2018年2月24日土曜日

金信明さんと共に新たな出発をめざすコンサートとスピーチの集い


去年84日~6日、「反核平和フォーラム」と「韓国人被爆者追悼行事」のために、福岡在住の金信明(キム・シンミョン)さんは10人の日本人仲間と共に、韓国の陜川(ハプチョン)を訪れました。そこで、誤飲と心臓発作にみまわれ、救急治療のかいもなく、脳に酸欠による損傷をうけ、現在、ご家族の助けによって、福岡でリハビリ中です。
 金信明さんは、日本国籍を持つ在日朝鮮人2世です。東京都立高校の教師として働いていた1994年、40歳の時に「朝鮮人として生きる」覚悟を固め、自己=人間の尊厳をかけた新たな歩みを始めました。2003年の公立学校などの公式行事で義務化された「君が代」斉唱を強要することに反対する裁判に参加。最近では、首相靖国参拝および安保法制は違憲であるとする裁判にも関わってきました。2011311日福島事故発生後、東京から福岡に避難し、原発メーカーの製造責任を問う裁判に積極的に参加してきました。
 この度、パートナーの正子さんや娘さんたち、および、日本と韓国の友人たちは、道半ばで倒れた金信明さん共に、それぞれの現場で、日本社会の民主化に向けた新たな出発を確認する楽しいひと時を、下記のようにもつこととしました。皆様のご参加を心から歓迎します。

1.日 時:2018年2月25日(日曜日)午後1:30開場、2:00開演、4:30終演予定
2.場 所:福岡城南教会(地下鉄七隈線、桜坂駅下車、 徒歩10分、地図を参照)
3.出 演:歌手 パギやん趙博

主催:日韓(韓日)反核平和連帯(共同代表 木村公一、ユ.シギョン、事務局長 崔勝久
(連絡先)野上勇次 (携帯:090-4483-2653 

      プログラム
第一部 ……14:00
1、司会挨拶(木村公一)
2、主催団体より(崔勝久)「金信明さんとは誰か なぜこの集会を開いたのか」
3、家族挨拶(荒木正子)
4、韓国参加者挨拶  ・グリーン病院 キム・ボング院長、イ・ボラ医師・韓日反核平和連帯代表 ユ・シギョン司祭、イ・ジンソプ氏(韓国古里原発訴訟 原告)
5、オープニング曲(趙博氏)
6、関東各団体代表挨拶 ・池田幹子氏、小林裕氏
7、みんなで歌おう(憲法の歌)・池田幹子氏
~休憩~
第二部
8、福岡各団体代表挨拶 ・池永修弁護士(玄海訴訟) ・野上勇次氏(本人訴訟) ・倉掛直樹氏(アベ靖国訴訟)
第三部
9、エンディング曲(趙博氏)
10、閉会の挨拶(澤正彦)・報告(崔勝久) ……16:30

2018年2月4日日曜日

日本の「権力構造」の謎を解くウオルフレンからの抜粋


ウオルフレンのことは恥ずかしながら最近まで読んだことがありませんでした。オランダ人で8ケ国で居住しながら日本でも30年暮らしたジャーナリストです。彼はチームを作り読むべき本を選別し、数多くの政治家、学者、ジャーナリストとも対談をしており、彼の主張する日本の「権力構造の謎」についての分析は見事です。

しかも研究者としてと言うよりより自分で知ったこと、学んだことを偏見なく、ジャ―ナリストの目で適確に記しています。いちいち、誰それからの引用ということを研究論文のように書いてないことが多いのですが、単なる批判に終わらず、日本社会の質的な変換を願う気持ちが伝わります。

以下、私が読みながら感心してメモしたことをここにあげてみます。

(1)ウオルフォレンと白井聡
ウオルフレンに白井聡が対談で、長年、日本の官僚、<システム>が変わることを願い念じてきたが一向に変化のないことで疲れて見えると感想を述べていたが、そうなんだろうと思う。しかしウオルフレン、頑張ってほしいなそのままで。

