2018年5月16日水曜日

日韓ジョイント講演会のお知らせ


WANTED:共催団体&賛同人!
       日韓ジョイント講演会
朝鮮半島情勢の変容と日米歴史責任の所在
  東アジア平和構築の前提とは何か?
  講師:金民雄(キム・ミヌン)韓国慶熈大学教授  纐纈厚  (こうけつ・あつし) 明治大学教授
日時:  2018616日(土) 午後12時開場 午後13時~午後17
場所:明治大学 リバティ・タワー1032号室 <御茶ノ水駿河台校舎>
会費:  無料
講演会趣旨
 4・28の歴史的な板門店宣言によって朝鮮半島の 非核化による平和と繁栄が謳われました。それを受けて6月12日に米朝首脳会談が行われます。世界史の大きな転換期になることが期待されますが、しかしそれを朝鮮半島の緊張緩和とアジアの平和にむけた確実で内容あるものにしていくためには、 現在に至る朝鮮半島の分断と緊張をもたらしたものが何であったのか、歴史的な解明が必要不可欠であると思われます。
特に、あまり語られることのない日本の植民地支配の清算の問題とその影響、アメリカの戦後の原爆投下をはじめ帝国主義的な世界支配を求めてきた実態の動向と日米の関係を歴史的に解明した上で、朝鮮半島の緊張緩和、アジアの平和にむけた両国の果たす役割は何なのか、日本、韓国からお二人の教授をお迎えして問題提起をしていいただきます。

講演会後の自由討論:スカイプで日本各地と韓国をつなぎ映像を流しますので、自由討論の場で自由にお話下さい。なお、スカイプのアドレスの事前の通知をお願いします。


主催:NPO法人NNAA、日韓/韓日反核平和連帯
協力:CNFE国際連帯プロジエクト
賛同人:早尾貴紀(東京経済大学教員/社会思想史研究)、宋安鍾(国立大学法人金沢大学教員/ラーマクリシュナ・ミッション日本支部正会員/朝鮮半島地域研究、コリアン・マイノリティ研究)、宮平真也(流通経済大学教授)、平井玄(文化批評家)、鵜飼哲(一橋大学教員)、半沢英一(数学者)

担当者・崔 勝久( che.kawasaki@gmail.com,090-4067-9352 )


2018年5月10日木曜日

安倍政権の北朝鮮に対する外交方針に異議あり


安倍政権の北朝鮮に対する外交方針に異議あり。

5月10日の朝日新聞によると、中韓両首脳は日本に対して「日朝対話」を求めたのと対象的に、安倍首相は「拉致、核、ミサイルの諸懸案を包括的に解決し、北朝鮮が正しい道を歩むのであれば、日朝平壌宣言に基づき、不幸な歴史を精算し、国交正常化を目指す。」と4月20日の記者会見と同じ内容を語っている。そこには4月28日の板門店宣言はまったく反映されていない。

  2018年4月26日木曜日
  この1週間の注目すべき新聞記事とそれに対する私のコメントを紹介します
  http://oklos-che.blogspot.jp/search?updated-max=2018-04- 28T07:34:00%2B09:00&max-results=7
  
問題点
1)そもそも日中平壌宣言は、「両首脳は、日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立することが、双方の基本利益に合致するとともに、地域の平和と安定に大きく寄与するものとなるとの共通の認識を確認し」、そのうえで、「双方は、この宣言に示された精神及び基本原則に従い、国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注する」ことを謳っており、その努力の開始にあたっていかなる条件も付けていない。

  日朝平壌宣言 平成14年9月17日
  http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_koi/n_korea_02/sengen.html
  
2)この宣言の具体化の話し合いの前に、北朝鮮が「拉致、核、ミサイル」問題を「包括的に解決」するという「正しい道」を実行しなければ、北朝鮮との「対話のための対話」はしないとして、宣言を実質的に反故にしたのは安倍首相である。

3)アメリカは北朝鮮に対して経済制裁をしながらも秘密裏に非核化やミサイルなどの武器に関しての対話を続け、昨日、3人の拉致された米国人が解放された。朝鮮半島の非核化の解決は朝鮮戦争の終結がない現状では簡単ではなく、米朝双方が朝鮮半島の非核化による平和と繁栄を謳った板門店宣言という歴史的な快挙の上で、その実現(ゴール)に向けた話し合いをするしか道はない。

4)にもかかわらず安倍首相は板門店宣言を称えるものの、北朝鮮の「具体的な行動」を見守ると第三者的な発言に終止し、自ら板門店宣言の実現に協力していくという前向きな姿勢を一切見せていない。そして拉致問題に関してもトランプ大統領と文大統領に解決のメッセージを託すだけで、自らが北朝鮮に乗り込んででも解決するという行動をしていない。すべてはトランプの意向に従い、その結果を受け入れるという受動的、依存的な対応でしかない。

5)米朝首脳会談は場所も、日程もアジェンダも公表されていないが、トランプ大統領は板門店宣言の到達点を踏襲するしかなく、朝鮮戦争の終結を必ず具体化し、朝鮮半島の非核化と米国への攻撃を可能にする北朝鮮のミサイルの破棄を実現させることは間違いないない。文大統領は、「ノーベル賞(名誉)はトランプ大統領に、自分たちには平和」があればいいと発言したことは意味深い。東洋の平和は朝鮮半島を核に進められ、その歴史的な流れに日本は参加できるのか、安倍を含め日本国民の対応がどうなるのか注目したい。

2018年5月5日土曜日

韓国映画の「タクシー運転手」から忘れられない場面の紹介

昨日、韓国映画の「タクシー運転手」を見ました。
「光州事件)をめぐる韓国現代史を普通の国民の視点から取り上げた傑作です。ソン・ガンホ演じるタクシー運転手が主人公ですが、虐殺があった光州市の住民もまた映画の主人公です。
この映画の最後で映画にでていたドイツ人の記者本人が最後に登場し、このタクシー運転手に会いたい、そして彼のタクシーでソウルを回ってみたいと言ってます。私はこの発言を聞き、
韓国の「栄光と挫折」を経た「苦難の歴史」があって、「市民キャンドル革命」があり、「板門店宣言」があったのだとしみじみ思いました。
タクシー運転手、キム・マンソプの運転するタクシーで「市民キャンドル革命」の現場と、「板門店宣言」で朝鮮半島の平和を語る北朝鮮の金正恩委員長と韓国の文在寅大統領が38度線で握手をする場面をソウルの光化門広場のテレビを涙を流しながら食い入るようにみていた市民の姿を、このドイツ人はしっかりとあの世から見ていただろうと思いました。
この映画館は満員でした。ソン・ガンホのフアンも増えたことでしょう。私は日本政府とマスコミ、ネトウヨの発言から日本に対する怒りと諦めの気持ちがありましたが、この映画に感動し日本の変革を願うであろう日本人市民がたとえ少数でも実際に存在することを実感し、このような人たちがさらに増えていくことを心から願う気持ちで映画館を出ました。

帰り道、興奮冷めやらない私は妻としばらく歩きながら、映画の話をしました。心に残る場面はたくさんあるのですが、その中でも、何の説明もなく、思いがけない場面がさりげなく出てきました。それは軍人による光州市民の虐殺があり光州市が完全に封鎖されていたのに、お金が必要でドイツ人記者を乗せソウルから光州に連れて行ったタクシー運転手は、そこで光州市民の気持ちに触れ、虐殺事件の現場を見て真相を知るのです。そしてその現場を撮影したドイツ人記者を乗せ、タクシー運転手は光州からの脱出を図ります。撮影した画面を世界中に流すと約束したドイツ人記者を出国させるためです。

しかし光州市を出る直前、警察からの通報で、外国人記者を捕らえよと指令が伝えられるのですが、ドイツ人記者を乗せたタクシーは検問で捕まり、車のトランクを開けた一人の責任者らしき軍人が隠されていたソウル市のナンバープレイトを見つけます。万事休す、です。しかしそのとき、その軍人は部下にタクシーを検問所から出せと命じるのです。その検問所を脱出したタクシーは警察から追いかけられるのですが、タクシーを無事逃して広州の実情を世界に知らせると約束したドイツ人記者を出国させようとかけつけた光州のタクシー運転手たちの命を賭けた抵抗によって、無事出国し、翌日、光州市の映像は全世界に報道されるのです。

検問にいた若き責任者が、そのタクシーこそ警察が追っているドイツ人記者を乗せたタクシーだとわかったのに、どうして表情も変えず、何の感情を見せないで検問から出せ(=逃がせ)と部下に命じたのでしょうか。映画では、一切、その説明はありません。ただし軍人の話す言葉が全羅道の訛りであったことから韓国人はその軍人もまた光州市に関連する人間であることはよくわかっていたことでしょう。

私の妻は、軍人の中にも広州市の虐殺をよく思ってない人がいたということね、と言わずもがななことを言ったので、私は生返事をしてしまいました。たしかにそのとおりでしょう。「タクシー運転手」のチャン・フン監督もまたパンフの中でその場面に関しては何も語っていません。徴兵制で韓国の青年は軍隊に入り、軍隊の厳しさを見ているのですが、彼らもまた、この検問所での軍人としては許されぬ「裏切り行為」にほっとしたことでしょう。心にしみる、いい場面でした。

2018年5月1日火曜日

外国人への「門戸の開放」を実現した「川崎方式」の検証―多文化共生を考える


外国人への「門戸の開放」を実現した「川崎方式」の検証―多文化共生を考える
 崔 勝久                                                         
 2004年12月4日 (5月1日、更新)

 《東京都知事を訴えた鄭香均さんを囲んでの川崎集会》       

はじめに
 川崎では在日韓国教会の保育園を中心にした地域での教育活動(1969年)があり、外国人市民の差別に抗して人間らしく生きようとする動きが多くの日本市民の共感を呼び、協働して、国籍を理由に解雇された朴鐘碩(パク・チョンソク)氏の日立就職差別裁判闘争(「日立闘争」1970-1974年)や、児童手当や市営住宅の入居資格の国籍条項撤廃運動(1975年)、「川崎信用金庫事件」(1978年)などと取り組んできた歴史があります。その過程で在日朝鮮人は自尊心を回復しながら、具体的な運動の成果を積み重ねてきたのです。その流れのなかで「多文化共生」を掲げ行政と提携した、公設民営の社会福祉法人青丘社ふれあい館の「誰もが力いっぱい生きる」ことをめざす新しい活動がはじまりました(1988年)。在日子弟だけでなく、急増するニューカマーや高齢者、障害者を対象にした地域での幅広い活動をはじめています

一方川崎市は、革新市政の時代からの「指紋押捺拒否者の告発はしない」(1985年)という伊藤三郎元川崎市長の表明を皮切りにして、市内の公立学校に通う在日子弟の教育問題に取り組むために外国人市民(特にお母さんたち)の要望に応えて「川崎市在日外国人教育基本法―主として在日韓国・朝鮮人教育―」の制定をしました(1986年)。現在、「差別の根絶に向けた施策の実施と条例制定の提案」を掲げて二期目の当選をした福田市長の下で、差別や偏見のない社会を実現するための施策が進められています。民族差別だけでなく、「あらゆる差別を許さず、偏見をなくしていくためには、その基本となる条例が必要」という有識者会議の答申に対して市長はヘイトスピーチへの対応を含めて、「答申を踏まえて施策を展開していきたい」(神奈川新聞、<時代の正体>2018年3月29日)と述べています。

