2012年9月7日金曜日

日立が原発をつくり続けるのはなぜかー民族差別についての公式謝罪文書を手掛かりにして


1 日立の謝罪と「具体的な措置」とは何か?
私が関わってきた40年前の日立就職差別裁判闘争と並行して行われた、日立本社との直接交渉の中で締結された1974年の確認書を公開します。これは本名と本籍を偽って書いたという理由で、一旦日立から採用された朴鐘碩(パク・チョンソク)を、「虚偽の記載」をした「嘘つきで信頼できない」という理由に解雇したことを民族差別と訴えた裁判においても、市民運動のレベルでも全国8ヶ所の日立営業所での交渉、海外(NY、ソウル)での不買運動、4年にわたる毎月の集会などの積み重ねの上で日立本社を相手にした実際の交渉の場においても勝利した「出来事」です。彼は昨年、40年日立を勤め円満に定年退職しました。現在はそのまま嘱託として日立に勤めています。

「今改めて、日立闘争の私にとって意味を問う」、朴君の定年退職を祝う集い
崔・加藤千香子共編『日本における多文化共生とは何かー在日の経験から』(新曜社)、

注目すべきは日立が朴鐘碩を解雇したことは差別であったと認め、「責任を取る」と常務取締役の新井啓介氏(故人)が確認書に署名したことにとどまりません。実は確認書には(その2)があり、「日立製作所は、在日韓国人・朝鮮人を差別し続けてきたことを認め、在日韓国人・朝鮮人に対して、ここに深く謝罪し」、「今後、このような民族差別を2度とくりかえさぬよう、責任ある具体的な措置をとることを確約する」とあるのです。

戦後一貫して在日朝鮮人を差別し経済的発展の最中においても排除してきた日本社会の歴史からすると、これは確かに画期的な「出来事」であると言っても過言ではないでしょう。しかしここでいわれている「民族差別を2度とくりかえさぬよう、責任ある具体的な措置をとる」ということはそもそもどういうことなのでしょうか?

2 川崎市の「多文化共生」の問題点
それは国籍や民族によって採用にあたって差別をすることはないようにするということなのでしょうか。勿論、川崎市のように、外国人への「門戸の開放」を決定しながら、採用した外国籍公務員には昇進させず、市民に命令をするような(=「権力の行使」)職務には就かせないということを制度化している現実においては、民族・国籍によるいかなる差別も許されないということを徹底させることは必要です。

このことは川崎市が進めてきた「多文化共生」政策とも関係します。即ち、国籍・民族にかかわらず、あらゆる人をあるがままを受けとめ、お互い認めあおうということのようです。名前はあるがままで、本名で生きていけるようにしようというのですから、その理念に反対する人はいないでしょう。しかし問題は、これほど韓流ブームで歌、TV劇、料理がもてはやされ、日韓の行き来が盛んになっているのに、日本に住む朝鮮人は自ら生き延びるための「政治参加」は許されていないという現実を、そのまま放置していることです。

川崎の「多文化共生」を私たちが批判するのは、現市長が8年前当選時から言い続けてきた「会員と準会員」とは違うという発言があり、上記のような「門戸開放」後の差別制度が続けられているなかでの「共生」政策は実質的には、外国人を二級市民として扱うということを意味するからです。市民を国籍によって分けるということは許されません。

この社会の中で差別をなくすために今やらなければならないことは、外国人に一定の権利を与えることでしょうか、そういう形式的平等を繕うことで解決するのでしょうか。そのような理解ではパターナリズム(家父長的温情主義)になり、マイノリティへの恩恵で終わり、そのような差別を生み出すマジョリティのあり方が問われることはありません。差別をもたらした歴史的な原因、生活実態としてある差別構造をそのままにしておくことは、実質的には外国人を差別社会の中に「埋没」させておくことになります。

私たちは差別をもたらした社会を「変革」しなければならないと考えているのです。「民族差別を二度と繰り返さない」ために企業や学校が担当者を相手に人権研修をして表面上の差別をなくすということでは、差別を表面化させないということで終わり、結果として差別を生み出してきた社会に外国人を「埋没」させることになると私たちは考えます。それでは差別を生み出した社会、企業、学校は何も変わりません。例えば、「多文化共生」を謳い外国人差別をなくす、外国人と仲よくする、多様性を認めるといっても、君が代と日の丸を強制している現状では、「共生」は日本社会の右傾化に寄与するだけで、排外主義を根本的になくすことにはならないのです。

3 日立で「黙らない生き方」を選んだ朴鐘碩、彼は何を求めたのか?
日立は朴鐘碩を受け入れ普通の社員として、ただ黙々とものを言わずに働く会社の作風に染まり(「埋没」し)、効率的に利益を生み出す「社畜」としてやってくれればいいと考えたのでしょうか。定年退職した彼を朝日新聞が取り上げたのは、彼が「黙らない生き方」を社内で貫徹したからです。貫徹することで彼が求めたものは何か、それは「開かれた社会」であり、自分が属する会社のメンバーとして会社のあり方、組合のあり方にものを言うことで会社に参加していくことができるような、そのような開かれた会社になってほしいということではなかったでしょうか。資本主義社会にあって競争原理の上で働くということであっても、そこで働く(=生きる)ということは利益追求に留まらず、企業の社会的責任を追及することでもあるはずです。会社に所属していても社会人としてあり方が問われてしかるべきなのです。

