2017年7月22日土曜日

ヘイトスピーチに抗するために

在特会のヘイトスピーチにどのように抗していくのか、これは早急に議論を深めなければならない問題です。
カウンターの最大の貢献は、ヘイトスピーチを許さない、差別を黙認しないということで立ち上がり、実際の行動を通して大きな成果を具体化してきたことです。その意義はいくら評価してもしきれないくらい大きなものだと思います。
ヘイトスピーチ解消法、公共施設使用禁止、地域制限、ガイドライン、運動で勝ち取ったものは在特会の幼稚な策略で突破されました。申請はわずか700メートル、出発地点から離れたところで20名位でバスで乗り付け、パフォーマンスをやってカウンターの市民が駆けつけたらさっそと帰ったということのようです。在特会を取り囲み動かなくしようとしたカウンターの裏をかいたということなのでしょうか、警察と組んでもめない形で終わらせたということなのでしょうか。在特会と対峙するには、物理的に「しばき合って」でも取り囲みシットインをして路上で動きを封じ込めるということでは限界があり、差別そのものを許さないという法律か条例を作るしかないのです。

しかしその目標を達成するためにも、一体在日が受けている差別とは何か、ヘイトスピーチを生み出す根源的なものを直視し、制度化・構造化され見えなくなっている差別の実態に触れる地道な作業・学習が必要です。何より、戦争責任、植民地支配とは何かという歴史観、哲学的な深い考察が必要不可欠であり、それは日本社会に徹底的に欠けているものです。それは在日という他者を知ることではなく、実は日本社会とはどのような社会なのか、すなわち自分自身を知ることなのでむつかしいのです。根源的な取り組みが必要です。ヘイトスピーチは在特会だけでなく、この日本社会に蔓延してます。在特会にターゲットを絞った運動では限界があります。差別の根は深いのです。

しかし今回の川崎でのヘイトスピーチ・デモを阻止することができなかった、そこにはどのような問題があるのかを考える時、私はカウンターがヘイトスポーチの問題を在特会にターゲットを絞込み、物理的にも敵対していくというスタイル、そこにある差別に対する認識についてこの際、徹底的に議論をするべきだと考えます。
この1年書いたものをここに掲げます。公開の議論をしましょう。
2016年5月28日土曜日
ヘイトスピーチの裏側にある構造化された差別について 
http://oklos-che.blogspot.jp/…/2013512-zaitok-kai-is-coming…

2016年6月9日
ヘイトデモを中止に追い込んだ市民運動の今後の課題ー私案を提示します
http://oklos-che.blogspot.jp/2016/06/blog-post_9.html

7月20日 (FB)
‪ヘイトスピーチ解消法、公共施設使用禁止、地域制限、ガイドライン、全ては在特会の幼稚な策略で突破されました。根源的な取り組みが必要です。ヘイトスピーチは蔓延してます。在特会に特化した運動は無効です。差別の根は深いのです。‬

7月20日
公開の討論を望みます。「格差社会に抗う」、「ヘイトスピーチとの闘い」の講演会に参加して
http://oklos-che.blogspot.com/2017/07/blog-post_20.html 
在特会と同じレベルで「しばき合っても」構造化された、植民地支配の残滓である見えない差別はびくともしないのです。日本の右傾化こそ在日に脅威。
7月21日(FB)
在特会だけではないのです。私はSNSで知る日本の右傾化にあって、品性・理性もなく在日の悪口を真剣に書く人たちのことを思うと、関東大震災や広島での現場のあの、普段は優しい人達が豹変した姿を思い浮かべます。日本人が悪いのでありません。植民地主義というものが人を変えるのです。

7月22日
「広島の現場でのあの・・姿」についてお答えします。広島・長崎で被ばくスタ人は70万人といわれています。そのうち朝鮮人は7万人で4万人が死亡しました。どうしてそれほど死亡率が高いのか?それは朝鮮人とわかると周りの人は彼らに水他食べ物を与えず、病院に連れて行かなったからです。私は日本人論を展開するのではなく、植民地主義というものが被害者、加害者の人間性を歪めたのだと考えます。関東大震災での大虐殺、今に至るヘイトスピーチ、この根は深いという私の指摘に読者のみなさんがどのように反応されるかわかりませんが、一人、在特会だけを敵視し押さえ込むだけではヘイトスピーチはなくなりません。この点に関する議論が必要です。

2017年7月21日金曜日

私のライフ・ヒストリーについて

昨日の7月20日午後3時から、横浜国大 加藤千香子教授の主催で、第2回目の「チェスングさんのライフヒストリーを聴く会」がもたれました。質疑応答を終えると6時で、参加してくださった、シベリア抑留を経験され、戦争や軍隊の悲惨さ、問題点を指摘される松本茂雄さんを交えて9時まで歓談しました。次回は8月25日(金)に決定しました。今回の私の話しは、戦後日本の大衆消費生活の発展の中で在日として大阪で生き延び、没落したチェの家族について、話をしました。在特会へのカンターのあり方についても言及しています。