この小論においては以下の2点のことを取り上げ検証します。第一に、私の個人的な経験ですが、実は東京都の外国人保健婦第一号の鄭香均さんが国籍を理由に課長職の試験が受けられずに都知事を相手にはじめた「都庁国籍任用差別裁判」(1994-98年)の過程で、私は川崎市のことをよく聞けば彼女の裁判闘争に助けになるのではないかと思い、川崎市の人事課に行って「川崎方式」によって政令都市で初めて外国人への「門戸の開放」(1996年)をした川崎市の実情を聞きました。しかし人事課の話を聞いていくと、「あれ、おかしいな、東京と同じではないか」と思いはじめ、政府見解の「当然の法理」がいかに地方自治体の外国人の人事(任用)施策に関して絶対的な力をもっているということをあらためて思い知らされることになりました。この「当然の法理」及び「川崎方式」について積極的に問題提起をし、具体的な動きをするところは現在、行政内部においても、また運動側にもないようです。マスメディアでも大きくとりあげられていません。このふたつがどのような問題を抱えているのかということを検証します。

第二に、外国人市民の人権の実現のためには、地域の変革が不可避であり、「開かれた地域社会」を目指すことにつながるということを記します。行政とは協力しあいながらも、「開かれた地域社会」に不可欠な住民主権に基づく活動は必ずしも、行政の枠組みの中でその影響力の行使によって実現されるということではありません。先の第二次大戦の労働運動や女性運動、部落解放運動などがすべからず国家を通しての運動になって本来の使命をはたすことができなくなったという歴史を顧みるとき、差別偏見のない社会は地方自治体の指導下で育まれるのではなく、地域住民の日常的で自発的な営為と住民間の密接な関係性のなかで生まれてくると考えるからです(注)

. 鄭香均さんが問うた「当然の法理」の実態と問題点
①「当然の法理」について
 鄭香均(チョン・ヒャンギュン)さんが東京都の職員になったというのもまた、「日立闘争」の流れの中でのことです。私自身が大学生のときは在日朝鮮人が大企業に就職するというのはありえないことでした。それが朴鐘碩氏の「日立闘争」の勝利判決以来、国籍を理由に解雇してはいけない、差別は許されないという運動が全国的なものになりました(民族差別と闘う連絡協議会[民闘連])(1974年)。そして弁護士に在日朝鮮人もなれる(金敬得 1977年)、地方公務員でもなれるという大きな流れにつながり、鄭さんも東京都の職員になりました(1988年)。

鄭さんは外国人として試験を受け東京都の外国人保健婦第一号になったのですが、しかし10年後、同僚の推薦で課長になる試験を受けようとしたところ、外国籍の人は課長の試験は受けられませんよといわれて申請用紙をもらえなかったのです。それがきっかけではじまったのが鄭香均さんの裁判です(東京都任用差別訴訟 1994年)。それは職業選択の自由、法の下の平等および人種差別の禁止に反するという訴えです。鄭さんが課長試験を受けられないという根拠になったのは政府見解にすぎない「当然の法理」でした。しかし、東京都の募集要項の中では国籍条項のことは何も記されていませんでした。募集要項の中に管理職の受験者は日本人に限るという記述は何もなかったのです。

「当然の法理」は1953年、日本の独立直後の日本籍を喪失した外国籍公務員(台湾人、朝鮮人)の処遇に対する内閣法制局の見解です。「公務員に関する当然の法理として、公権力の行使又は国家意思の形成への参画にたずさわる公務員となるためには日本国籍を必要とする」、これが今日に至るまで全ての地方自治体が従う基準になっています。国家と地方自治体との関係は2000年の地方分権一括法で対等になっているはずですが、法律でも条例でもない政府見解がどうしてここまで実質的な拘束力をもつのか、その法的根拠は何か、いまだ解明されていません。

1953年の「当然の法理」は、独立にあたり新たな国づくりに取りかかった日本国政府が外国籍公務員として残った台湾人、朝鮮人の位置づけを明らかにした見解ですが、私たちはその根底には排外主義なナショナリズムがみられ、個の人権よりも国家を優先する植民地主義史観の残滓を払拭しきれないでいると考えています。日本国は日本人のものであり、外国人が公務員になることを禁止はしないまでも、管理職に就いたり(「公の意思形成」)、公権力を行使する職務に就くことは許されない(「公権力の行使」)、それは日本人しかやってはいけないことに決まっている、言うまでもない、これが「当然の法理」です。

内閣法制局の「当然の法理」という見解によって、旧植民地下で「日本人」公務員であった台湾人、朝鮮人は日本の独立後、改めて日本国籍をとるか(帰化)、そうでなく外国籍公務員として残っても管理職に就けず、働ける職務も限られるということになりました。この措置の背景として、日本国はそもそも植民地主義政策で台湾、朝鮮を合併支配し日本国籍を強要してきたことに対する責任と謝罪の上で、日本に残った台湾人、朝鮮人にどのような施策をするべきなのかという、旧宗主国としての責任を明示してこなかったという歴史があります。日本の敗戦後サンフランシスコ講和条約までは、日本に残った台湾人、朝鮮人は一律、日本国籍を持つ者とみなされながら外国人登録を強いられ、第三国人と位置づけられていました。日本政府は日本に残った朝鮮人を迷惑な存在とみなしできるだけ日本から追っ払いたいという思惑から、10万人の在日の北朝鮮への帰還事業を成功させたのです(1959-198年)(注)

私は旧宗主国は、植民地支配下で日本に残った台湾人、朝鮮人には無条件に日本国籍を認め、希望者にはどの国籍を選ぶのかの選択の自由を認めるべきであったと考えます。しかし実際は日本の独立にあたって、旧植民地下の民衆の意見や希望を聞くとか、選択肢を提示するということは一切、なかったのです。

② 「当然の法理」を取り上げる思想的な意味について
 私たちがどうして公務員の人事(任用)に関する「当然の法理」にこだわるのか、この点を明確にしておく必要があります。それは「当然の法理」は公務員の人事(任用)に関する政府見解でありながら、基本的人権よりも国民国家をすべての前提にした、排外主義的なナショナリズムに結びつく可能性を秘めていると考えるからです。したがって、香均さんの今回の闘いは「当然の法理」という公務員の差別制度に対する闘いですが、実は公務員の人事制度の問題を通して、一般の企業や団体、地域社会、家族、個人においても、戦後の日本が植民地支配の反省、清算をどのように捉え新たな日本社会を作り上げていこうとするのかを問う質を持っているのです。

 グローバリズムによって資本は国境を越えていますが、それは国民国家の確固たる地位と力(軍事力)に支えられています。そして国籍や民族を理由にした差別の根幹には国民国家を前提にしたナショナリズムがあります。だから私たちは「当然の法理」が全国の自治体の外国人施策の根幹とされることで、一般の日本人市民の無意識の領域に存在する排外主義的なナショナル・アイデンティティを肯定していくことにならないように注意を喚起するのです。

③ 最高裁の判決について
今回の最高裁まで続いた鄭香均さんの裁判闘争は、外国籍公務員の人事(任用)に制限を加える「当然の法理」とは何か、本当にそのよう差別が許されるのか、その根拠は何かを明らかにして、これまで日本社会で外国人を排除、制限することが当然視されてきたことを根底から問うものとして、大変重要な歴史的な意義を持っていると考えます。それは「日立闘争」において日立という一企業の差別事件が、実は歴史的に日本社会全般において日常的に行われていた事例であったことを横浜地裁が認定したことと、今回の訴訟で「当然の法理」を問題にすることが通底していると考えるからです。東京都の国籍を理由にした差別は、日本社会では当然のこととして受けとめられてきましたが、そのようなことが許されていいのかを問うた鄭香均さんの裁判は、地裁で敗訴、高裁では勝訴したのですが最高裁では敗けました(2005年)。

しかし最高裁の判決は東京都が鄭香均さんの課長職受験を「当然の法理」を理由にして拒んだことを違法とはしなかったのですが、注目すべきこととして、外国人の公務員就労を前提とした上で、各地方自治体の外国籍公務員の管理職登用それ自体は否定せずまた、外国籍公務員が就いてはいけない職務は何かについて具体的な言及をしませんでした。従って、外国籍公務員の管理職登用とどのような職務に就くのか(就いてはいけないのか)を決めるのは各地方自治体の判断、裁量であるということになりました。すなわち、「当然の法理」で制限した職務(「公権力の行使」)の内容と管理職登用(「公の意思形成」)は各自治体が判断、決定するということです。

残る問題は、各地自治体が最高裁判決を根拠にして、外国籍公務員に対して国籍を理由として職務と管理職登用で制限してきたこれまでの慣例を独自の判断で突破する明確な意思をもつことができるのか、そしてその意思を地域住民が賛同するのかということになります。これは行き着くところ、地方自治体の人事における自立性の問題にとどまらず、地方自治体と国家の関係及び個人の人権の問題をどのように考えるのか、ということになります。その議論を深めるには国民国家に固有なナショナル・アイデンティティを絶対化しないということが必要になります。そして何よりも、個人の人権は民族や国籍にかかわらず尊重されるべきであるという確固たる人権意識が求められます。地域社会にあっては国籍と民族の違いを乗り越え、人権の問題を地域全体の問題としてとらえるという、ナショナル・アイデンティティを超える人権意識、思想を育み、幅広くそれを共有化し全世界の市民とつながることが求められるのではないでしょうか。

2. 「川崎方式」が内包する問題点
①「当然の法理」を前提にした「川崎方式」
川崎市は国の意向に反して外国人の門戸を開放した(1996年)NHKニュースなどでも報道されましたが、本当にそうなのでしょうか。実は「川崎方式」の「門戸の開放」というのは、ふれあい館を中心とした市民運動側と市職労、川崎市が外国人の「門戸開放」を政令都市として初めて実現させるために協議をして、オール川崎で作り上げたやり方のことをいいます。その目標にとって最大の難関は、国が「公権力の行使」と「公の意思形成」を絶対的な条件とする「当然の法理」でした。オール川崎はその「当然の法理」を前提にし、それに抵触しないように「多文化共生」を掲げてこれまでの各自治体における先例を調べ、智恵を出し合って川崎市の独自のやり方を見い出したのです。それは、「公権力の行使」にあたるかどうかの川崎市独自の判断基準を設けることで、3000を超える全ての職務を検証・選別して「門戸の開放」を実現させるというやり方です。そのようにして全職務の2割は「公権力の行使」の職務と認め外国籍公務員の制限をしましたが、残り8割は「門戸の開放」をしたということです。

「川崎方式」は実は、根本において、「当然の法理」を絶対的な基準にする国の見解を大前提にしたため、国の見解に抵触しないやり方を見つけ出すしかないという判断に立ちました。言い換えれば、「当然の法理」は差別であり問題があったとしても、その点では国と妥協をしてでも、最大目標の「門戸の開放」を実現させようとしたということなのです。

