2011年9月9日金曜日

3・11フクシマ原発事故についてー「ナショナリズム」・「信仰」という観念の克服を

正直に告白しなければならないのですが、私は3・11の原発事故を目撃するまでは、原発は問題だという意識がありながらもどこか他人事(ひとごと)のように思っているところがありました。しかし今回の3・11フクシマ原発事故を目撃して、私は、自分自身の歴史観、信仰についての考え方が根本から問われている痛感しました。

私は1945年生まれの「在日」2世です。大阪で生まれ育ち、ICUに入学したときには自分の本名の読み方や韓国の本籍地もわかりませんでした。私は自分が朝鮮人であることをどう受けとめていいのか、自分は何者で、どう生きていけばいいのか悩んできました。そんな私が大きく変わったのは、40年前の日立就職差別裁判に関わるようになってからです。私は、民族差別の問題を通して歴史と社会に強い関心を持つようになりました。
 
日立闘争は完全勝利に終わり、その後私たちは自分の「在日」としての生き方を足元の問題から取り組むという考え方で川崎の地域活動をはじめました。生意気盛りな私たちを受け留め全面的に支えてくださったのは、故李仁夏牧師です。

その後国籍条項や「在日」の教育問題に深くかかわるようになるのですが、その運動はいつしか「多文化共生」を目指すものになり、地域活動が行政と一体化し同じスローガンを掲げるようになってきたことを私たちは批判的に見るようになってきました。
 
「多文化共生」と言いながら地域における外国人の政治参加を許さず「多様性」を強調するのは、労働力を重視して外国人を「二級市民」とする植民地主義イデオロギーであり、「在日」に理解を示す日本人に対しては、「在日」をマイノリティとして位置づけマジョリティである自らを省みることがないのは残念ながらパターナリズム(家父長的温情主義)に陥るしかないということが段々とわかってきました。それでは対等な関係は作りえないのです。

「在日」が「多文化共生」を求めることは地域社会の「変革」ではなく、「埋没」になるということが見えてきました。日本社会は「多文化共生」を強調することで、日本のナショナリズム(日の丸・君が代の強調)を肯定する構造になっているのです。

「多文化共生」批判は結局、国民国家を前提にするナショナリズム(民族主義)の相対化という問題に行きつきます。私は地域社会のあり方そのものを変革していかない限り「在日」の人権の回復はないということを主張するようになりました。

日韓併合の100年は、川崎の埋め立ての100年でもありました。臨海部の巨大なコンビナートは、かつては公害問題を生み出し経済最優先の象徴であったのですが、脱工業化に向かう現在、その持続が可能なのか問われる時代になりました。大震災に遭った場合の災害対策も不十分です。3・11で明らかになったように、住民はみんな同じ被害に遭います。だからこそ、住民は国籍や民族を越え、協働して共に生き延びれるように地域社会を「変革」していかなければならないのです。それは住民主権の内実を問うものとなるでしょう。

「多文化共生」は、地域社会そのものの在り方を問う方向に向かわず外国人と日本人の関係性を問題にする限り、為政者にとって都合のいいものに終わるでしょう。

私たちは3・11に出会いました。多くの教会はそれでも「魂の救い」と「弟子づくり」に励みます。被災地への関心を示しても原発の問題は取り上げません。福島を出るに出れない子供たち、乳飲み子を抱える母親たち、生活のすべをなくした住民たちを前にして「魂の救い」を語る教会は隣人愛と教会の再生・発展拡大を語っても、目の前の原発に怯える人たちの問題を直視してその原因を明らかにしようとはしません。
これは地域社会において外国人を二級市民とする日本社会のナショナリズムと酷似していませんか。「ナショナリズム」と「信仰」のいずれもが固定的な観念となり、現実を直視し行動する決断を鈍らせているということはないでしょうか。(「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」事務局長)
(「平和を実現するキリスト者ネット ニュースレター119号 2011年9月10日発行」)

参考文献
崔勝久・加藤千香子共編『日本における多文化共生とは何かー在日の経験から』(新曜社 2008)
崔勝久「人権の実現―「在日」の立場から」(斎藤純一編『人権の実現』(講座全5巻「人権論の再定位」法律文化社2011)
崔勝久ブログ:OCHLOS(オクロス)  http://www.oklos-che.com/

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