最近とみにSNSで在日が過去誰々を殺しただの、襲撃しただのという情報が目立ちます。今回の在特会のヘイトスピーチ・デモの瞬間芸的なパフォーマンスでも、川崎での誰もが知る殺人事件の犯人は在日だというパネルを掲げ、インターネットで放映したそうです。彼らは韓国の竹島(独島)、日本軍慰安婦の政府間同意の破棄、少女像の設置や反日教育などをとりあげ、奴らは日本の敵だと言いはります。そして北朝鮮での拉致問題、ミサイル・核実験を指摘して同じく敵だと言うのです。敵に対して殺せというのは当たり前、欧米でもかつて日本人を殺せと言っていた、これはヘイトスピーチではない、このような発言を封じ込もうとする(カウンターの)運動こそ、憲法で保証された言論の自由を犯すものだと拙い演説でアジりまくります。結局、この詭弁を中原警察は認め、ヘイトスピーチをしてはだめだよ、はい、しませんとも、ということで街頭デモが許可されたようです。今後もそうでしょう。

7月17日に川崎の韓国教会で、<「格差社会に抗う」、「ヘイトスピーチとの闘い」の講演会>に参加して 、川崎でのヘイトスピーチでの闘いについて神奈川新聞の石橋記者の話を聞き、彼に批判的な意見を述べたばかりでしたので、横国での私の話もそこからはいりました。http://oklos-che.blogspot.com/2017/07/blog-post_20.html

ヘイトスピーチ解消法、公共施設使用禁止、地域制限、ガイドライン、運動で勝ち取ったものは在特会の幼稚な策略で突破されました。申請はわずか700メートル、出発地点から離れたところで20名位でバスで乗り付け、パフォーマンスをやってカウンターの市民が駆けつけたらさっそと帰ったということのようです。在特会を取り囲み動かなくしようとしたカウンターの裏をかいたということなのでしょうか、警察と組んでもめない形で終わらせたということなのでしょうか。在特会と対峙するには、物理的に「しばき合って」でも取り囲みシットインをして路上で動きを封じ込めるということでは限界があり、差別そのものを許さないという法律か条例を作るしかないのです。

しかしその目標を達成するためにも、一体在日が受けている差別とは何か、ヘイトスピーチを生み出す根源的なものを直視し、制度化・構造化され見えなくなっている差別の実態に触れる地道な作業・学習が必要です。何より、戦争責任、植民地支配とは何かという歴史観、哲学的な深い考察が必要不可欠であり、それは日本社会に徹底的に欠けているものです。それは在日という他者を知ることではなく、実は日本社会とはどのような社会なのか、すなわち自分自身を知ることなのでむつかしいのです。根源的な取り組みが必要です。ヘイトスピーチは在特会だけでなく、この日本社会に蔓延してます。在特会にターゲットを絞った運動では限界があります。差別の根は深いのです。‬この点の説明から私の話ははじまりました。幸い、みなさん、しっかりと理解されたようです。

ヘイトスピーチ・デモが当事者にもたらす弊害は実は精神的にも大きなものがあります(「福田紀彦 川崎市長への公開書簡」より。http://oklos-che.blogspot.jp/2017/07/blog-post_13.html)。しかし私たちは7月19日の川崎教会での講演会のあと、近くの焼鳥屋に入ったら、そこは40年前の保育園園児だった在日のSがやっている店でした。オモニ(母親)も顔を出してくれました。その後、長男のKがやっている店に行ったところ休みだったので、もう一軒、園児だったYのオモニの店に行きました。そこでなつかしい他のオモニを呼んでくれたので、40年ぶりに楽しい酒盛りと話がはじまりました。彼らはしたたかに生きている、というのが私の実感です。そして私の両親も実にしたたかに生きてきたのです。そして私も、私の子供も孫もそう生きるでしょう。そのしたたかさを在特会の連中は知らないでしょう、想像もつかないでしょう。今度彼女たちと8月に私の妻(桜本保育園の始まりの時から保母として勤めていた、そして今でも70歳を前にして保母として働く、その彼女の優しさのことを子供もオモニも忘れていなかったのです)を連れてみんなで会おうということになりました。楽しみです。

私の家族の話は、実はいかにしたたかに彼らは生きてきたのかということにつきます。父はとんでもない、独りよがりな男です。私の彼への思いはブログで書きました。両親への私の思いは下の2つの書き物を読んでくだされば、もうそれ以上、私には言うべきことも書くべきこともありません。

「在日」の世界ー力道山と親父」 http://oklos-che.blogspot.jp/2013/01/blog-post_25.html
そして92歳になった、父や私たちを捨てて家を出た母のことも書きました。
90歳のママに乾杯!」 http://oklos-che.blogspot.jp/2017/05/90.html