 川崎市が外国人には門戸を開放するけれども採用された外国人の職務と管理職への昇進の制限を決定するにあたり最終的に作成したのは、「外国籍職員の任用に関する運用規程‐外国籍職員のいきいき人事をめざして‐」(「運用規程」)です。外国人の門戸の開放のために「当然の法理」に抵触しないように「運用規程」を作ったということは、結果として「当然の法理」の差別性を問わずその差別を前提にしたことになります。そういう意味では政令都市で川崎市がはじめて「当然の法理」を制度化し、「当然の法理」の差別性を正当化したのです。これは川崎市だけでなく、青丘社ふれあい館を中心とした市民運動、そして市職労が一緒になって「多文化共生」を掲げ、これまでの川崎における闘いの実績の上で、いわばオール川崎で門戸の開放を実現させたということになります。

② 「川崎方式」の問題点―川崎市のリストラ政策との関係
私は川崎市が「門戸開放」を実現したので外国人施策では日本でもっとも進歩的な市であるという印象を持っていたんですが、東京都とまったく同じ実態であったことがわかりました。むしろ東京都になかった「当然の法理」を「運用規定」というかたちで制度化し、「当然の法理」を正当化したところが川崎市であり「川崎方式」です。それでは外国人への門戸開放を実現させるための「川崎方式」の一体、どこに問題があるのでしょうか、検証を進めましょう。

 まず「川崎方式」で作られた「運用規定」で外国人には就かせないとした職務とは何であったのか? 川崎市は門戸開放宣言から1年間は外国人には「182の職務制限」(1997年当時)をするとしたその職務の内容を公開せず、私たちとの交渉の中でも答えませんでした。なぜ1年間公表しなかったかというと、そもそも「運用規程」は正式名称が「外国籍職員の任用に関する運用規程‐外国籍職員のいきいき人事をめざして‐」というのですが、門戸開放をして新たに入る外国籍公務員のために作られた人事マニュアルです。川崎市は市の今後の総合的なあり方に関連させるために全職員の中長期的な人事構想で「ジョブ・ローテーション」と言われてましたが、全職員にどんな仕事でもこなせる能力を持たせて組織をよりスリムにして合理化するために作った大きな構想の中に外国籍公務員の人事(任用)システムを組み入れて、組織全体の合理化につなげたかったわけです。これは当初、私たちも見抜くことができませんでした。

 川崎市の人事課の資料には今後10年間の人事のあり方を明示した大きなチャートがあってそれを見ると、その中で外国籍公務員の「運用規定」はひとつの小さな図で描かれていて、市にとってごく一部の問題であることが一目瞭然でした。「外国籍職員の任用に関する運用規程」は川崎市の「新総合計画」・10年計画の中の人事政策に入っており、川崎市の大きな構想の一部にしか過ぎないのです。ですから川崎市は、この10年計画を完成させるまでは、外国人への門戸開放を宣言しても、外国籍公務員には182の職務制限をするというその職務内容を公開しなかったのです。

川崎市は外国人の門戸開放のために「運用規定」を作ったのですが、実際は市としての総合計画で実現したい、職員の能力を高め合理化を進める「ジョブ・ローテーション」というリストラにつながる計画があり、その計画をスムーズに通すために外国人の「いきいき人事」を謳った「外国籍職員の任用に関する運用規定」の作成を市長権限で前にだしたということです。ですから市職労はその時点では、外国人の門戸開放はいいことだと考え、それが自分たちのリストラと関係しているとは捉えていなかったということです。

③ 「川崎方式」の「門戸の開放」の実態―後手で門戸を締めた!
次に「当然の法理」が日本人に限るとした「公権力の行使」ですが、「川崎方式」はこの政府見解を大前提にして外国人への「門戸の開放」を実現させました。そのために智恵を絞り、「公権力の行使」の職務かどうかを判断する基準を設け、それによって「公権力の法理」の職務に該当するか否かを判断し、その基準に合うものと合わないものとの選別したのです。その結果、3059職務の内182職務は「公権力の行使」に関わる職務で、残りは「公権力の行使」には関わらない職務であるという判断をし、全職務の8割は「公権力の行使」の職務ではないので外国人はその職務に就けるようにしたのです。全職務のうちの8割の「門戸開放」であったということです。

国籍条項撤廃(1996年)をした高橋清市長(当時)は、3059の職務を分析し、そのうち182を制限したことについて「一般職だって、その2割のところにつけなければ、あとの8割で活躍してもらえばいいんです。8割というのは大部分でしょう。学校の点数だって80点取ったらものすごくいい成績です。それを2割のために『だめ』と言っているのはおかしい。2割のところの職につけなくても、8割のところで職につければ大丈夫なんです。」(「月刊社会民主」96年11月)と語っています。
8割も開放したんだからいいではないか、学校の点数だって80点とれば「ものすごくいい成績」なんだからということですが、ここではやはり、どうして残り2割の開放はだめなのかの説明はされていません。政府の「当然の法理」を前提にしたからです。そこで川崎市が認めざるを得なかった「公権力の行使」とはなにか、それがどうして地方自治体においても問題にされなければならないのかが問われることになります。

「川崎方式」は「当然の法理」を制度化し、その差別性を正当化したわけですが、具体的には「当然の法理」に記された、日本人に限る職務の条件であった「公権力の行使」を独自に判断基準を設けてそれに合う職務を全ての職務一つひとつ検証し選びだしたのです。「川崎方式」は、「公権力の行使」というのは「一般市民の意思に反して、その人の自由・権利を制限すること」と独自に規定しました。たとえば伝染病にかかったときその人がいやだといっても強制的に隔離するしかないわけです。払うべき税金を払えなかったらその人が嫌だと言っても競売にかけるということになります。なんとその中には狂犬病への注射をする職務も入っています。タバコを道に捨てた人を罰する職務も禁じられています。それらの職務を川崎市は「公権力の行使」と捉え、一般市民の意思に反してその人の自由・権利を制限する(公権力を行使する)ということで外国籍公務員にはそれらの仕事に就かせないことを決めました。これ以外は「公権力の行使」に反していないので外国人でも職務につけても構わないということです。これが「川崎方式」の実態です。

管理職(「公の意思形成」)に関しては、専門的な知識や経験を活かして特定の業務を担当するスタッフ職の課長までは認めるそうです。この話を聞いた川崎のお母さんたちは、誰が管理職にもなれず、自分のやりたい仕事もできない職場に子供が行きたがるのか、それは「門戸の開放」をしながら後ろ手で締めたということではないかと言っていました。まことに言い得て妙だなと感心したことがありました。

④ 「川崎方式」の落とし穴
このように川崎市は独自のやり方で「門戸の開放」を実現させたのですが、ここに実は落とし穴がありました。どうしてかというと、まず公権力を持つ地方公務員は無制限に、恣意的に一般市民の自由・権利を制限することなどできません。これは戦後の国民主権になった日本では許されないわけです。制限することが許されるのは、その制限を認める一定の「法」があるときだけで、その限られた範囲であれば一般市民の自由・権利を制限することも認められるということです。そうすると公務員であれば誰でも、法令、条例、規則に則って「公権力の行使」の職務を遂行することができるということになります。

公務員は労働者としての権利を保証されており、労働基準法第3(均等待遇)「使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない」、職業安定法第3(均等待遇)「何人も人種、国籍、信条、性別、社会的身分、門地、従前の職業、労働組合の組合員であること等を理由として、職業紹介、職業指導等について差別的取扱を受けることがない」ことが明記されているので、公務員が「国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱」を受けることは許されないのです。

ここで「川崎方式」は自家撞着に陥いるわけです。「門戸の開放」のために考え出した、「当然の法理」を前提にした「川崎方式」によって182職務に外国籍公務員を就かせないことを受け容れたのですが、そのやり方自体に実は問題があるのです。「当然の法理」は労働基準法第3条に抵触する可能性があるからです。国籍による管理職への登用の禁止も同じです。しかし「公権力の行使」と「公の意思形成」の職務は日本国籍者に限るとした政府見解の「当然の法理」に基づいて川崎市は独自に「運用規定」を作ったのですが、その「運用規定」は明らかに労基法3条に反しています。しかし福田現川崎市長は一期目の選挙戦のなかで、川崎の「運用規定」は問題があるという私の意見に対して、私に直接、「それは差別ではなく区別」であるから問題ではないという主張をしていました。これが現在の「多文化共生」を謳う川崎市の見解です。国籍を理由にして外国籍公務員に対して職務及び管理職への昇進の制限をすることは差別ではなく、区別だというのです。門戸を開放した「川崎方式」の実態です。

二期目の市長選では福田市長は「差別の根絶に向けた施策の実施と条例制定の提案を掲げて当選」したのですが、「差別の根絶」の一環として「運用規定」の改革に取り組むのでしょうか。またヘイトスピーチで在特会を蹴散らし、「人種差別の禁止をうたい、ヘイトスピーチに刑事罰を科す条例の制定」案を準備したふれあい館を中心とした市民運動の人たちは、「運用規定」は公的差別である(神奈川新聞 石橋学記者)として「川崎方式」の改革を求める具体的な活動をはじめるのでしょうか。私は川崎における民族差別の次のターゲットはまさに「川崎方式」であると思います。

⑤ 残された問題点
鄭香均さんの最高裁判決は外国人が「公権力の行使」として就くことにできない職務を明示せず、また管理職の登用の禁止を認めたのではなく、それらは各地方自治体が自分の判断で決めるべきであるとしました。川崎市、市職労、市民運動体が一緒になってオール川崎で外国人への門戸の開放のために「運用規定」をつくり「当然の法理」を制度化したのが「川崎方式」です。「川崎方式」は「公権力の行使」を定義しその判断基準を設定し、それに基づいて182職務は「公権力の行使」に該当すると決定し、それ以外の職務を外国籍公務員に開放したことになります。

そうすると、同じ公務員であるのに外国籍公務員は国籍の違いを理由にしてどうして限られた職務にしか就けないのか、管理職に登用される権利が制限されるのかという本質的な問題が残ります。なぜなら、このような処置は完全に労働基準法と職業安定法に反しているからです。川崎市は地方自治体として独自に人事(任用)を取り扱う決定をしたのですが、結局は政府の顔色を伺ったということになると私は思います。実際の現場の立場から外国籍公務員が就いてはいけない職務はどのようなものか、外国籍公務員が就くことでどのような支障があるのか、どうして管理職に登用できないのかを市民(当然、外国人を交えて)の公開の議論を川崎市は保障し、形式的な基準制定に終わらせず、実態に即した基準を設定すべきであったと私は考えます。

「川崎方式」は「公権力の行使」に当たるかどうかの判断基準を設けたものなのですが、それは逆に言うと、外国人に制限した職務内容を現場レベルで検討せず、形式的、機会的に選別したということです。狂犬病に注射する職務はどうして外国人は就けないのでしょうか。鄭香均さんは、「現在東京都で認められている、保健師活動の一つである精神保健福祉法にもとづいた仕事も感染症法に基づいた仕事も、川崎市では「公権力の行使」であるとして従事することができません。」と指摘しています。川崎市はせっかく独自の判断基準で「公権力の行使」にあたらない職務を選別したのですから、「公権力の行使」にあたるとなった職務も実際の現場での仕事の内容にまで立ち入り検討すれば、その多くは外国人でも問題はないという見解をだせたのではないでしょうか。そのためには学識経験者だけでなく、広く青丘社ふれあい館を含めて一般市民の参加を呼びかけ、議論し、叡智を集めるという民主的な手段を講じるべきであったのです。

