2011年9月13日火曜日

釜ヶ崎の本田哲郎さんとの対談ー(その2)寄場に変化はあるのか

ー(崔)本田さんが釜ヶ崎に来られて24,25年ですか、釜ヶ崎は変わりましたか?
(本田)大分違ってきています。しかしその違いは本質的ではありません。表面的には街がちょっときれいになったですかね。野宿労働者に生活保護をいつでもうけれるという選択肢ができた、そいうことで支援する側と当事者の間で妙な緊張感がなくて済むということがあります。やたら支援者の方が責任を感じてしまうということはないですね。
釜に来て5年くらいで散髪をはじめたでしょう。そのときに比べて一番はっきりと違いがでてくるのはしらみを持っている人がいなくなった、ということですね。

ー川崎では若い人が最近増えたという印象ですが、こちらはどうですか?
(本田)そうですね、こっちもそうですね。だんだん増えていますね。20代、30代。

ー同時に高齢化も進んでいますね。さきほど案内してくれた人も70歳でもう働いていないと言ってました。
(本田)多分、生活保護を受けているんでしょうね。

ー生活保護に関しては最近批判的な人は増えていませんか。
(本田)そうなってます。生活保護を受ける申請のハードルがまた高くなって来てます。特に一度生活保護を受けて失敗して再申請しても今までは、何か月も待つということもなかったのですが、支援者と一緒でも今それは難しくなってます。

(その3)釜ヶ崎での「逮捕事件」について
(釜ヶ崎大弾圧糾弾!釜ヶ崎労働者、野宿者、震災被災者から、選挙権を奪うな! http://hatarakibito.at.webry.info/201105/article_1.html )参照。
野宿者は住まいがないということで住民票がとれず、そのために選挙権を行使することができないでいます。そこで行政側と住民が交渉して、慣例として解放会館に住居票を設定することになっていたのですが、行政は一方的にその約束を破棄し、住民票を削除しました。
大阪市選管は、「投票所で簡易宿泊所の領収書などを見せて、地域に4ヶ月以上居住していることが証明されれば、投票所で住民票を復活し、投票させる」と約束したのですが、その周知をしなかったので支援者が広報活動をし投票に行くことを住民票を削除された住民に呼びかけました。
今回、投票所を警備していたガードマンの公務を妨害したということで「威力業務妨害」で、現地の活動家、牧師、映画作家、ジャーナリスト4名が起訴、拘束されました。
救援会では、「この釜ヶ崎の住民票、そして選挙権の問題は、おりしも東日本大震災によって被災した何十万という方々の問題でもある。遠く離れた避難先で、故郷における住民票はどうなるのか、選挙権はどうなるのか、お金がなく家がなく住民票がない貧乏人や被災者には、選挙権はないのか?まさに日本の民主主義を根底から問い返す問題である」と、主張しています。

ー「逮捕事件」の本質的な意味をどのように捉えていらっしゃるのですか。
(本田)事実関係は報告書などでご覧になっていらっしゃるでしょう。要するに、住民票を持っていないという人はかつての無宿人という文化的な捉え方ですね。それと非人というか、士農工商、エタ、非人とあった(ヒエラルキーのー崔)一番下の非人扱いですね。こういう感覚は日本人のDNAの中に刷り込まれているのかなと思います。
例えば障碍者の人に対しては守ってあげなくてはということはあっても、住むところのないホームレスの人に対しては、事業自得という差別的な偏見が定着してしまっています。だからそうじゃないといことを支援者が説明してもそのまま認めないですね。

ー自己責任ということが逆に利用されて、自業自得とおっしゃいましたが、自分が悪いという罪責感をもたされるようになりますよね。
(本田)そういうように本人自身が思い込まされてしまう、罪責感をもたすように上手にしむけているということですね。

ー住民票がないということは選挙権がないということですね。そういう意味では外国人も住民票がなく選挙権がないということとつながります。そもそも選挙権って何なんだと言うと、市民社会の成立の中で一定の制限・条件によって有資格者が選ばれたわけで、奴隷・女・外国人・貧乏人は「市民」ではなく、選挙権はなかったわけです。その流れが今に至り、同じ住民であっても国籍や住居の有無で選挙権の制限を加えているということになります。それは国民国家という枠がそのようなことを作りだしているとおもうのですが、いかがでしょうか。
(本田)そうだと思いますね。戸籍とか住基法とかという制度自体がそこ(国民国家ー崔)になるんでしょうね。だからそこかた排除されるともう無権利状態にならざるをえなくなる。5-6年前までは野宿者の生活保護の申請さえも受け付けなかったわけですね。
自分が住んでいる、借りているアパートでもなんでも住まいがなければ申請できないということでした。申請資格としては不動産屋さんと交渉して自分が借りるアパートを確定しなさい、それから申請に来なさいと言われていたんです。