加藤教授はわざわざ、『拳の漂流―「神様」と呼ばれた男ベビー・ゴステロの生涯』(城島充 講談社)の一部の、私の父親に触れた部分をコピーしてくださいました。戦前から戦後にかけて活躍したフィリピン選手のベビー・ゴステロをスカウトしてプロデュースしたのが、ボクシングクラブのオーナー(会長)であった父です。力道山の谷町でした。占領時代にカレーライスで当て、心斎橋の超一等地でレストランとジャズ・クラブをはじめました。女性関係も派手であったようです。それが今をときめく吉本興業と争いそこを出ていくことになりました。その時に、母も子供二人を置いて出ていきました。その後、難波の高島屋のすぐ側の2階建ての家に住むのですが、父は何十年もかけて毎日釜ヶ崎から人夫を連れてきて専門家を入れないで陣頭指揮して地下1階、地上8階の、史上最悪のビルを建てました。

その後2回結婚しますが、最初の妻(私たちの母)を忘れることができずにいました。何とも独りよがりで、身勝手な男です。書き始めるといろんなエピソードだけでこの報告は終えないといけません。母はいまでも90歳にはとても見えない小柄な美人です。20代でどうして心斎橋で多くの人を使い店をやっていったのでしょうか。その後は、本町で喫茶店を成功させ、元商社マンの日本人と結婚しました。彼女には私たち以外には子供はいません。料理が得意ではやく、とても美味しく作ります。日本の着物を自分で作って着てみたいと習いはじめ、最終的には何人もの歌手の着物を作ったそうです。あまりに集中してはげしくやったせいでしょうか、左手の針をあてがう部分が今でも曲がったままです。その母親の親孝行をしようとアメリカの弟と相談して、私は週に1回は大阪の彼女の家で泊まっています。炊事洗濯なんでも自分でやり、ヘルパーさんが来るときには特に念入りに掃除をしています。週2回は地域のおばさんたちとカラオケの店に行きます。過去のことには一切触れず、偉そうにせず、聞き上手なお袋は地域でも人気者です。

心斎橋の一等地を出て住んだ難波の家も、バブルのときには坪1億円したといいますから、それなりに父は財産を残したことになります。長男である私を愛し、私は彼から一度も叱られたことがないのです。その私が親の仕事を手伝わず、大学から東京に出て、韓国教会に行きはじめ(きっかけは父親のすすめで夏の修養会に行ったことでした)、自分は何者か、在日とは何なのか、私は必死になって自分の生き方を模索しました。そして日立闘争に出合い、地域活動に没頭するのです。

地域で上に記したオモニたち、ボランテイアの青年たちと一緒になって私は川崎市の国籍条項の撤廃を求める運動をはじめました。外国人だというので金を貸さなかった銀行、会員にさせなかったカード会社、保育園をでた子どもたちを相手に作った桜本学園などなど、思い出はつきません。しかしその期間は今思うとわずか2年足らずであったようです。あまりに充実したときであったので、40年ぶりに会ったオモニたちとも楽しい思いで話に花が咲くのです。

しかし義理の父の思いがけない死によって、私は主事を辞め、義理がやっていたスクラップ(鉄屑)の仕事を継ぎました。それから布団の行商、ぬいぐるみの製造、貿易会社、レストランなどなどを手がけ、私は必死になってビジネスに励みました。しかしその成功が仇になり、私は大阪の家も、川崎の妻の実家、私たちの家もすべて手放すことになりました。義理の母と妻はその私を一度も責めませんでした。世の中には不思議なことがあるもので、川崎の家を競売で買い取った不動産屋さんに会いに行き、私は自分がやってきたこと、義理の母がその私を支えてくれたこと、だから、競売で手放したその家でそのまま家賃を払うかから、義理の母が召されるまで住ませてほしいと頼み込んだのです。なんと彼はそれを一度も会ったことのない、競売で自分の財産を全て手放した男の願いを聞き入れてくれましたのです!母はそこで死ぬまで住むことになりました。

すべてを失った私は、すべてを捨ててイエスの十字架に従うという恵まれた経験をするようになりました。3・11直後のことです。私はフクシマ事故を起こした原発メーカーの日立、東芝、GEを相手に訴訟をおこすことを提案し、4000名の原告を世界から集め、今、高裁で闘っています。反核平和を掲げ、日韓反核平和連帯という組織をつくり、韓国の市民キャンドル革命から学び、多くの友人とともに、来月には、韓国のヒロシマと呼ばれている被ばく者が多く居住する峡川(ハプチョン)で、被ばく者たちがヒロシマ・ナガサキでの原爆投下はアメリカ政府に責任があるという裁判をはじめるために国際フォーラムに参加します。原爆投下は仕方がなかったという世界の常識への挑戦がはじまるのです。