同じ地方公務員でありながら外国籍公務員に対して国籍を理由にして就くことができない職務とそうでない職務があるということを認めるということは、それを禁じる労働基準法があるので法治国家の原則に反することになります。この点を運動体はよく知りながらも外国人の門戸の開放のためにはそうするしかなかったということのようですが、百歩譲ってそうであれば、運動体も市側も「川崎方式」を実現させた段階で、この「川崎方式」には重大な問題(あるいは課題)が残っているということを公にすべきでした。そしてその問題の解決のためには最終的に市長が決定した「運用規定」(マニュアル)の見直しを将来の課題にするべきであったのです。それをしないから、結局、なし崩し的に「川崎方式」が全国に拡がっていったということになります。全国の地方自治体において、外国籍公務員の人事(任用)における差別が制度化され、それが日本社会に根強くある外国人差別の増長につながっていく危険性について川崎市も市民運動側ももっと思慮深く考える必要があったのではないかと思われます。

私は川崎における市民運動が在特会のヘイトスピーチのデモを蹴散らし行政も公共施設を利用させなかったという実績の上で、あらゆる差別を許さずヘイトスピーチに刑事罰をという条例を現市長は準備するそうですが、それに呼応する形で「川崎方式」の問題を明らかにする運動が市民の中からでてくることを願います。

最後に外国人市民の政治参加ということで作られた外国人市民代表者会議において、この外国籍公務員の職務・管理職昇進が国籍を理由にして制限されている問題が今まで一度も取り上げられたことがないことに疑問が残ります。これは公務員の人事(任用)問題であり一般外国人住民には関係がないということでなく、これは多文化共生の推進という観点からも、国籍を理由にした差別は許されないという視点から外国人市民代表者会議の議論としてとりあげ、深く議論をするべきなのです。
 
3. 川崎市の10年計画と「多文化共生」政策について
① 川崎市のこれまでの多文化共生施策
川崎市は当時、神奈川県飛鳥知事と東京都の美濃部都知事と並び革新市政と言われた伊藤三郎市長の時代から、指紋押捺を拒否した外国人市民の動きに対して国とは異なる、指紋押捺拒否者の告発をしないという方針を出しました(1985年)。それ以来、川崎南部ではじめられた外国人市民の地域活動、特に保育事業からはじまった、市内の公立学校に通う在日子弟の本名を名乗らせるオモニ(お母さん)たちの運動に応え、川崎市は「川崎市在日外国人教育基本法―主として在日韓国・朝鮮人教育―」の制定をしました(1986年)。そして地域住民の反対運動があった中で「多文化共生」を掲げ公設民営化の形で「ふれあい館・桜本こども文化センター」が建設され、その運営が社会福祉法人青丘社に委ねられたのです(1988年)。

ふれあい館はその後、川崎市の支援を受け、在日子弟だけでなく、急増するニューカマーや高齢者、障害者を対象にした地域での幅広い活動をはじめています。川崎市はニューカマーの急増とともに「多文化共生」を掲げる施策だけではなく、子供や高齢者、女性差別など地域にあるあらゆる差別・偏見と総合的に取り組むべく、有識者による川崎市人権施策推進協議を設置し、2018年4月現在、その協議会として、1つは「多文化共生社会推進指針に関する部会」、もう一つは「ヘイトスピーチに関する部会を設けて、二期目の当選をした福田市長の下で、他の地方自体体の先頭に立って、積極的に「多文化共生」を具体化する施策を進めています。

川崎市は市内の公立学校に通う在日子弟の教育問題に取り組むために「川崎市在日外国人教育基本法―主として在日韓国・挑戦時教育―」の制定後、ニューカマーの急増とともにそれを「川崎市外国人教育基本方針―多文化共生の社会をめざしー」(1998)に改定しました。「80年代後半には、外国人市民を共に生きる地域社会づくりのパートナーと位置づけ、1996年に外国人市民の市政参加の仕組みとして全国に先駆けて川崎市外国人市民代表者会議を条例で設置しました」(2015年「川崎市国際施策推進プラン」より)。そして同年96年に市職員採用の国籍条項を撤廃するという、外国人住民の要望に応える様々な取り組みをしてきました。

福田現川崎市長は2期目にあたり「差別の根絶に向けた施策の実施と条例制定の提案を掲げて当選」し、川崎市推進協議会から答申された「差別や偏見のない社会を実現するための施策」を積極的に進めています。外国人へのヘイトスピーチに対しては「人種差別の禁止をうたい、ヘイトスピーチに刑事罰を科す条例の早期制定」の準備を約束しています(神奈川新聞、2018年3月2日)。
このようにして「多文化共生」は、「地方自治体や、NGONPOが主体となって推進」して(岩渕功一著編『多文化社会の<文化>を問う』(青弓社))、総務省が国家省庁として初めて地方自治体の「多文化共生」施策推進の取りまとめをするようになり(2005年)、今や川崎市だけではなく、全国の地方自治体で定着するようになりました。

② 阿部前市長の外国人は「準会員」発言について
阿部前市長(2001~2013年)は公けの席で「外国人も重要な構成員」であるとしながら、外国人は「準会員」と話して物議を醸したことがあります(2002年2月6日)。「準会員」ということは、外国人は地方参政権がなく二級市民だということです。国籍に関係なく外国人も川崎では市民であるといいながら、外国人は二級市民、「準会員」だといっているわけです。なおかつ川崎市の市民である外国籍者が公務員となったときにその人が日本籍公務員と違って昇進もできない、働く場所も制限される、こういうことが「外国人も市民ですよ」と言いながら当たり前のごとくなされている川崎市の実態に誰も異議を唱えないでいました。市長は「タウンミーティング」を川崎市全7区でやりましたが、誰もこの矛盾を指摘していません。

 阿部前市長の「準会員」発言については多くの批判がありましたが、阿部前市長は最終的には自己批判をしていません。それがどのような公の決着をしたのか不明です。彼は発言の撤回をしていませんし、謝罪もしていません。そのかわりに市はこれからも同じように「多文化共生」政策をやりますよという言質を運動体に与えることによって、運動体は阿部市長と妥協しました。

私たちは、この「準会員」発言を正式に撤回させるというのは重要な意味があると考えています。この「準会員」発言について、「ふれあい館」の理事長でありいままでの私たちの民族差別撤廃運動のリーダーであった(故)李仁夏牧師が2003年11月の公開シンポジウムの席で、外国人市民代表者会議の代表であった李牧師と副代表のN氏が「市長と会って準会員発言をするなと市長に口封じをした」と発言したことがありました(2004年3月15日川崎連絡会議ニュ-ス第15号)。市のトップが「外国人は準会員」だと言ったことに対して運動側のトップが「口封じをした」のです。「口封じ」とは、その発言の撤回を求め発言者の責任を問うのでなく、その発言はないことにして内内で解決しましょうということです。それ以来、市長は発言の非を認め謝罪することなく、この外国人は「準会員」発言をしなくなりました。

 運動側のトップが市のトップに口封じをする、これは運動側が自治体と同じ「多文化共生」を掲げ仲間という関係になったことの象徴的な出来事ではないでしょうか。ふれあい館を中心にして多くの団体、市民が阿部市長の「準会員」発言を批判しましたが、その後阿部前市長の自己批判も謝罪もないなかで、川崎市は川崎南部の在日の多住地域にあるふれあい館との提携を深めてきます。「1988年3月に定められた「川崎市ふれあい館条例」に基づき、地域の児童の健全育成を目的とした桜本こども文化センターを併設して川崎市ふれあい館が設立」されたと市のHPで紹介されています。

注:平成14年の川崎市議会における阿部前市長の発言
長(阿部孝夫) 
次に,このたびの地方新時代町村シンポジウムでの発言でございますが,
一連の議論の中で,地方参政権について述べたものでございます。
永住外国人に関する地方参政権に関しましては,国会などでの議論の推移を
見守っていきたいと考えておりますが,地方自治における外国籍者の権利
につきましては,民として義務に対応して受益する権利と,それからもう一つ,参政権のように公の支配に直接,間接的にかかわってくる権利があると考えますが,この後者の公的な支配に関与してくる権利につきましては,団体等の場合の正会員ともいうべき日本国籍者について優先的に考えるべきではないかという意見を持っておりまして,それを述べたものでございます。なお,地方参政権に関する法律が制定されましたならば,それに従うのは当然のことでございます。

③ 「多文化共生」の危険性
「民族差別と闘う砦づくり」は「多文化共生」をスローガンとして運動体と行政が一緒になって標榜することで、運動側は公設民営組織を運営する権利を獲得することになります。日立闘争以降の在日朝鮮人の地域での民族差別をなくす運動を通して、地域全体の差別のない社会をめざしていたものが、「多文化共生」を行政との共通のスローガンにして行政をパ―トナーとして公設民営の組織を運営していくことは運動としての大きな成果であっただけでなく、そうすることの問題点も同時に把握することが必要であったはずです。

 まず、「多文化共生」の原理的な意味、本質を見る必要があります。「共生」は川崎においては、もともとは障害を持っている人の心の叫びであり、障害者への差別に対する批判として唱えられたものです。疎外されている人たちが、疎外している(あるいは差別を黙認している)体制に対してそれでいいのかと訴えたのが、そもそも「共生」なのです。「共生」というのは共生できない差別社会に対する批判的な視点を持ったものでした。それが行政と一体になることによって、批判的な視点を無くしていく危険性があります。

批判的な視点、批判的な心の叫びをなくした「共生」というのは何かというと、みんな仲良くですから、異民族間の人間関係を重視する「多文化共生」は排外主義的なナショナリズムを克服し、制度化・構造化された差別を変革する理念にはならない危険性を原理的に抱えています。今の市民運動は「多文化共生」を掲げていますが、「多文化共生」は根本的に排外的なナショナリズムに対する批判の理念になれず、それを掲げて既成体制によって制度化・構造化された差別を克服することは困難であるということを理解する必要があると考えます。

 日帝時代の満州統治のイデオロギーというのは、「五族協和」です。批判的スローガンでなくなった「協和」(=「共生」)というのは排外主義的なナショナリズムを批判できない、統治のイデオロギーになってしまっていたのです。現在誰もがよいこととする「多文化共生」がこの戦前の「五族協和」とどこがちがうのか、明確にする必要があります。日本における「多文化共生」は、無くてはならない大きな存在になってきた外国人の統治・管理政策のイデオロギーの一面があることを黙過してはいけないと私は考えます。

地域や日本社会全体において、地域住民に対する政策が決められるとき、その過程において、当事者である外国人の思いや意見を聞き一緒になって議論しその政策決定過程に外国人が参加することがあるのでしょうか。日本において外国人は、国政はいうまでもなく地方の参政権も認められていません。政治参加は認められていないのです。外国人の基本的人権を認め保障するのでなく、それを排除し単なる「文化」に限定して異民族間の人間関係を重視したカテゴリーに押し込んでいるのが「多文化共生」ではないのでしょうか。川崎市がつくった外国人市民代表者会議が外国人住民にとって本来の意味おいて政治参加となっているのかどうか、厳しい検証が必要です。「多文化共生」はみんな仲良くということですから、そのこと自体はいいことに決まっています。問題は、その中身です。それが実態としてどのような現実を作り出しているのかを批判的に検証することこそが求められているのではないでしょうか。