3・11以降、福島原発のメーカーであった日立が原発をつくり海外に売り込みを続けることはどうなのかという議論を社内でしたのでしょうか。組合はどうだったのでしょうか。社員はそのことについて自由にものを言うことを許されていたのでしょうか、日立は(他の企業、自治体そして日本社会そのものも同じですが)そのような「開かれた社会」であったのでしょうか。

私には朴鐘碩が解雇されたときそれを提訴しても組合は一切何も言わず、何の見解も出さなかったということと、現在、3・11以降の日立のあり方を社会的な常識に従って意見を出し合うことのない実態とが重なって見えるのです。勿論最終決定するのは経営者でしょう。株主の意向も聴かなければならないでしょう。しかしそこで働く労働者の意見は一切聴かないのでしょうか。労働者はただ黙って働けばいいのでしょうか。

4 「内と外」を分けず、「開かれた社会」を求めて
ある組織でものを言える人間を一定の条件で「内と外」で分けするとき、特にその条件を組織の権力を持つ人が決める場合、どの時代、どの組織においても歪みが出るようです。一定の基準に達しない人たちに組織への参加を拒み、疎外するとき、その組織は国家であっても同じですが、健全な方向には歩めないようです。国民国家が女性と外国人、一定の資産のない者を排除してきたDNAは今も残っています。
『最後のイエス』(佐藤研著)についての感想ー内と外を分ける発想に潜む危険性

日立が差別を認めて謝罪し、「二度とこのような差別を起こさないような具体的な措置をとる」という姿勢を社内で徹底的に議論をしてきたならば、地方への差別、労働者への差別を前提になりたつ原発体制を3・11以降もそのまま続け、日本がだめでも海外に原発を売ればいいという会社になっていたでしょうか?同じ総合メーカーであってもドイツのSiemensは、完全に原発製造からは撤退しました。あのGEのCEOさえ、「原発の正当化は、難しい」と公言しています。

日立が原発メーカーの部門から自然エネルギーを活用する分野に転換することを願います。しかしそれには、組合と一般社員が率直に自分たちの意見を言い合うような社風にしなければならないはずです。本来は、40年前の民族差別を日立経営者が勇気を持って認めたときに、そのような方向に進むべきであったのです。そうでないと単に民族差別をした企業のイメージを払拭するだけの処置であったということなります。

この間、日立の成功を支えてきたように見える、閉鎖的、均一的で、ただひたすら与えられた仕事を遂行する社員によって運営していくシステムの成功体験が、逆に反原発の世論に対応することのできない、硬直した体質をつくってきた原因だと思われます。


参考資料
確認書(その1)
1974年5月17日、日立本社会議室における日立製作所と朴鐘碩及び朴君を囲む会の交渉の席において、双方は左記載の内容を相互確認した。

朴君が1970年の入社試験時に、「日本名」「出生地」を記載したことに関し、日立は、それが「虚偽の記載」であり、そのようなことを書く人間は「ウソつきで信頼できない」とこの間一貫して主張してきた。しかし今回、朴君の上申書を読むことによって、そのような主張は、在日韓国人のおかれた現実を全く知らないために犯した誤りであると気付いた。従って、この3年間、①こうした誤った判断にもとづいて朴君の就業を拒否したこと、②その誤りの責任が日立にあるにもかかわらず、「ウソつき」のレッテルをはることで、朴君に責任転嫁してきたこと、の2点だけでも、日立が朴君を民族差別し続けてきたものに他ならないことを認め、日立は責任を取る。
以上
右記載内容に関し、相互確認したことを署名をもって証す。
株式会社日立製作所 常務取締役 新井啓介 印
                朴 鐘碩  印
朴君を囲む会呼びかけ人     佐藤勝巳 印


確認書(その2)
1974年5月17日、先の確認書に引き続き、双方は次の内容も確認した。

日立製作所は、在日韓国人・朝鮮人を差別し続けてきたことを認め、在日韓国人・朝鮮人に対して、ここに深く謝罪します。
日立製作所は、今後、このような民族差別を2度とくりかえさぬよう、責任ある具体的な措置をとることを確約します。
以上
前確認書と同様、右内容を相互確認したことを、署名をもって証す。
株式会社日立製作所 常務取締役 新井啓介 印
                朴 鐘碩  印
朴君を囲む会呼びかけ人     佐藤勝巳 印


1 件のコメント:

  1. 1年8ヶ月前のこの文を今日初めて読ませていただき、「多文化共生」批判の理由が、やっとわかりました。
    自分は、東芝アンペックス社製の「たんぽぽ」という空間線量測定器を、もう20年以上愛用しています。
    3.11の4日後、久々に押し入れから引っ張り出し、スイッチを入れた途端、地域の平常値の約20倍の数値が出て、「アカン、較正を受けないと不正確だ」と焦りました。後日較正を受けた結果はっきりしたのは、その時もさほどの狂いはなく作動していたこと。20年前の価格で約20万しましたが、益々信頼感が増しました。
    東芝社内でも、「モノ言う社員」が闘って築きあげたこのメーカーの方と、朴鐘碩さんとの対談がもしできれば、そして、三菱社内での事情に詳しい方の参加もあればなお、「メーカー訴訟」を盛り上げる企画として、うってつけなのではないでしょうか。

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