フクシマ事故にもかかわらず日本は原爆の再稼働を進める方針です。私の国籍は天にある、在日であることからいかなる民族、国籍、国家を絶対視することなく歩めることになった私はなんと幸せものでしょうか。あんたはかねもうけは下手やけど、小さいときから口は達者やったな、賢かったし。母の口癖です。健康ですが、おなじことを口にし、物忘れが激しくなった母親にしっかりと親孝行したいと思っています。

世界から核兵器、原子力発電をなくし、いかなる差別、抑圧もない世界を目指して進んでいく、このような目標に邁進できることに私は心から感謝しています。この個性的でたくましい母親、父親があって私があります。私の背中をまた私たちの子どもや孫たちは見ていくことでしょう。こんなワガママで好き放題のことをやってきた私を支えてきてくれた(捨てないで受け止めてくれた?)妻に感謝、です。











2017年7月20日木曜日

公開の討論を望みます。「格差社会に抗う」、「ヘイトスピーチとの闘い」の講演会に参加して

7月17日、在日大韓キリスト川崎教会で、渡辺牧師と神奈川新聞の石橋学記者の川崎でのヘイトスピーチに関する発題がありました。

渡辺さんのお話は「全ての上におられるキリスト-格差社会に抗って」という題目で、教会の憲法・原理がいかに市民社会での原理になるのかという、宗教改革500年を迎えて、その本質を問うものでした。全ての上におられるキリストという教会の原理は、市民社会においては、いかなるものをも絶対化しないということであり、国家、国籍、民族さえをも絶対化しないということは今まさに、市民社会において問われていることだと思いました。
石橋学記者は川崎でのヘイトスピーチとの戦いの歴史を記者の立場から話されました。国政レベルでヘイトスピーチ解消法が施行された歴史、在特会のあくどくしつこいヘイトデモへのこだわり、それとのカウンターの闘いが具体的に話されました。しかし結論は、それでも在特会は言論の自由を建前にヘイトスピーチデモを敢行し、市民運動は止めることができなかったということでした。
なぜか、差別そのものを罰し、禁じる法がないからです。公共施設の使用禁止、桜本など一定の地域の立ち入り禁止、ガイドラインの作成などでは在特会の差別行為を禁じることはできないということがあきらかになりました。

石橋さんの記者としての活躍、在日の闘いなどに参加者は皆感動しましたが、私は敢えて石橋さんの報告を批判しました。それはいかなる意味においても市民の在特会との闘いを過小評価するものではありません。
差別の実態を知っているのか、公権力を含めて、見えなくされてきた、制度化された差別の実態をわかっているのか、朝日より、神奈川新聞の方がよくやっているというレベルのはなしではなく、植民地支配の歴史、実態も全くと言っていいほど知らされていないにもかかわらず、またさらに北朝鮮への圧倒的な敵視政策の影響下にある日本社会の右傾化の中で、戦後の日本は平和と民主主義社会であったとされていることの違和感、このどうしようもない日本社会の中で発生したヘイトスピーチデモ。この根は深いのです。一人、在特会だけを敵対視し、ヘイトスピーチを押さえ込むという発想の運動で済むのかというもどかしさです

横浜国大の加藤教授と話しましたが、在特会リーダーの話す朝鮮人を敵対視する話に納得する学生は多いだろうということでした。竹島(独島)を占領し、反日運動を展開し、慰安婦問題合意を破棄しようとする韓国はけしからん、ミサイルと核実験を繰り返し、日本を攻撃するという北朝鮮は敵だ、その敵を殺せというのは戦争中、欧米も日本に対して言ってきたではないか。それはヘイトスピーチではない、敵に対する当たり前の言葉だ、それを止めさせようというカウンターこそ言論弾圧であり、言論の自由の制限だ。この在特会の低劣なアジ演説はまさに日本のマスコミを通して浸透していっている内容ではないか。私が日本の右傾化という所以です。しかし加藤教授はそれは右傾化ではない、自分自身で考えようとせず、自分に有利な権力に寄り付こうとする自分の考えのない生き方を反映させている、という意見でした。私はそれもそうだなと思いました。

それほど事態は深刻です。だからこそ、差別の実態を直視して粘り強く闘わなければならないのです。カウンター側は差別の実態を知り変革していこうとしているのか。石橋さんは公権力の差別の実態を認め、それと取り組むことの必要性を認めました。
私たちは握手をして別れました。これから意見の交換をしながら一緒にやっていけるでしよう。

石橋さん、川崎に結集したカウンターの皆さんとの対話を望みます。みなさんは石橋さんが認められたように、公権力の差別、制度化され見えなくされた差別を直視しようとしていますか。また、差別と闘わない「多文化共生」はありえないという石橋さんの言葉の重みを、その実態を理解されていますか。「多文化共生」は戦前の満州でとられた「五族協和」とおなじイデオロギーです。運動側も権力側も同じく「多文化共生」を掲げるのって、おかしくないでしょうか。在特会と同じレベルで「しばき合っても」構造化された、植民地支配の残滓である見えない差別はびくともしないのです。在特会を「しばく」からと言って、在日朝鮮人を理解しているとか、「味方」だと言えるとお考えですか。この点の議論は不可欠です。公開の討論を望みます。