 差別・抑圧するナショナリズムに抵抗するナショナリズムは高く評価されていますが、ナショナリズムが権力と共有するイデオロギーになったときに、地域住民は権力を批判することができるでしょうか。

ですから、社会に実際に現存する不義に対する抵抗としての「共生」は有意義であっても、文化に限定して人間関係を重視する「多文化共生」が社会を変革していく理念になりうるのか、このことも厳しく検証する必要があります。日本人も韓国人も仲良くしましょう、ということは日本と韓国のナショナリズムを同列に捉えてそれぞれを尊重しましょうということであり、排外主義的になる危険性をはらむ「日の丸・君が代」の賛美と強調を「多文化共生」は抑制・批判できないのではないかと私は危惧します。

④ 「要求から参加へ」の問題点
 私たちが日立闘争から地域活動をはじめたときには、「民族差別と闘う砦作り」をめざしました。ところが、それが行政と共に「多文化共生」を進めるというようになって、公設民営の施設(ふれあい館・桜本こども文化センター 1988年)が作られ、社会福祉法人青丘社が運営権を委ねられました。そして地域の運動として行政に対しては「要求から参加へ」というスローガンになっていきました。
もはや運動側は行政に要求する段階を終え、市政に参加する段階になったという認識です。しかしそれは民族差別と闘うという運動方針を総括して次の段階に進んだということにはなりません。事実、「民族差別との闘い」がどのように「多文化共生」に変わっていったのか、それを総括する議論は川崎においては未だなされていませんし、そもそも文化を強調し、急激に増加する外国人との軋轢をなくすために日本社会が作り上げた、構造化・制度化された差別を変革する運動に「多文化共生」は至っていません。外国人の政治参加を保証しないままの「多文化共生」は、差別を固定化するイデオロギーとなる可能性があるのです。


⑤ 少数者の問題解決は多数者のためにもなり、社会の変革につながるのか
 川崎には少数者のためにいいことは多数者のためにいいことだという、故李仁夏牧師が提唱した有名なテーゼがあります。少数者(マイノリティ)の政治参加の要求は当然であり、保障されるべきです。そこで鳴り物入りでつくられたのが外国人市民代表者会議です(1996年)。著名な学識者による検討からはじまり、海外の実態視察が行われ具体化されました。

 代表者は26名以内で市の募集に応募した川崎在住の外国人の中から市の選考委員会によって選ばれ市長が委嘱します。代表者会議で議論した内容を市長に提案し、市長がその提案を「尊重」して庁内会議などを通じて全庁的に対応、実行するという仕組みでそれなりの形式を備えて運営されていることは事実です。

 しかし①外国人市民代表者会議には決定権、予算要求権はない、②議題は外国人の「地域社会で生活する中での問題」に限定されている、③外国籍公務員の差別的待遇などは議題にされない、④全市的な問題、政治に関わることは議題にされない、④代表者選考基準が明らかでない、⑤外国人代表者会議は増加する外国人住民の政治参加を保障する制度にはなっていない、という意見が聞こえてきます。

ここから見えてくるのは、外国人市民はあくまでも一般日本人市民とは違うという前提です。外国人市民にも基本的人権としての政治参加を保障するということは、①外国人市民の自主的な組織に一定の自治権・運営権を保障する、②地方参政権などの地域市民に保障されている権利を外国人市民に付与する、という具体案の実現です。形式的な外国人市民代表者会議では増加する外国人市民の要望には応えられないということです。それでは外国人の政治参加は上記の①か②の行政によって導かれた新たな制度に連なっていくということになります。

一方、川崎市自体は市民の市政への参加という方向が打ち出しています。新総合計画が来年3月決定されることによって、川崎市民は市政に参加する責務があることが明記されます。区民協議会などが設置され、川崎市民は市政への参加が責務とされるのです。

基本自治条例の「第2 自治運営を担う主体の役割、責務等」には「苦情、不服などに対する措置」で「市に、市民の市政に関する苦情、不服などについて、簡易迅速にその処理、救済などを図る機関の設置を定めます」とあります。市に不満があるのであれば、それを救済する機関を作りますよ、というわけです。


問題は、市民の政治参加とは何か、行政が作る制度か仕組み、あるいは行政の影響力の行使によって市民の思いを実現させていくことなのでしょうか。これでは戦前、戦争中にあらゆる国民の運動が国家の力によって運動目的を果たそうとして失敗したことから教訓を学んでいないことになります。国家を地方自治対に替えただけのことです。そうではなく、地域住民・市民が自発的に、自分たちの思いを自分たちの力で実現させていくことこそが市民の政治参加の本道であると私は考えます。

 ところが現状は、地方自治体の力を大きくしていき、その影響力によって行政が作った器にすべての市民を参加させようとしています。外国人の政治参加もこの方向性の中で進められています。すべての市民の市政への参加を求める川崎市の政策の中に外国人の差別と闘う運動は完全に包摂されてしまったのではないかと、私は危惧します。そのすべてを包摂するイデオロギーが「多文化共生」なのです。誰もが否定できない外国人の政治参加の保障というのは、実は、すべての川崎市民を市政への参加の責務に導き出す導入であったのではないのか、と私は考えます。これは外国籍公務員の差別をなくす「川崎方式」が川崎市公務員の合理化に結びついていたことと同じです。「多文化共生」は排外主義的なナショナリズムを克服し、制度化・構造化した差別をなくしていく闘いの理念ではないのです。この「当然の法理」を掲げて国籍による外国人公務員への昇進を拒否した東京都にたいして果敢にたたかっているのが鄭香均さんです。

 以上のような物事の本質を見抜く人は多くないかもしれません。自己切開をしないと為政者のイデオロギーが見えないとすると、これは痛みを伴うわけですから。私たちの運動が小さいからといって悲観することはないと思います。むしろ市民の方と話をしていると私たちの話は説得力をもっていると感じます。ということで、香均さんにバトンタッチしたいと思います。

2018年4月30日月曜日

国籍条項問題とは何か ー川崎市当局との交渉から見えてきた地平についてー

国籍条項問題とは何か
ー川崎市当局との交渉から見えてきた地平についてー
(5月1日、更新)
                                   崔 勝久

内容(目次)
1.はじめに
2.序文
地方自治体の自立について
地方自治体の持つべき理念について
「公権力の行使」の川崎的解釈の裏にあるもの
「川崎方式」の本質について
「市職労」の問題について
7-1. 市の労働組合について
7-2. 「運用規定」の本質について
7-3. 行政の巧みな支配の構造について
8.結び
9.補稿ー民族差別と闘う市民運動について
9-1. 「民闘連」の実態について
9-2.地域活動について
9-3.外国籍公務員について
 
1.はじめに
 国籍条項問題とは何なのか、まったく御存知でない方も多くいらっしゃると思います。御存知の方は、「外国人」を公務員にならせない、国籍による差別だと理解なさっていらっしゃるようです。そうには違いないのですが、これでは周りに多々ある差別のひとつと相対化されるように私は思うのです。   
 私はこの小論で、川崎市の「川崎方式」に関わることを記しました。国籍条項問題の本質は「川崎方式」においてもっともその正体を明らかにしていると考えるからです。その本質とは、排外主義イデオロギーのことです。そしてこの排外主義イデオロギーによる差別を公権力が是認し制度化したという意味で、またこの制度が日本国家の意志を体現しており、他の地方自治体も追随してきているという意味で、そして最後に、これらの動向を市民運動側が一定の評価をしているということで、私は「川崎方式」とそれを評価する動き、およびそれを支える思想を徹底的に問題にしなければならないと考えるのです。
 身辺の様々な日常的にある、あるいは身辺で起こる差別を許してはならないことは言うまでもありません。私は、「川崎方式」はそれら全ての制度化・構造化された差別の象徴であると考えます。差別は心の問題ではなく、社会的、歴史的なもので、その歪みを反映しています。「川崎方式」を直視することによって、この日本社会の歴史的、社会的な歪みを直視しようというのが、この小論の趣旨です。
 
2.序文
 「共生の街」つくりをスローガンにする川崎市は、外国人への開かれた市政を宣言し、全国的にマスコミを通して有名になりながら、どうしてかくも実体として、閉鎖的で、民族差別を制度化したことに無自覚なのでしょうか。  
 私たちは、川崎市が外国籍者への門戸の開放と同時に、国籍を理由に昇級と職務の制限を制度化する、いわゆる(入れてはあげるが、中では差別する)「川崎方式」によって、逆に門戸を閉ざし差別を固定化したと理解しています。それは公権力による差別の是認です。市長の「英断」が評価される中で、これまで市に「門戸の開放」を求めてきた市民運動体や組合から、差別を制度化したことへの批判とそれと取り組む具体的な運動がなされなくなったことに危機感を抱き、私たちは「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」を結成しました(2007年)。そしてこの間、学習会と討論を重ねて、ようやく市当局との直接交渉を始めました。その中で私たちは、「川崎方式」が様々な問題を持つことが分かってきました。   
 しかしながら「川崎方式」が何故、全国に広がる兆しを見せているのでしょうか。また「川崎方式」のスローガンである「多文化共生」がどうして幅広く、運動側だけでなく、地方自治体、政府、大企業の間に至るまで使われるような社会現象になっているのでしょうか(「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」の基調報告参照)。私たちは「川崎方式」がもつ問題点を徹底的に解明することによって、現代日本社会の病根にメスを入れることができるのではないかと考えます。
 
 一方、民族差別と闘う市民運動の立場から見れば、川崎では日立闘争、指紋押捺闘争の歴史を背景にして、児童手当や市営住宅入居等、外国籍者を排除してきたこれまでの市政に問題提起し、それらの権利を獲得してきた経緯があります。また地域の拠点として従来あった社会福祉法人青丘社と、地域での軋轢を克服してできた「ふれあい館」は「共生」のシンボルとして広く認知されています。即ち、川崎は民族差別と闘う市民運動のメッカとして知られるようになりました。その中心を担ったのが、民族差別と闘う連絡協議会(通称「民闘連」1974年)です。市当局は同時に「共生の街」作りをスローガンにし、「人権・共生推進担当」(現在は、人権・男女共同参画室)を市民局の中に設け、外国人の人権擁護という立場から熱心に取り組んでいるということが全国的に高い評価を受けるようになっています。 

 外国人市民代表者会議も作られ(1996年)、川崎は市と市民運動の両方の側から見ても、外国人の人権運動に関しては全国でもっとも先を行く都市として知られているのです。NHKで自治省の反対を押し切って実行したと報道された、川崎市長の「門戸開放」(1996年)は「英断」であると市の組合や市民運動体から高い評価をうけましたが、実はその「門戸開放」「川崎方式」こそ、市民運動体、市の組合、市当局が一緒になって取り組んできた「成果」、「集大成」でもあったのです。   
 
 市長の「門戸開放」宣言と同時に、外国籍公務員には182職務と管理職への昇級は制限する(一旦、中に入れたら差別する)ということが発表されていたのですが、その内容は1年にわたって完全に秘密にされ、朴鐘碩君の情報公開要求も却下される始末でした。組合も市民運動体も「外国人」には就かせないとした182の職務内容は何なのかを問いませんでした(しかしおかしいですよね。普通、これこれはだめよと言われたら、どうしてだめなのですかと聞きませんか)。そして1年後、市は「運営規定」を発表し、ここにおいて182職務の内容が公表され、差別制度が確立されました。市の組合と市民運動体は「多文化共生」の為に市のパ―トナーになる道を選び、差別の制度化をなくしていく具体的な運動はもはやしなくなってしまったようです。「要求から参加へ」(「ふれあい館」館長の講演より「RAIK通信」97年)の時代になっていったのです。   