『人間を幸福にしない日本というシステム』と『偽りの戦後日本』を読みました。前者はKV ウォルフレン、後者は白井聡との対談集です。並行してウォルフレンの官僚批判で世界的に読まれた『日本/権力構造の謎』上下を読みはじめています。ウォルフレンのことは後でまとめて感想を述べたいと思います。

白井聡は『永続敗戦論ー戦後日本の核心』で一躍有名になった若手の研究者で、彼と小出裕章の二人をお呼びして「原発と差別、戦後日本を再考する」というシンポジウムを一昨年持ちました。
(http://oklos-che.blogspot.jp/2015/02/blog-post_20.html)

私自身は彼がレーニンの研究者であったことに注目していたのですが、『永続敗戦論』で日本が戦後も対米従属している実態を批判していることは、大変意味があると考えています。『偽りの戦後日本』では最後にウォルフレンと共に沖縄の闘いを高く評価、期待していることが印象的でした。そうだと思いますが、私としては日本の植民地支配の清算ができていない問題や、朝鮮半島の問題に日本との関わりで言及されていないことが気になりました。

両者の日本の政治、社会、マスコミ批判は鋭く、読みやすいい対談なので、もっと広く読まれればと思います。対談の最後に白井聡が記した言葉が二人の生きる姿勢を表していると思いました。「問題の根源を見据えることだけが唯一の希望」、心したいと思います。

(2)実質的に日本をコントロールしている<システム>
ウオルフレンが 『日本/権力構造の謎 』でいう 〈システム 〉とは実質的に日本をコントロールしている官僚や経済界の管理者(アドミニストレーター)の集団を意味しているそうだが、私にはそれが全て日本国内、日本人同士だけで暗黙のうちに通じ合っている「日本教」の幹部たちのように思えてくる。


それが<システム>(体制)となって、政治から巷のありとあらゆる集団を牛耳っている、なんともグロテスクな世界ではないか。私はそこには自分を捨ててまで入ることはない、これだけは断言しておく。嫌われ者、変わり者、それは名誉ある褒めことばではないか。

(3)ウオルフレン曰く

(日本では)抽象思考はそれ自体が最終目的となりがちで、人間の関わり合い本質を見極めるのに活用されることはない。一方、社会研究は研究のための研究にとどまり、それは経験から獲得された論点とは完全に切り離されている。『日本/権力構造の謎』より

(4)ウオルフォレンの30年前の予言
30年前にすでにウオルフレンは次にように予言している。私もまたFBに投稿しながら、そのような可能性を強く感じる。


(浅間山荘にこもった連合赤軍や三島由紀夫のような)「過激な日本主義の英雄的伝統が、今も社会を不安定にする可能性をのこしている。欲求不満と緊張の両方が日本に溢れている。これらが今の後の経済問題と、国が正しい目標を失っているという喪失感のたかまりにむすびついたら、感情的で理不尽な日本主義運動に火がつくことにもなりかねない。そのための組織はすでに各種の右翼団体のあいだに存在する。そして、自分たちは反日的な世界の犠牲にされたという被害者意識と共に、“日本主本来の価値観に戻る“必要性が増大するにつれ、これらの運動は広範囲な共感をあてにできるだろう」ウオルフレン『日本/権力構造の謎』106ページ

(5)東大偏重の謎
ウオルフレン『日本/権力構造の謎』「高潔なアドミニストレータの選別」〝支配する権利”より

「日本が治外法権を規定する条約を西洋諸国とむすんだ結果、東大が正当性をうけるということに関して要の位置を得ることになった。・・外国政府は、日本が資格をそなえた司法が法に則った裁判を実施できるようにさえなれば、明治政府の深い憎しみの対象だったこれらの条項をはきするつもりだった。このため、何としても東大法学部に近代版のサムライに資格を授ける機能を与える必要があった。当初、最高位のポストを埋めるため、東大法科の卒業生は公務員試験に合格する必要がなかった。」
「東大卒業生は“頭がよい”ことはそうであるが、知的にひじょうに優れていながら別のタイプに属する多数の日本人は社会の主流から外されて永久に外辺で働くことを運命づけられる。こうして、独創的な考えを生み出す才能の多くがろうひされる。日本の支配階級は、教育があるというより、徹底的にしこまれているちいったほうがよい。これは日本の管理者(アドミニストレーター)の国際社会に対する態度やアプローチの面から見て、相当に重要な事実である。」