2017年7月16日日曜日

在特会系の川崎でのヘイトスピーチ・デモを「粉砕」した市民の「勝利」について

ヘイトスピーチ・デモをさせなかったことはうれしいことです。
7月16日、川崎でリベンジということで在特会系の人たちが再度、ヘイトスピーチ・デモを敢行しようとしました。ふれあい館のスタッフは事前に記者会見をしてその動きを批判し、その後、中原警察に行き、ヘイトスピーチ・デモを許可しないように申し込みをしましたが、中原警察は許可しました。もちろん、多くの市民が中原警察に抗議をしましたが、そのような声は聞き届けられませんでした。
公共施設での集会ではないので、川崎市は一切、関知せずということであったのでしょうか。
川崎ではヘイトスピーチ・デモは許さないと呼びかけたところ、1000名の市民が集ったそうです。
そうして、在特会系のヘイトスピーチ・デモを粉砕したそうです。下の写真は、私に送られてきた写真を使わせていただきました。
在特会系の人たちはバスで来て記念写真を撮って何もできず帰ったそうです。しかし彼らにしたら、これほど自分たちのことが報道されたことでよしとしたのでしょうか。確かに在特会系のヘイトスピーチ・デモをさせなかった市民の勝利です。しかしこんな「朝鮮人を殺せ」と叫ぶデモが許されるということじたい、日本の戦後民主主義の実態を反映させていると言えるでしょう。この「勝利」をどのように考えるべきなのでしょうか。

確かに「勝利」ですが、極端なヘイトスピーチ・デモをする在特会系はごく氷山の一角です。
彼らを心情的に支える日本人は圧倒的に増えていると危惧します。日本会議の力は、小池知事の「都民ファースト」の勝利につながり、そこには自民だけでなく、野党の議員も多く参加しているそうです。
彼らや安倍は戦後日本社会の中で出るべくして出てきたのです。北朝鮮の敵視政策で、一般市民の間で朝鮮人への嫌悪感が増長させられています。

戦後日本は平和と民主主義の社会であったという認識そのものが根底的に問われていると思います。
制度化された差別、当たり前になっている差別、例えば、同じ公務員になっても、外国籍の公務員には課長以上にならせない、市民に命令する職務にはつかせないとする「当然の法理」、それを認めたうえで外国人の門戸の開放のために作られた「川崎方式」、在特会を蹴散らした市民の力で「川崎方式」を撤廃しようという流れになっていくのでしょうか。戦後日本の実態を直視し、植民地支配の残滓ともいうべき差別の歴史と現実を深く見つめる視点が在特会系のヘイトスピーチを粉砕した市民の動きの中で育まれているのでしょうか。

「福田紀彦 川崎市長への公開書簡」を是非、一読ください。
戦後の在日の歴史の中で特筆されるべき、「日立闘争」当該の朴鐘碩と、東京都の「当然の法理」を公然と批判し高裁では勝利した鄭香均と私の3人の連名です。
http://oklos-che.blogspot.jp/2017/07/blog-post_13.html










2017年7月13日木曜日

福田紀彦 川崎市長への公開書簡

福田紀彦 川崎市長 殿

                                                   2017713

日韓/韓日反核平和連帯 事務局長    崔 勝久
元日立就職差別裁判原告              朴 鐘碩
元東京都管理職試験拒否訴訟原告    鄭 香均

                        公   開   書  

政党に依存せず市民の立場から立候補して川崎市長になられ、川崎を住み良いまちにするために日夜、励んでおられる福田市長の御努力に敬意を表します。 
川崎市は日本の植民地政策によって歴史的に在日朝鮮人が住みはじめ、現在は南米やアジアの人たちが多く住む国際都市です。その真っ只中で憂うべき、ヘイトスピーチ・デモが発生しました。川崎を愛し良くしたいと願う者として、川崎市をどのようにすればいいのか、福田市長に公開書簡をお送りします。ご検討いただければ幸いです。

1.はじめに
福田市長が、街中で公然と「朝鮮人を殺せ」と叫ぶヘイトスピーチ・デモを許さないと決意されたことに世界の人々は喝采しました。しかし、いまだにヘイトスピーチ・デモを強行するとの予告がネット上で公開されています。福田市長におかれましては、彼らに公的施設を貸さない、一定の地域の立入りを禁じるという段階から、ガイドラインの制定にとどまらず、川崎においてはいかなる差別も許さない、市民・住民の人権を断固として擁護するという、差別を撤廃する世界水準の方策を市民と一緒になって考えていただきたいと願います。