 彼らが選択した道は本当に社会の変革につながり、民衆の解放に至るものなのでしょうか。私たちはその答えを「川崎方式」をめぐる諸状況の分析の中に求めます。私たちは彼らをそのようにしてしまう社会の構造をしっかりと見つめ、批判的にとらえます。その批判の刄は権力者のみならず、自らの生き方、組織のあり方にまで及ぶでしょう。このような問題意識から、この間見えてきた地平を記したいと思います。
 
. 地方自治体の自立について
 地方自治体における人事の問題は、地方自治法によって地方自治体独自で決定することになっているのに、どうして川崎市は国の顔色を窺おうとするのでしょうか。地方自治体は今、国家との関係において経済、施策、理念の面でいかに自立していくべきなのかが問われています。

 地方自治体とは「国の統治作用」を行うことを本来的な任務としているのでしょうか(鄭香均さんに対する東京都の一貫した主張。「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」代表に宛てた、川崎市長からの2月12日付けの回答)。今、政府が実施しようとしている日米新ガイドライン(戦争マニュアル)の問題も、法律でもないのに地方自治体が政府の指示に従うのは「当然」とする政府見解に対して、川崎市が住民自治の立場から、戦争に二度と巻き込まれないようにする姿勢をいかに貫徹するのかということでは、私たちの取り組む国籍条項の問題と深く関わっています。

地方自治体の持つべき理念について
 歴史を直視せず未来を語ることはできるのでしょうか。戦争責任を自らの問題として受け止めることなく、地方自治体の未来を描くことが許されるのでしょうか。  
 私たちが出した高橋清元川崎市長宛への公開質問状の中で、市の戦争責任をどのように考えるのかということに対してこのような回答がありました(98年12月18日)。  

  戦前は、地方自治制度が現行のように憲法上の制度として認められたものでないため、
 一自治体の首長として戦争責任を明らかにすることは困難であると考えます。また、現市長
 が公人として責任を具体化しなければ、多文化共生を進められないとは考えておりません。 

 川崎市は一般論としては戦前、戦中の歴史を語りながら、自らの問題として戦争責任を考える姿勢をもっていません(例えば当時、市の課の中に、戦争動員体制の強化と他民族支配を前提とした、朝鮮人の日本社会への融和を目的とする「内鮮協会」の事務局が置かれていたことを読者は御存じでしょうか)。南京虐殺事件の映画会を暴力的に妨害する右翼と対峙するどころか、治安を理由に主催者に再考を求めた市当局の姿勢からもそのことは推測できます。  

 川崎市は「共生の街」をスローガンにして、法律でもない「当然の法理」という政府見解を絶対視し、外国籍者差別を当然とする考え方を自らの意志で積極的に具現化してきたのです。一般的には、あの戦争は全て国が悪かったということではすまされない、むしろそれを支えた個人、マスコミの責任はどうであったのかが問われはじめています。私たちは、戦争を具体的に担った、それが例え国家からの命令、または国に従うしかなかった制度上の問題であったとしても、今後は二度と同じことをしない為にも、地方自治体の戦争責任が問われると考えます。川崎市は「戦争責任」を明確に自覚せず、歴史的な検証に耐えうる政治理念と思想を欠除させたまま、「多文化共生の街」というスローガンをたてました。歴史と現実に立脚しないスローガンは理念になりえません。

 川崎市が具体的な戦争責任を表明し、「川崎方式」が外国籍公務員に対する差別であることを認めることから全ては始まります。外国籍者やホームレス、老人、障害者といった社会的弱者を含めた全ての住民を地域の対等な構成員とする理念を持たずして、21世紀に向けた住民自治は不可能です。

.「公権力の行使」の川崎的解釈の裏にあるもの
 国や地方自治体が国民国家の原則であるとして「当然の法理」を理由に外国籍者は公務員にならせないと言い張っていたならば、ある意味では排外主義イデオロギーの問題は露呈していなかったかもしれません。しかし日立闘争の裁判勝利以降(1974年)、一般企業において国籍を理由にした差別は認められなくなり、弁護士資格もまた国籍条項を撤廃せざるをえなくなりました(2007年)。

 事実として外国籍公務員が誕生し、鄭香均さんのように高裁で勝利する例(1997年、最高裁では敗訴2005年)も現れはじめています。東京都や川崎市は「当然の法理」では既成事実化している外国籍公務員の存在と、彼らへの差別を説明できないものですから、「日本の統治作用」という論理を持ち出しはじめました。勿論、これは日本国家の見解です。こう言えば普通の人は納得せざるをえないとでも考えたのでしょうか。日本の国は日本人が統治するのだという論理で、現状の差別を正当化できると判断したわけです。    

 川崎市は国の「当然の法理」を自分達なりに現実的に解釈し直して、「公権力の行使」とは、市民の自由と権利の制限をするものであるとして、採用した外国籍公務員を182の職務に就かせないようにしました。具体的には、建築許可、食品検査、病人の隔離をする保健婦、税金の徴集、墓地への立ち入り検査、狂犬病予防に係わる犬の捕獲等の仕事で、よせばいいのに、それらは「日本の統治作用」に関するもので「公権力の行使」であるから外国籍公務員はだめだと説明しています。これらの職務が「日本の統治作用」になるのかどうかはみなさん、御判断ください。ちなみに川崎市の判断では、犬への注射も「日本の統治作用」「公権力の行使」にあたるので、外国籍公務員には認めないそうです。  

 しかしこれらの仕事は全て法と規範に基づいてなされるもので、公務員であれば誰であってもその範囲内で行動しなければならず、外国籍公務員が勝手にやれるものではありません。それらの仕事をする公務員の属性(性、国籍、思想等)が問題にされる余地はないのです。これは法治国家の原則です。それをどうして外国籍公務員ではだめだというのでしょうか。彼らの論理は完全に破綻しています。 
    
 私たちは、「川崎方式」の根底には、「外国人」は何か悪いことをするかもしれないという根深い偏見と、外国籍公務員が一般市民と同僚に命令することによって惹起される反発を想定した、偏狭なナショナリズムが存在すると推測せざるをえません。この偏狭なナショナリズムこそ、排外主義イデオロギーの核となるものです。私たちはここに、多くの人が納得する「公権力の行使」「日本の統治作用」というお上の言葉で、偏見と排外主義イデオロギーを隠しながら差別を正当化しようする、川崎市の真の姿をみるのです。

. 「川崎方式」の本質について
 川崎市長は「川崎方式」はベストで、国の法律が制定されるまでは変わることはないと断定的な主張を繰り返しています。しかしその一方、市民局の中に「人権・共生推進担当」を設け、外国人市民代表者会議の裏方と一般市民啓蒙の役を担わせ、開かれた市政のイメージ作りを目的に、かれらに外国籍職員の処遇の見直しもさせているのです。この矛盾する二重性をどのように考えればいいのでしょうか。私たちはここに、国家と市民への顔をふたつもちそれを恣意的に使いわける、為政者の政治的な手管を見ます。日本のマスコミは彼らの意図を見抜けず、彼らの市民への顔だけを見てそれを高く評価するという過ちを犯しています。しかしこれはふたつの矛盾した政策ではなく、慎重かつ大局的に練り上げられてきた「外国人」対策なのです。 
     
 一般市民にリベラルな印象を強く与える「多文化共生の街」作りを掲げた「川崎方式」こそ、本質的には、多くの飴を与えながら在日外国人を統合していこうとする、日本国家の遠大な国策に沿ったものであると私たちは考えます(「民闘連」での坂中講演参照)。それは国民の支配・管理の徹底化をはかり、日本の防衛を口実に軍事大国になりながら、低賃金の外国人労働者を社会に吸収しようとする国策に合致します。国そのものが戦争責任を曖昧にし、危険な方向に向かっているのに、どうして外国人対策だけが別途に講じられることがあるでしょうか。「多文化共生」という言葉にごまかされないで、「多文化共生」がどのような社会的な背景において広く使われるようになってきているのか理解する必要があると思われます(「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」の基調報告)。「日鮮融和」「五族協和」を謳い戦争を進めてきた過去の歴史から多くを学びましょう。

.川崎市職労(川崎市職員労働組合)の問題について
 川崎市は「門戸開放」宣言後一年経って「運用規定」を発表しそれによってはじめて公式に外国籍公務員を差別する制度を確立させました。国籍条項の撤廃を求めてきた市の労働組合は、その「運用規定」に反対する具体的な運動を起こすことはありませんでした。私たちは、彼らのその意味を推測するしかありません。はっきりしたことは、市職労は川崎市への具体的な抗議活動をしなかったということと、市の差別制度化の問題点を解明し情宣しなかったということです。批判運動の回避の政治的理由は私たちにはわかりません。しかし市の問題点の解明をできなかった理由ははっきりしています。それはかれらも市当局と同じ体質を持つが故に、自ら関わった「川崎方式」を差別であると見抜けなかったからではないでしょうか。

7-1市の労働組合について
 川崎市が組合と協議することなく、名目上単なる人事のマニュアルでしかない「運用規定」の中で、外国籍公務員の職務と昇級についての制限を制度化したことは、組合組織、活動に対する挑戦としてとらえられるべき問題であるはずです。どうして市職労は、自らの構成員である外国籍公務員の権利の剥奪を制度化した「運用規定」の問題を全組合員に知らせ、その制定に抗議し、撤回を求めないのでしょうか。私たちとの直接交渉の席上、市当局は「運用規定」の説明を組合幹部にしたがなんの意見もなかったと明らかにしました。もし例えば女性であるということを理由にして、職務と昇級の制限が制度化されたら、組合幹部はそれを見過ごしたでしょうか。一般組合員は沈黙を守るでしょうか。しかるに外国籍公務員の場合、組合幹部が一切のアクションを起こそうとしなかったのは、彼らもまた、「外国人」への偏見と偏狭なナショナリズムを払拭しきれず、自らの体質として持っていたからではないでしょうか。

7-2.「運用規定」の本質について
 市が作成した「運用規定」は本当に外国籍公務員を目的に作られたのでしょうか。確かに「運用規定」の正式名は「外国籍職員の任用に関する運用規定」になっています。しかし、「外国籍職員のいきいき人事をめざして」という独特なネーミングをした副題にかかわらず、この「運用規定」は「本市の総合的な人事管理システムの中に位置づけ」られると明記されています。市が「門戸開放」した時、外国籍公務員の182職務の制限を発表しながら、一年にもわたってその内容の開示を頑に拒んできたのは、「中長期的視点に立った」「市全体の総合的な新しい人事システムを整備」するのに準備期間が必要だったのです。つまり市は、「運用規定」は外国籍公務員に関する運用規定の整備の為といいながらその作業をとっくに終え、実は真の目的としてある、全公務員の合理化、管理の強化をはかる内容を整備していたのです。これが「運用規定」の本質です。
 市は外国籍者への門戸開放と銘打ちながら、実際には地方公務員の労働運動そのものに大きな網をかぶせる人事制度を確立したかったのではないかと推測されます。市職労働者は、外国籍者の為にではなく、自らの問題として自らの解放の為に、「運用規定」の撤廃に取りくむべきであるという私たちの主張の根拠はここにあります。

