然のことですが、安倍政権のお墨付きです。原発問題に関心を持ちそれに反対する多くの人もまた、領土問題に気後れし、そしてまた従軍慰安婦問題、在韓被爆者問題(勿論、北朝鮮にも広島・長崎で被爆した人、またその2世で病に苦しんでいる人が多くいる)、そして強制労働で賃金未払い問題など、歴史の問題として正面から取り組むべきであるのに何もしてこなかった韓国政府の不作為は憲法違反とした憲法裁判所の判断に関しても、日本人は無関心ですね。

私はこれらの問題こそ、戦後の日本はどのような社会であるのかを根底的に問い、原発体制とは何かを捉え直す絶好の機会かと期待したのですが、絶望的に対話ができません。

私は反原発運をする人はみんな仲間とおもっているのですが、その中でも、今でも日本で差別なんてあるんですか、それはあなたの思い過ごし(被害者意識ということか)と言い放つ人や、韓国は中国の支配下に長くいたので、いずれ日本より中国になびくだろう(日本政府もそのように捉えていると)歴史的、現実的政治的状況に薀蓄を傾ける人もおり、また海外にいながらシャープな発言をしてきた人が、日本の植民地支配の問題と現在の原発体制のつながりを説く私に、強く反発します。過去の問題に触れないでこれからの世界の為に何をするか考えるべきだと。なるほど反原発、脱原発といってもいろんな人がいるんだなと思い知らされています。

川崎市民の脱原発の集会においても、日本国民は断じて原発の再稼働を許してはいけないとの発言にそこの参加者は全員、なんのためらいもなく頷くのですが、私が日本人でないことはみんなわかっていてそういう発言をします。川崎市民=日本人=日本国民(日本国籍者)というように考えているようです。それは日本社会は日本人のものであるということをアプリオルに肯定し、そこにいろんな人が住んでおり、そのいろんな人たちとよりよい地域社会を作ろうと集まっているはずなのに、そのような発言が当然視されます。

神奈川県も川崎市も、そして町田市もそこに住む在日外国人もまた地域住民である、その住民にたいする行政的な差別は許されないという、最も根底的な理解ができていないと痛感します。政治状況の判断で議員も議会も、そしてそれを支える一般市民も同じです。

日立闘争を闘い勝利し、円満退社した後も日立で嘱託として働く朴鐘碩君の阿部川崎市長への抗議文を再度、公開します。


2013年3月2日土曜日
阿倍孝夫 川崎市長 への抗議文ー開かれた地域を求める六つの要望(朴鐘碩)
http://www.oklos-che.com/2013/03/blog-post_2.html

多くの日本人のナショナリズムへの無意識の傾斜は、結局、国民国家のイデオロギーに染まっているからだと言うのは簡単です。しかしそれと同じレベルで、多文化共生を謳っても行政差別を撃つことはできない、ということにまだ多くの人びとは気付いていないようです。多文化共生は新らしい植民地主義のイデオロギーだと私は何度も繰り返し訴えてきましたが、やはり、その根は深く、簡単に国民国家論で足元を掬われてしまいます。日本人も在日も。

何年かかろうが、足元から、地域から、国民国家を乗り越える視点をもち、地道な活動を続けるしかありません。一度自然災害が起これば、地域の人間は民族や国籍に関係なく、みんな一緒に死ぬ、だからそれであれば一緒に死ななくてもいい地域社会を作ろうという方向に行くべきなのに、どうして? かくも国民国家の壁は厚いのです。みなさんはどう思われますか。









1 件のコメント:

  1. 北朝鮮国民を蔑ろにする金体制を支持する朝鮮学校の教育方針、税金の投入には反対。子供を守るブザーの支給をしない町田市は理解できない。これは不当な差別。

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