アメリカにおいては、批判的人種理論の代表的論者であるMari J. Matsudaは、ヘイトスピーチが「芯からの恐怖と動悸、呼吸困難、悪夢、PTSD、過度の精神緊張(高血圧)、精神疾患、自死にまで至る精神的な症状と感情的な苦痛」をもたらすと指摘していますが、これまで日本では、同様の実証的な研究の必要性が叫ばれながら、社会調査・臨床調査いずれもあまり進んでいないのが現状です。

そのためには、地方自治体としては国内で初めての、国政においても未だ実現されていない、人種差別撤廃条約を基としての、国籍、性、思想、障がいなどを理由にしたいかなる差別も許さない条例を川崎市において市民と共に検討、制定していただきたいと願います。そうでないと、差別のない、住みよいまちづくりを願う福田市長や私たち市民にとって許すことにできない、ヘイトスピーチ・デモとこの川崎で再び対峙することになります。

そのようなことが川崎で起こることに、もはや、私たちは耐えられません。憲法が保障する集会や表現の自由を侵す恐れを理由にしてヘイトスピーチの規制を制限する動きも見られますが、ここは福田市長が、川崎市民の人権の保障を最優先する姿勢を明確にしてくださるものと信じます。

川崎市は全国に先駆けて、児童手当や公営住宅の国籍条項の撤廃、「多文化共生」を掲げての外国籍市民の市政参加を求める外国人市民代表者会議の設立、そして外国人の地方公務員の門戸開放などを実現させました。そのような川崎市において、ヘイトスピーチ・デモは許してならないと多くの市民がたちあがったこのときこそ、ヘイトスピーチ・デモを生み出す根本的な問題を探るべきではないでしょうか。

ヘイトスピーチ・デモを一部の特殊な集団だけの問題にせず、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の核とミサイル実験に抗する制裁政策や、マスコミの北朝鮮への警戒心を呼びおこす報道が日本社会の右傾化につながり、「在日」に対する差別・偏見を増長させる動きになってきている実態を直視すべきです。

さらに、人種差別撤廃条例の制定と合わせ、日本社会における「在日」差別の問題、特に差別をなくす主軸となるべき地方自治体における、制度化された差別の問題をしっかりと見つめ直す機会にするべきではないでしょうか。ヘイトスピーチとの闘いは、知性と品格を備えた市民の覚醒を促し、歴史を重視する教育政策によって、アジアの平和を求め対話を通して諸問題を解決する、息の長い総合的な取り組みの中で解決されていくものだと思います。

2.外国籍公務員の門戸の開放を実現し、任用差別の緩和を図った「川崎方式」
福田市長が最初に立候補された時にお会いしたときのことをおぼえていらっしゃるでしょうか。その時私たちは、川崎市が政令都市として全国で最初に外国籍者の門戸開放をしたにもかかわらず、川崎市の職員に採択された私たちの後輩や子弟たちが管理職への任用(昇進)とさまざまな職務を制限されるという、実質的な外国人差別に遭っていること、それは労働基準法と憲法の保障する基本的人権の侵害にあたるのではないか、とお話しました。

川崎市は外国籍公務員の差別をなくすために「川崎方式」をうちだしました(1997)。それは、「外国籍職員の任用に関する運用規程」(以下、「運用規程」)をつくり、「公権力の行使」と「公の意思形成」の職務は日本人に限るとした「当然の法理」(戦後間もない1953年の日本の独立に備え、日本籍ではあるが植民地下の台湾人・朝鮮人の排除のために作られた政府見解)に抵触しないで、外国人に川崎市の門戸を開放するやり方です。

つまり、「当然の法理」に基づき、外国籍者の「公の意思形成」による課長以上の決裁権のある管理職に就くことの制限と、「公権力の行使」による職務制限(「命令・処分等を通じて・・市民の意思にかかわらず権利・自由を制限することとなる職務」に就かせない)を撤廃するのではなく、問題の根本的な解決を先送りして門戸の開放を優先したことになります。その結果、東京都では働けても川崎市では働けない職種(例:保健師)があるなどの齟齬が生じています。

公務員が「市民の意思にかかわらず(市民の)権利・自由を制限する」ことが許されるのは、戦後すべて公務員は明治憲法下の天皇に忠誠を尽くす「官吏」ではなく、市民・国民の基本的人権を遵守する「公僕」であり、市民の「権利・自由を制限する」規程を明記した「法律」に従うことが求められるからです。しかし同時に公務員も市民、労働者としての基本的人権は守られるのです(労働基準法第3条や憲法に明記)。「公権力の行使」において外国籍公務員だけに超法規的な制限が設けられるのは、きわめて差別的で不当なことといえます。