7-3. 行政の巧みな支配の構造について
 国際交流センター(財団法人川崎国際交流協会)は市の第三セクターで、「ふれあい館」と合わせ「共生」の実践のモデルケースらしいのですが、かれらは同センターへの登録をしようとした私たち連絡会議に対して、「市に批判的な団体は登録できません」と拒否しました。また、市当局は先に触れたように、私たちには182の職務制限の内容の公開を一年間拒みながら、マスコミと市民運動体である「民闘連」へは情報を流したことが前回の直接交渉の場で明らかにされました。市当局は事実関係を明らかにすることを約束したのですが、調査の結果、どうして彼らに情報が流れたのかわからなかったと嘘ぶいています。        
  
 そして第2回目の交渉の直前、「人権・共生推進担当」は、外国人市民政策ガイドラインのたたき台を外国人市民代表者会議に提示し、その内容が翌日、新聞発表されました。内容そのものは、同会議委員長が「市内部からこういう考え方が出てくることは感動的だ」(1月18日、毎日新聞)という程、よく書かれており、これまでの努力の跡を窺わせるものです。しかし、「人権・共生推進担当」の責任者はそのコピーを朴鐘碩君に手渡した後、同会議委員長に報告し善後策を相談したらしく、同日の夜に3回も朴君に電話をし、明朝一番に会社に伺いたいと言ってきました。渡したコピーを返して欲しいというのです。どうして市当局は、同会議委員長と相談して一度出した公文を返してほしいというような、不可思議な態度に出たのでしょうか。  
  
 私たちはこれらのことから、「外国人」の人権を擁護すべきであると考え差別をなくそうと「共生」を訴える個人、団体に対して、行政はこれらの人たちの思いを逆手にとり、「共生」を名目にした特権を授けて取り込みながら、反対するものを徹底的に管理の枠の中にはめ込んでいくか排除していることを知りました。彼らは自らのイメージアップにつながる成果は全て情報管理をして、自らの権力基盤の強化につなげようとしているのです。私たちはここに、行政の巧みな支配の構造を見ます。彼らは問題提起者を受け入れ、巻き込むのです。そしてそこから両者の癒着が、かれらの言葉でいう「共生」や「参加」が始まります。既得権が発生します。その関係を維持するため、彼らは自らの権力基盤、支配構造を脅かすものに対してはかくも閉鎖的で排外的な対応をするのです。

8.結び
 「川崎方式」をめぐる諸状況がどのようなものであるのか、おわかりいただいたと思います。私たちは民衆の、そして何よりも自分自身の自立を求めます。今、川崎の圧倒的多くの民衆は「川崎方式」の本質、実体を知らされていません。そのような中で、限られた者たちだけの間で着々と外国人対策が進められているというのは、どこか根本的に問題があるのではないでしょうか。それは民衆に解放をもたらすものではなく、いつも民衆を非当事者の立場に固定し、権力者の基盤を強化するだけです。それでは社会の本質的な差別の構造は隠蔽されたままになります。  
 
 この間川崎の運動に関わってきた人たち、今、外国人市民代表者会議等で外国人の権利を主張し始めている人たちは、国籍条項の問題をみんな知っています。しかし大多数は、「川崎方式」の問題の本質が何なのかを知らないで、それは数ある差別のひとつであると考え相対化しているようです。彼らは、「川崎方式」というのは公権力が「外国人」への偏見と排外主義イデオロギーによって差別を是認し制度化したものであることをいまだ理解していないようです。犬への注射が「日本の統治作用」で「公権力の行使」にあたるため、外国籍公務員には認められないと明記されていることを知らないようです。

 これらの事実を知れば、「川崎方式」こそ、「外国人」差別の象徴として、徹底的に議論をしていかねばならないという私たちの主張は理解してもらえると私は確信します。「川崎方式」が「外国人」差別であることを川崎市に認めさせ、撤回させる運動に、多くの人が自分の属する組織や団体の立場を超え、一人の人間として賛同しあって共に闘うことができるようにと願ってやみません。      
 
 くり返しますが、私たちはいかなるタブーも認めません。現実をしっかりと見つめ、おかしいことをおかしいと素直に言うことから始めようではありませんか。全ては自らが立ち上がろうとする、「個からの出発」からはじまるのだということをお伝えしたいと思います。

9.補稿ー民族差別と闘う市民運動体について
 私は「国籍条項問題とは何かー川崎市当局との交渉から見えてきた地平について」の小論で、「川崎方式」を取り上げることによって、川崎市と「市職労」の問題の本質を記しました。次に補稿として、それらの問題について市民運動体はどのように対応してきたのか、その実態を明らかにしたいと思います。ここにおいて、為政者は「善意」の市民運動体をも巻き込んで、いかに自らの権力基盤の強化を計ろうとするのか窺い知れるでしょう。
 
 川崎市は地方自治体として私たち市民と手を組み、共に歩むパートナーなのか、そうであれば、私たちは徹底して問題点を明らかにして、彼らをして問題の所在を認識させ、改めさせるにはどうすればいいのかをよく考えるべきであったと思います。「多文化共生」を唱え、地方自治体或いは国家権力と共に歩むと語る「民主的人士」は、彼らの主観的な意図がいかなるものであろうとも、完全に権力者に飲み込まれ、利用されているのだという事実を直視すべきでありましょう。「戦前の始まり」が聞こえる現在、市民運動体のやるべき役割は、権力者に対して、おかしなことをおかしいと言いつづけることであったと私は判断します。私たちは自分で本当にやりたいことを自分の責任の持てる範囲でやり続け、その内実を深めていけばいいのです。社会変革とはそのようなことの総体によってしかもたらされません。 

 川崎における民族差別の問題と取り組んできた市民運動体(民族差別と闘う連絡協議会、通称神奈川「民闘連」)は、あれほど熱心に「門戸開放」の運動を展開してきたのに、市長の「門戸開放」宣言以降、「運用規定」によって差別が制度化されたことについては一切、具体的な行動を起こしていません。内外の多彩な「民主的人士」を顧問やメンバーにした運動体であるにも拘らず、どうして内部で「川崎方式」と取り組もうという具体的なアクションがなかったのでしょうか。
 「川崎方式」は「民闘連」のこれまでの運動の「集大成」といって過言ではありません。現在20名にもなる朝鮮人公務員の多くは、「門戸開放」前に、「民闘連」運動が作ってきた関係の中で公務員になった人たちです。彼らと社会福祉法人青丘社と「ふれあい館」の職員、及び一部の教師が中心となって神奈川「民闘連」として、「門戸開放」を求める運動をしてきたのです。彼らが「市職労」と深い関係にあることはいうまでもありません(前掲「ふれあい館」館長の発言、及び「市職労」の運動方針より)。私は以下に、神奈川「民闘連」と地域活動をする「ふれあい館」及び朝鮮人公務員の実態について触れてみたいと思います。
 
9-1神奈川「民闘連」の実態について
「民闘連」は20年以上も前、日立闘争以降作られた全国組織です。これまで川崎において南北朝鮮の政治状況に振り回されることなく足下での実践を深めるということでさまざまな働きをしてきたこと、その思想性と実践によって他地方の運動体に影響を与えてきたことは事実で、それらは歴史的に正しく評価されるべきでありましょう。

 しかしその「民闘連」が今や分裂して神奈川「民闘連」だけになっています。全国組織の分裂以後、大阪の運動体は英語を入れた全く別の組織名を名乗り、部落解放同盟の力を背景に積極的に関東にも「進出」してきています。それに危機感を覚えて、対抗のために神奈川「民闘連」グループは昨年高槻で再結集の集会をもったものの、今年の川崎での集会は若手グループの造反の顕在化によって、地元の参加者は専従と年輩の指導者を加えても数名という状況であったそうです。川崎における市民運動体とは神奈川「民闘連」のことですが、川崎市の公務員が主力の若手グループは、そこからも一線を画したことになります。川崎の運動を指導してきた指導者は、いかなる運動を提唱しようにも一緒になって汗をかく若い人たちがいなくなっているのです。私たちには彼らが一枚岩に見えながら、内部で世代間での相互不信がはびこり、これまでの内部矛盾が積み重なり、運動方針の討議さえもままならない、自壊一歩手前の組織のように見えます。残るは、行政と組んで「多文化共生」の旗印のもとで運営されている地域組織だけになってしまいました。

 恐らくこれからは、各運動体が定期的に全国から集まり情報交換する、ゆるやかな集まりとしての「民闘連」運動の使命は終わった、地元での地道な活動を地域や職場においてどのようにしていくのかが課題であるという見解が強調されていくでしょう。実際、各個人や組織の自発的な集まりでしかない「民闘連」が実体あるものとして社会的に認知されているのは、社会福祉法人青丘社とその事業体のひとつであるふれあい館のこれまでの実績とその存在が大きく評価されているからに他なりません。しかし今回、川崎での「民闘連」集会に、「民闘連」運動によって送り込まれた朝鮮人公務員がボイコットすると、かつては「民闘連」の中心を担ってきた青丘社と「ふれあい館」職員は組織としても個人としても「民闘連」運動に関わる意志も内部的なコンセンサスもなく、これで川崎で「民闘連」に参加し活動する主体は完全になくなったということになります。
 しかしながらそれでも川崎での地域活動が神奈川「民闘連」の拠点であるかのような虚像が払拭されていない最大の原因は、神奈川「民闘連」の事務局長として社会福祉法人青丘社から専従職員が送り込まれ、日常的に対外的な活動を行っているからです。すなわち、川崎市からの資金、青丘社とふれあい館の活動、「民闘連」の活動が「多文化共生」をキーワードにしてひとつになっているということなのです。 

 「民闘連」運動の中から生まれてきた若手グループの造反が顕在化した以上、神奈川「民闘連」に名を列ねてきた多くの人たちは(団体を含めて)、まず一堂に会して、「民闘連」運動の徹底的な総括をする社会的な責任があるでしょう。社会福祉法人の地域の活動をもって神奈川「民闘連」を実体あるかのごとくしてきた虚像は完全に剥がされてしまいました。青丘社活動と神奈川「民闘連」運動の関係を、資金源をはじめ明確にしなければならなくなっています。いずれにしても、川崎にあって民族差別と闘うと謳いながら、「川崎方式」を問題にしないような組織はもはや神奈川「民闘連」という名にふさわしくないということだけは確かなようです。

9-2地域活動について
 青丘社の運営するふれあい館は、マスメデイアには「多文化共生」のシンボルとして度々登場し、地元に根付いたセンターとして、市長は勿論、川崎の教育委員会や現場の教師、社会派キリスト者には絶対的な信頼を得ているようです。川崎市の「共生の街」政策の目玉のひとつである外国人市民代表者会議では、最初から、青丘社に組織枠として一席準備していたくらいですから。 

