2011年2月24日木曜日

「力道山の世界」から思うこと。

最近、私のブログがどれほど読まれているのか、統計を見て、それに含まれないが私がMLからメール通信で送っている人の数を足してみました。あくまでも延べ人数ですが、この2年で10万人になります。いや、驚くべき数ですね!

今朝、Twitterで下の二つを「つぶやき」ました。

問題提起その(1)、「昔の写真(2) 力道山関係 」http://t.co/oNFbNWf 力道山の媒酌人の大野伴睦に注目。日本の英雄、力道山を南北朝鮮及び日本の支配者は利用したかったようです。そして力道山は慎重にそれに乗りました。そうするしかなかったのでしょう。

問題提起その(2)、「在日」の解放とは何か。「批判」を「利敵行為」で抹殺するのはなし。私の主張は、国民国家の相対化です。これに例外はありません。社会主義思想と民族愛から「北」に渡り、韓国で逮捕された「在日」は、その後、そのときの思想をどのように総括・発展しているのでしょうか。

解説は不要でしょう。(1)は説明不足ですね。村松友視は尊敬の念をもって力道山の「民族的」な背景にまで言い及んでいます。他の「在日」のライターも書いているようですが、私は読んでいません。村松は「アウトロー」の世界の臭いにも触れていますが、他の「在日」ライターがどこまで肉薄しているのかわかりません。

「アウトロ―」、反社会的団体は許すべきでない、という正論はわかります。しかしどうして「やくざ」に「部落民」や「在日」が多いのか、「第三国人」と言われた戦後の「在日」の実態はどうであったのか、彼らを時の為政者はどのように利用してきたのか、この辺の解明は不可避でしょう。

先日、ある地区のY組の「在日」の大幹部と会いました。呑みながら、私と彼は全く正反対の立場にいるようでありながら、とても似ていると思いました。そう言えば、親父のボクシング・ジムには戦後、練習生として「やくざ」の親分になった人が多く来ていたそうです。しかし親父はそのような人たちとも交わりながら、私には、「やくざ」に頼みごとをしてはいけないと話してくれたことを鮮明に覚えています。

その(2)は、反論・批判が多いでしょう。徐勝は立命館大学のコリア研究所のトップでしたし、徐勝は「在日」を代表するイデオローグで多くの日本人研究者・活動家との親交を深めています。その流れの中で、彼は、花崎批判をしたのだと思います。最近韓国で、「在日」が時の為政者によって「でっち上げ」られたことが明らかになったという報道がありました。今思い返すと、日本のマスコミは全て、「在日」の韓国での逮捕は「でっち上げ」としていました。運動側もしかりです。

しかしその後、「でっち上げ」事件があったのは明白ですが、同時に、多くの「在日」が民族愛と社会主義思想で「在日」「民族」の解放を願い「北」に行ったことは明らかにされました。すると今度は、行ったことが何故問題なのか、どうしてそれを南の政府は裁けるのかという論理になってきました。私はそのことには触れません。確かに韓国政府が「北」に行っても捕まらないのに、どうして「国民」はだめなのかという提起は確かに一理あります。

しかし私が問いたいのは、「北」に行った「同胞」はその後、その時に抱いていた「民族解放」の思想をどのように総括・発展させてきたのかということです。彼らを批難しているのではありません。徐京植の著作を読んでも同意するところが大部分ですから。そのときの当事者から是非、その後の「解放」についての思想の変遷を書いてほしいと願います。

朝鮮戦争のさ中、日本から飛び立つ飛行機が朝鮮半島に行き爆撃するのを阻止したいと思った「在日」が多くいたことはよくわかります。そのとき以来、共産党は六全協のとき日本共産党は国籍条項を採用し、「在日」もまた、国民国家の論理・建前の上で行動することを当然視し始めたのです。日本に住み生きていくのに、「在日」は国籍条項の拠って立つ、国民国家の理屈に従わなければならないのでしょうか?

私はその論理を相対化して、自分の住む「地域社会の変革」に関わらない限り「在日の人権の実現」はおぼつかないと考えるようになりました。みなさんの意見はいかがでしょうか。反論、批判をお願いします。

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