3.「当然の法理」に挑戦した鄭香均(チョン・ヒャンギュン)―精神保健医療観察法・感染症対策係長を担い
ここで、「当然の法理」に基づく外国籍公務員差別に挑戦した鄭香均の裁判を紹介したいと思います。鄭香均は、桜本の地域で看護師として働きながら地域の現実を学び、その後、東京都の外国人職員第1号の保健師として、上司の薦めもあり管理職の試験を受けようとしましたが、「当然の法理」が壁となって受験は叶わず、都知事を訴え高裁で勝利しました。最高裁で敗れました(2005126)が、判決によって、外国籍公務員が決裁権ある管理職への昇進(「公の意思形成」)(「公権力行使等地方公務員」(最高裁判決における定義)の具体的な職務の内容は、各地方自治体で判断、決定するという道が開かれました。

つまり、最高裁判決に基づき、自治体首長である川崎市長の判断によって「当然の法理」で外国籍公務員に制限されていた職務や任用の内容を独自に検討し、決定することができるようになったのです。人事は地方自治体の独自の判断でできることになっています。それは旧来の国民国家の主権を絶対化した「当然の法理」の解釈に抵触しないように作られた「川崎方式」、つまり、唯一川崎独自の「運用規程」の問題点を市長の判断で根本的に改正することが可能になったことを意味します。

国籍と国民主権を理由にして外国人差別を正当化することが地方自治体において許されなくなれば、一般企業における影響は計り知れないほど大きいでしょう。さらに「人権、共生のまち」で生活し差別をなくそうとする川崎市民は、制度化されて見えなくなっている外国人差別の問題をこれまでの人権運動の集大成として取り上げていくことになるでしょう。その改正の動きは全国に波及し、いずれ「当然の法理」の撤廃に繋がり、福田市長は先駆者として歴史に名前が刻まれることでしょう。

世界の良識ある市民、人権・平和を訴えるグル-プが川崎の動向に注目しています。私たちは川崎において民族差別をなくす運動にながく関わってきましたが、その中で最大の事件は「日立闘争」でした。受験の機会を確保するために日本名と日本の居住地を本籍欄に記して日立製作所の入社試験に合格した朴鐘碩(パク・チョンソク)は、「嘘つき」という理由で解雇され、日立を相手に法廷内外での国際的な解雇撤回を求めた「日立闘争」で勝利し(1974619)、定年まで勤めました。この事件は現在に至るも高校の教科書で紹介されており、川崎では、その「日立闘争」の精神が50年近く経過した現在も脈々と生きています。

私たちはその勝利の上で地域活動をはじめ、国籍条項の撤廃や地域における保育園(社会福祉法人青丘社桜本保育園)の運営や無認可の桜本学園を作りながら、地域で当たり前のこととしてはびこっていた、就職差別だけでなく、銀行融資や信販会社の会員募集に際し在日韓国人からの申し込みを国籍を理由に拒否するという民族差別を経験し、そのような差別をなくす運動を住民と共にはじめ、民族差別を認めない、許さないという「共生のまち」づくりの核が作られていきました。その流れは、全国に先駆けて、行政における国籍条項撤廃を実現し、児童手当や公営住宅入居における外国人差別の厚い壁を突破することになり、その後、年金の国籍条項撤廃に繋がりました。こうした運動は、後輩たちによって引き継がれ、ふれあい館・桜本こども文化センターとして定着するようになりました。私たちは川崎市民の先進的な運動とともに、歴代川崎市長の英断、議会の働きを誇りに思っております。

福田市長におかれましては、川崎市民だけでなく、世界の平和を願う人々の期待に沿うべく、いかなる差別もなく、ヘイトスピーチ・デモのない、住みよい国際都市川崎のまちづくりを実現してくださることを心から期待いたします。福田市長のますますのご活躍を祈念いたします。
 
連絡先:212-0055 川崎市幸区南加瀬5-35-3 崔 勝久 
email: che.kawasaki@gmail.com


2017年7月4日火曜日

松本茂雄さん、92歳、「 私が体験した戦争と抑圧」


松本茂雄さん、「 私が体験した戦争と抑圧」
19-21歳にかけてロシアで強制労働された経験談を話されています
平成29年7月3日、於横浜国大大教室
92歳になる松本さんの記憶力は驚くべきものです。

戦争の不条理は許せないと腹から絞り出すような声で話す松本さん。
あの戦争は、国民を犠牲にした、棄兵・棄民した
実に重い言葉です。
同時に、同時に他国に犠牲を強いる植民地支配の本質を突かれます。
他国に大きな加害を与えた
近隣諸国に対して恐怖と悲惨を与えた

私はどのように松本さんの講演内容をブログで紹介しようといろいろと考えましたが、松本さんはKJ法を学び、物事の本質を自分の言葉で表す術をお持ちです。
昨日の小冊子になったレジュメをみなさんに全部お見せするのが一番良いと判断しました。写真にして公開していいのか加藤教授とご本人の許可がいただけるのか早急にお願いしてみます。