ーそれは実際にはやらない、ということですよね。
(本田)それがリーマンショック以降、世界的にそういう仕事に就きたくとも就けない状況だということを政府も認めざるをえなくなったんですね。そのきっかけになったのが日比谷での湯浅さんたちの派遣村の運動ですね。あれ以降、地上から直接申請できる(アパートを借りているという証明はなくともよいー崔)というようになり、敷金も国が支給するというように変わったわけですよね。

ーそのことが徹底されると(国、行政としては出費ということでは)大変なことになりますよね。これまでの制度を全部変えすべての申請者に生活保護を与えるということにはなっていきませんね。
(本田)個人で役所と交渉してもなかなかむつかしいでしょうね。個人の申請だと認めなくても交渉団体がこの人は本当に住まいがないと言えばそれを認めるようにはなってきましたね。

ー日比谷の件は日本の不況の中での出来事ですが、低成長下での生活保護者への手厚い支援というのはむつかしくなってますね。分けるパイが無くなってきているわけですから。社会的弱者や外国人に支援していくことに社会全体が反対していくということなりませんか。
(本田)そのうちになっていくでしょうね。まだそこまでは変わってきてはいませんね。そうなると運動としては本家帰りしなくてはならなくなります。順法闘争はやってられなくなって、また暴動みたいなかたちでの怒りの表し方をせざるをえなくなるでしょうね。そこまで追い込まれる前に、生活保護法とかというものの運用の仕方をもっときちんと見直してほしいと思いますね。

ー「運用」というのが実は曲者で、結局担当者の胸算用になりませんか。担当者にいくら誠意があってもかれらも2-3年で職場が変わるわけですから、川崎でも担当者が実情をよく知らず、マニュアル通りにするということで情を断ち切るかたちで「運用」するようになっていますね。マニュアル通りにするということは「運用」で差別をするということになりませんか。ここはまだ運動の力が強いんですかね。
(本田)なんだかんだ言ってもそうですね。

ー行政にとっては「運用の慣例」というのが大変な力を持っています。10年以上、川崎市とやりあっているのですが、「当然の法理」のように外国人を採用しても管理職や一定の職務にしか就かせないというのは、「運用マニュアル」のなかで決めているのです。これは法律でも条令でもないのですが、行政にとっては「運用」の元になる政府見解は憲法や法律より上だと公言していますから。権利の要求を貫徹するには、闘いの主体がないとむつかしいということになりますね。闘いの主体は状況が厳しくなれば作られてくると考えていらっしゃるのでしょうか。
(本田)私はそう思ってますね。例えば私が釜に移ってきてまもなく、西成警察とやくざとのからみで5日間くらい、暴動が起きました。あれは第一次の暴動(61年)のときから20年以上経っており、もう釜ヶ崎では暴動はないと言われていたんです。それがこと社会正義に反するような事態になると、とりわけ労働者の人権が蔑にされるようになると、暴動が起こってくる。
その後2-3年経って、92年くらい、3日間くらいの暴動がまたありましたね。それは労働者に福祉的な援助金をだすと約束しておきながら、毎日2000円限度でお金を配るということだったので銀行前に長い列ができ、すぐに銀行がパンクをしてシャッターを閉めてもうやりませんということになり、なめんとんのかということで暴動があったんですね。おちょくるような、こどもだましいのようなことで、労働者をなめてるという怒りでしたね。だからぎりぎりまでみんな我慢をする、だけどある時点で暴動になるんじゃないですか。
決してそれは左翼の日雇い労働組合が「ケツを掻く」というようなことでは一切なかったんですよ。本当に一労働者が立ち上がったということです。

ーそれは日本全体が関係するんですが、市民革命がないなかで、民主化が進み平和の世になった、豊かになってきたとい「幻想」の中で、一部の山谷、釜ヶ崎では暴動があったがそれは特殊状況だとされ、一般の市民社会ではそういうことはなかったですよね。湯浅さんたちは釜ヶ崎の状況が一般社会に浸透し、一般の人がホームレス化していった、家族の崩壊もあり、ハウスレスではないがホームレスによって家庭内殺人がおこるような荒廃状況になっていると捉えています。九州の牧師の奥田さんなんかもそういう捉え方ですね。そうすると厳しい状況になると、寄場である釜ヶ崎では暴動が起こるかもしれないが一般社会では暴動が起こりえないということになるのでしょうか。釜ヶ崎にいる人たちの質もまた変わってきているということはにでしょうか。
(本田)それは変わってきていますね。現代の若者の共通した、あまり他者と関係性を持ちたがらないようなものがありますね。だからつながりにくいというものがあるのかもしれません。寄場のように絶えず顔を見合わせているようなこういう空間がなくなってくとそれこそ分断されて立ち上がる元気もなくなるということになるでしょうね。仲間がいるから怒りも共有化しやすく、行動に移れるということだと思います。
行政がいつも生活保護申請にあたってアパートをどの辺に探すかというときに、西成以外の釜ヶ崎から離れたところに探しなさいと言って分散させるのです。

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