なるほどそいうことであったのか。日本の官僚の歴史的背景と彼らの質、日本社会の東大偏狭の背景がわかる。

(6)日本におけるコンセンサスについて
ウオルフレン 「コンセンサス神話」『日本/権力構造の謎

「“コンセンサス”という言葉は、提案や行動のコースを皆が積極的に支持することを暗に意味する。ところが、日本で”コンセンサス“と間違って呼ばれているものは、問題の当事者が当局が決定したことをひっくり返すことはないとする状況のことである。」
「”コンセンサス“達成に至るまでの過程は”根回し“と呼ばれる。根回しとは、何かを植える前に土地を準備するように、ある計画を”受け入れ“てもらうよう、関係者とあらかじめはなしあうことである。この下準備においては、西洋では許される(拒否を含む)”民主主義的な“異議をとなえることはできない。日本人は、本物の意見一致であるかのyいうにみえるが、実際にはしばしばそうでものを指して、”コンセンサス“と呼ぶようになったにである。」


この後ウオルフレンは、「おどしを通じての秩序」ということで、官僚を含め脅しが「構造的」になっていると指摘する。「おどしが日本社会では不可避でかつ、いたるところに存在する特徴となるのである」。

(7)一挙に結論!
ウオルフレン 「支配力強化に一世紀」 『日本/権力構造の謎』

「日本の<システム>を正確に評価する上で重大な妨げになるのは、・・・日本敗戦の直前までの過去とはっきり決別した新しい日本が誕生したという、今もなお非常に一般化している見方である。」
「この説は、1920年代後半から1945年までを日本歴史の逸脱と見る有力な学派によって唱えられたので、多くの人びとが容易にうけいれるところになった。この理論によれば、日本は満州事変の少し前までは歴史的必然としての“近代化”路線をたどっていたのであった。狂信的な国粋主義者(ナショナリスト)が日本を脱線させryまで、この国は議会や政党など、立派な近代民主主義社会になるための要素を全て備えていたというわけだ。」
「この見解は近年、学術研究、特にアメリカの歴史学者の研究によって覆された。彼らは日本の帝国建設の努力と国内の抑圧は、明治時代の主だった傾向から育った論理的な発展だとした。・・1945年はそれまで考えられていたような分水嶺ではなく、20世紀前半に遡る権威主義的な制度と手法が、現在の日本を形作る上で決定的な要因だったと、一部の学者が指摘したのは1980年代になってからのことであった。」
「あと知恵の利をもって、さらにもう一歩進めてこう言える。1980年代後半の日本の<システム>は、19世紀末から徐々に形成された官僚的および政治的な勢力の統合強化の産物であり、戦争によって促進された統合物である。」

ウオルフレンは敗戦後の日本の変化を認め認識した上で、「しかしながら、日本では権力がどのように行使されるかという本書のテーマに沿って考えると、変化より継続性の方が重大であるようだ。支配エリートの動機が継続されているだけでなく、彼らが作った制度も継続されているのである。」と一挙に本書上下巻の結論に向かう。私がウオルフレンを詳しく紹介しようとしてきた意図も読者は理解されることでしょう。


「日本は戦災を受けた街々の瓦礫から不死身のように身を起こし、先輩格の工業国に挑戦して世界第二の経済国になった。しかし、この再生の主力になったのは、米占領軍に指導された“デモクラシー”による経済的、政治的再編制ではなく、日本の社会、政治的世界と一度は捨てた戦争中の“封建的”な慣行だったのである。」