松本さんは戦後はトヨタなどの大企業で働かれた経験をお持ちです。90分を原稿もなく立ちっぱなしで話される体力、気力。これは70年にわたる資料をきっちりと整理されていることからして、松本さんの性格、気質もあるでしょうが、何よりも、自分の体験した「戦争と抑圧」を多くの人に知らせなければならないという使命感が、彼をしてそのような行動を可能にさせているのでしょう。

お元気とは言え、まもなく92歳です。ご本人のお話を多くの方で聴くという機会をみなさんで作っていただきたいと思います。ご本人は早稲田大学や横浜国大でお話をされました。ご名刺をいただきましたので、ご希望の方は私に連絡をください。横国の加藤教授と相談して、ご本人に連絡をいたします。








2017年7月3日月曜日

「小池党」の躍進の意味することー更なる日本の右傾化に

事前に予想した通り、小池知事が党首になった「都民ファーストの会」の圧勝です。「小池党」の躍進の意味すること、それは更なる日本の右傾化、です。

都議会選挙の結果、小池知事が党首の「都民ファースト」が躍進し、自民党は没落しました。「都ファー」議員が増えることはいいことだと錯覚している人は多いようです。しかし結果的に、「小池党」+「自民党」+「公明党」を合わせると(そこに「維新の会」も入りますね)、日本の右傾化を求める国民の数は予想以上に伸びています。私には、ごく少数の尖った在特会より、この日本社会の右傾化のほうが恐怖であり、不気味です。

私はまず小池氏に対しては右翼で危険人物だという印象を持っており、「都ファー」に対してもほぼ同様の印象を持っています。彼女は、舛添前都知事が韓国政府と約束した韓国人学校の敷地問題を一方的に白紙化し、外国人の参政権にも反対する、排外主義的な人物です。

北朝鮮への敵対的な政策が続く限り当然、北は核兵器を放棄せず、アメリカへのミサイルの実験も進めるでしょう。それは潜在的な在特会支持者を増やすことになるのです。北のミサイルに備えるべきだとするTV広告の影響も大きいですね。
北のミサイル実験の後、東京の地下鉄を止めたり、各地で避難訓練をしたりしましたね。あれはなんのためなのでしょうか。

在特会を念頭に置きヘイトスピーチを規制するという発想の運動は反対はしませんが、違うと思いますね。在特会は戦後日本で出るべきして出てきたのです。
在特会を特殊な人達としてヘイトスピーチはそれを規制すればいいと考えるのはあまりにも短絡的です。制度化、構造化された差別にまともに対峙し、植民地支配の実態を直視する、まともな人材の育成が必要です。

小池党の勝利は結局、安倍の思うようなスピードで改憲はできなくとも、改憲を支持し、排外主義者の層はさらに増えたというべきです。fbに掲載された文書の一部を紹介します。私も同感です。

東京都議選は、自民が敗北し、都民ファーストが勝利したが、これはまるで喜べない。小池は、安倍晋三に匹敵するファシストであり排外主義者である。安倍晋三よりも巧妙に立ち回るし、かえって厄介だ。民進が後退したことを考えれば、自民と併せて、都政は、巨大ファシストの集団に牛耳られる可能性さえ出てきた。もちろん、小池の言う「都民ファースト」に、永住外国人を含む、外国住民は含まれていない。

私はまず小池氏に対しては右翼で危険人物だという印象を持っており、「都ファ」に対してもほぼ同様の印象を持っています。前回の都知事選でも在特会に近い候補者に投票した都民は1割いました。それが今、小池氏を支持する人を含めるとどれほど増えているのか、恐ろしいですね。しかしそれが日本の実態です。

北朝鮮への敵対的な政策が続く限り当然、北は核兵器を放棄せず、アメリカへのミサイルの実験も進めるでしょう。それは潜在的な在特会支持者を増やすことになるのです。北のミサイルに備えるべきだとするTV広告の影響も大きいですね。ヘイトスピーチを規制するというな発想の運動は反対はしませんが、違うと思いますね。

制度化、構造化された差別にまともに対峙し、植民地支配の実態を直視する、まともな人材の育成が必要です。


北朝鮮に関して
小林たかし『植民地主義再考ー民族差別をなくすため』156頁より。
「ちなみに、かつて植民地と宗主国との関係にあったニ国間で、いまにいたるも国交を結んでいないのは、世界中で日本国と朝鮮民主主義人民共和国だけである。日本と朝鮮のあいだでは、戦争はまだ終わっていない。」この事実を知らない日本人は多くいると思います。今は拉致問題から始まって、核実験を口実に、連日の北朝鮮バッシングです。制裁、制裁の連続で、これもまた圧倒的多数の日本人はそう思い込まされています。ヘイトスピーチはさらに続くでしょう。民族学校への制裁は増えるでしょう。北朝鮮を口実に日本の右傾化、軍事化は進むでしょう。
参考までに:
小林たかし『植民地主義再考ー民族差別をなくすため』を読んで http://oklos-che.blogspot.jp/2016/09/blog-post_18.html