 私たちの目には、差別そのものである「川崎方式」にものを言うことを放棄してしまっている青丘社と「ふれあい館」は民族的な色合いをもった社会福祉事業体であり、もはや民族差別と闘う「地域活動」の拠点ではなくなっているように見えます。さまざまなプログラムを組み人を集め、市民啓蒙的な働きをしていても、本来の「民族差別と闘う砦」という位置付けを総括もなくなし崩し的になくし、「多文化共生」を看板にし直して、本来市が地域でやるべきことを「代行」する内容しかもたないからです。

 市からの資金援助で「地域活動」を敢えてやるのであれば、それをやるだけの思想と実践の内容がなければならない筈です。鄭香均さんが東京都からの「任用差別」を受け悩んでいたとき、昔一緒に地域で活動したことを思いだし、わらにもすがる思いでふれあい館と在日韓国川崎教会に電話をしたところ、電話を受けたふれあい館の職員はにべもなく断わったそうです。教会も同じです(1995年、9月26日の川崎教会における本人の証しより)。

 神奈川「民闘連」の若きリーダーは、鄭香均さんの支援を要請されたとき、昔彼女と一緒に地域活動をやったというような「思い入れ」は自分にはないので、川崎のことをやります。それが彼女を支えることになると思いますと、答えたそうです。私はここに、社会の不条理によって苦しむ「いと小さき者」の痛みに共鳴しようとし、自分のできることに全力を尽くすという、「地域活動」の最低限のモラルさえ失ってしまっている地域活動の実態を見ます。

 一体、社回復し法人青丘社ふれあい館は、日立闘争以降、民族運動そして民衆運動という位置付けで始められた「地域活動」の実践に対して、思想的な総括をしたうえで「多文化共生」というスローガンを打ち出したのでしょうか。そもそも「多文化共生」が歴史的、社会的にいかなる概念なのか学習、討論をしたのでしょうか。もし、「民族差別と闘う」ということが過激すぎて、地域住民の反発を喰らうということから、ふれあい館設立にあたって、敢えて「多文化共生」を強調したのであれば、民族差別としっかり闘う実践の内容を深めることが地域の実態に迫ることであり、そこでは日本人住民自身にとって最も必要なことを一緒になって求めていくのだと説明し切れなかったということになります。それは思想的な退歩です。時代の流行に沿ったきれいごとを言いながら、打算が見え隠れします。「共生」を謳うことで市当局と円満な関係を保ち、あとは行政から「多文化共生」ということで特権を享受し、経済基盤を確固たるものにして様々な福祉事業の展開をさらに計ろうとするのでしょうか。しかしながらそれは、行政にとってもっとも安上がりな方法であり、市の名声を高め、自らの権力基盤を強めるものになるということを忘れてはならないでしょう。

 行政からの資金によって活動が保証されて「雇い主」にものが言えないような、そして何よりも、地元の民衆に、「川崎方式」が外国人への偏見と排外主義イデオロギーを前提にして作られたものであるという問題点を伝え、一緒に考え行動しようとしない組織の、サラリーマン化されたルーティンワーク(日常業務)を「地域活動」、「地域運動」と私たちは呼びません。ただ行政から給料をもらい地域活動をしているということでなく、その地域住民自身が真実を見抜いていくような活動、子供自身が、属する民族に関わりなく自立して生きていけるような教育の中身によって、差別社会を撃ち破っていくような、そのような内実、中身が本当は一番重要であり、求められているものです。もともとは地域において、民族差別と闘う内容を深めようとしてきたのではなかったのでしょうか。

 それは単に在日朝鮮人を対象にしたものではなく、そこから地域の真の生活実態に肉迫する実践を深めるということであった筈です。自らの腹の底から沸き上る、在日朝鮮人としての悩みや怒りや、人間としての生き方を求めて、「地域活動」が始まったのです。地域をはいずり回り、地域の若い人たちや地域住民と泥まみれになる日々の実践をせず、内実よりは表にでる形式ばかりを求め、外で自分達と川崎市の宣伝の講演をして回りながら言葉で「多文化共生」などというスローガンを言い始めたときから、行政に足下を掬われるようになってしまったのではないでしょうか。

 泥まみれの「地域活動」のないところでの「共生運動」は民衆の自立に益せず、行政のショーウィンドーとして利用されているという実体を私たちは見抜く必要がありますし、何よりも、そのことを青丘社とふれあい館に関わる当事者が悟らなければならないでしょう。「多文化共生」の成果を運動体は自慢げに宣伝しますが、その実は権力者が刈り取っているのです。

9-3. 外国籍公務員について
 川崎市の朝鮮人公務員の存在は、ふたつの意味で「民族差別と闘う」運動の「申し子」です。ひとつは、市長の「門戸開放」によって公務員になった人たちです。「川崎方式」による「門戸開放」に問題があるとはいえ、日立闘争以降、自分の立っているところでおかしいことをおかしいと言い続け、それを勝ち取ってきたこれまでの運動の成果としてその道が切り開かれたのですから、「申し子」なのです。今後公務員になる同胞の青年は、そのような歴史の過程に自分もいるということを意識し、しっかりその歴史を知ってほしいと願ってやみません。

 「門戸開放」によって公務員になった同胞青年も、そのような機会を与えてくれた川崎市にありがたく思うという感傷的なレベルでなく、また「多文化共生」というイデオロギーに惑わされることなく、「川崎方式」は朝鮮人であるが故に、自らの労働者としての基本的な権利を疎外しているという歴史的、社会的な事実を見抜いて、自らその不義を糾すべく勇気をもって立ち上がってほしいと願うのです。 

 もうひとつは、神奈川「民闘連」に参加していた高校教師の働きかけにより、民族に目覚め、本名を使用するようになった若い人たちです。教師は市役所に朝鮮人子弟を本名で送り込むことに使命感をもっていました。そのようにして送りこまれた彼らこそ文字通り、「民闘連」運動の「申し子」です。高校教師の熱意と、運動に一定の理解を持つ組合、そして組合と行政との関係という構図の中から朝鮮人公務員が誕生していきました。勿論、実力で一般職でない公務員になった者がいることも本人の名誉のために記しておきます。神奈川「民闘連」から生まれ、今は市職労の傘下で、先に記した「川崎方式」と市職労の排外主義イデオロギーと外国人への偏見の問題に一切触れようとせず、行政と同じ「多文化共生」という旗をふって一定の地位をもつようになってきているのが彼らです。 

意識的に「民闘連」運動との関わりにおいて「活動」しようとしている公務員が何人になるのか私たちにはわかりません。しかし公務員になっても彼らが孤立しないように、「国籍・民族差別撤廃の取り組みに参加し、また、外国人職員と日本人職員が共に働きやすい職場環境の構築をめざ」すことを目的にして、「川崎市職労外国人交流会」(以下、「交流会」)が作られています。これは名前からしても「市職労」傘下の公的な組織という位置付けになっています。

 問題は「交流会」が「国籍・民族差別撤廃の取り組みに参加」することを目的にして、職場内での差別発言では積極的な働きをしながら、どうして自分自身の労働者としての権利の制限を制度化した「川崎方式」「運用規定」に対して沈黙を守るのかという点です。これは外国籍公務員に対する差別の制度化という意味で、また、先に記したように排外主義イデオロギーの体現という意味で、決して許してはいけないことです。「市職労」が「交流会」を押さえにかかっているのでしょうか。彼らは当事者として、「市職労」が問題にしないのであればそれを突き上げてでも意見を述べなければならない立場の筈です。

 或いは自らの意志として沈黙を守っているのでしょうか。ましてや、全国「民闘連」集会が川崎であるのであれば、自分達の状況、闘いを報告し、みんなに支援を訴える立場であるにもかかわらず、申し合わせてボイコットしたということは、部外者に全く理解できないことです。私たちがその行為に対して、これまでの「民闘連」全国組織の分裂、新しい組織の関東「進出」、内部矛盾の露呈等の臭いを感じる所以です。

 しかし私は提案します。「民闘連」派だ、その批判派だ、新しい組織だというようなレッテル張りをするのでなく、自分個人が一人の人間として何を思い、いかに行動すべきなのかだけを考え判断しようではありませんか。「民闘連」運動の「申し子」は、民族意識は熱心な高校教師の影響でもったとしても、人間として自立することは学ばなかったようです。詩人の金時鐘が鋭く指摘したように、「群れる」ことに甘んじてはいけないのです。例え自分一人であっても、一人の人間としていかに生きるべきか、何をなすべきか、自分で考え、判断すべきです。もう一人の朝鮮人の若きリーダーは、鄭香均さんの闘争支援要請に対して、未だ組合(「交流会」のことか)の組織化が不十分であることを理由にして断わりました。人は組織の為にあるのではなく、まず人としてあるのです。私たちは組織のためにではなく、自らが人間として生きるために、自らの解放の為に運動をするのではないのでしょうか。 

 今、一般的には、「川崎方式」は過渡期であって、入り口は開けたから(「門戸開放」)あとは、他の地方自治体が徐々に川崎のようになってくれれば自然と国の対応も変わり、川崎市もさらに前進するだろうと言われています(代表例として、山田貴夫氏の発言『民権協ニュース』97年1月号より)。しかしそうでしょうか。そんな人任せな解放というものがありうるでしょうか。それは間違いです。権力者はいつも自分の権力基盤の強化を考えているのです。私は権利は与えられるものではなく、民衆当事者が自ら闘い勝ち取っていくべきであると信じてやみません。
 
 以上のべてきたところからもわかるように、「民闘連」がもはや運動体としての内実をもたないことは明らかです。しかし神奈川「民闘連」がこのような実体のない運動体であるのを知りながら、どうして「市職労」や教組、他の多くの組織は彼らと「連帯」をすると言いつづけているのでしょうか。それは「共生」や「連帯」を言い合うことによって、お互い、自分自身や組織のあり方が問われなくなるからです。名前だけの「連帯」は弊害を生みます。その本質は自己保身であり、利用主義です。もはや看板だけになってしまった神奈川「民闘連」が「共生」を口実に、このまま特権的な立場を維持し、市や県、組合に対して唯一の窓口になることは、お互いの馴れ合いをより助長し、更なる既得権を発生させる危険性をはらみます。 

 しかしながら「民闘連」やふれあい館のような市民「運動体」の最大の問題点というか悲劇は、それでもけなげに民族の主体性を求め「多文化共生」を強調する彼らを行政は受け入れながら、「多文化共生」を逆手に取って、自分たちに反旗を翻すことができないように支配構造に巻き込んでいる現実を、彼ら自身が認識していないことでありましょう。これは川崎の市民運動だけに限った問題ではありません。全国的に、日本の支配者は「共生」を旗印にして、物わかりの良い「民主人士」を「和解者」にしたてながら(しかし悲劇は、彼らは自らが社会の為にいいことをしていると信じていることでしょう)、自分達の権力基盤の強化に努めているのです。

 今こそ、30年にわたる川崎での民族差別と闘う運動は、民衆が自立していく為にどのような内実を作ってきたのか、そのプラスとマイナスの両面を、対教育界、対地域、対組合、対行政その他すべての分野で、いっさいのタブーを設けることなく、真摯に総括すべき時期が来ました。私たちは、川崎市に対して、「川崎方式」が差別であることを認めさせ、それを撤回させる運動をするために、いかなる個人、団体とも対等に対話し、連帯して、共同の歩みをしたいと願います。多くの人が自分の属する組織や団体の立場を超え、一人の人間として賛同しあって共に闘うことができますように。