2018年1月20日土曜日

サンフランシスコの「慰安婦」正義連盟からの声明文 (1月18日)

日本軍「慰安婦」制度の犠牲者に公式謝罪を拒否し、オリンピックを盾に不当な韓国叩きを続ける安倍首相の欺瞞を、世界市民は決して許さない。

2018年1月9日、韓国政府は日本軍の「慰安婦」問題を巡る2015年の韓日「合意」は被害者中心のアプローチに欠け、「慰安婦」問題の根本的な解決にはあたらないと発表した。この結論は先の2016年2月に、国連の女性差別撤廃委員会が発表した内容と合致するものである。文大統領はさらに「日本が真実を認め、被害者の女性たちに心を尽くして謝罪し、それを教訓に再発しないよう国際社会と努力する」ことが、完全な解決への条件だと示唆した。「慰安婦」問題の犠牲者は、韓国のみならずアジア太平洋地域にある何十もの国々の出身者で、日本帝国による侵略戦争の為の「兵站」として、日本帝国陸軍、海軍により強制的に「性奴隷」とされ非人間的で卑劣な暴力の被害を受けた。韓国側の発表を受け、安倍首相は加害国の長として誠意と反省の念を持って答えるどころか、逆に不快感をあらわにし、「慰安婦」問題は「合意」により最終的かつ不可逆的に解決されたとの従来からの立場に固執した。マスコミによれば、首相は「慰安婦」問題を理由に来月韓国で開催される冬季五輪のボイコットをちらつかせ、直前まで出席の有無を発表しないとみられる。
このいわゆる「合意」には公式な書類もなく、犠牲者が長年に亘り求め続けてこられた要求事項を一つも満たしていない。犠牲者の要求とは次の7点である。
1、日本軍性奴隷制度を事実として認める
2、この犯罪の徹底した調査
3、公式で法に基づく謝罪
4、政府による全被害者に対する補償
5、犯罪者の処罰
6、継続的な歴史教育・歴史教科書への記載
7、犠牲者を記憶し歴史を保存する為の記念碑・記念館の建設
2015年の「合意」は初めから、当事者の意向を無視し、犠牲者の尊厳の回復と「慰安婦」問題の真の解決を目指しておらず、むしろ「合意」の主たる目的は日本政府がこれらの責任から逃れることにあった。「合意」の中で日本政府は被害者の「名誉と尊厳の回復」のために10億円の拠出を約束する一方、韓国政府に「性奴隷」という名称そのものの使用を禁じ、世界的な「慰安婦」記念像建設阻止を図っている。つまり一方で日本軍「慰安婦」制度という犯罪そのものを否定しながら、同時に日本はすでに犠牲者に謝罪したという幻想を作り出そうとしたのだ。 韓国政府が日本の自主的な、心からの謝罪を示唆したのに対し、安倍首相は韓国は「合意」を履行せず日本の裏をかき「国際的で普遍的」な外交の基本を逸脱したとして、韓国政府を責めたてている。しかし法的にも外交的にも一切拘束力のない「合意」を盾にして、その真の目的を隠し、犠牲者と良心的な世界の市民を姑息にも騙そうとした安倍政権こそが責められるべきではないだろうか?国際人権法の違反者である日本政府が、韓国政府を国際的外交の原則の違反者として責めたてるのは、皮肉以外の何物でもない。しかし残念なことに、朝日、読売、毎日など、日本の大手マスコミ各社も日本政府の欺瞞を批判するどころか、日本政府に追従し日本政府の異常な主張をあたかも正常であるかのように報道している。我々が正義と人権の原則に則って、民族の枠を超え国際的な団結の象徴としてサンフランシスコに建てた「慰安婦」像に関しても、日本のマスコミはあたかも反日の日本叩きのシンボルであるかのように報道し、一部マスコミは韓国系・中国系のアメリカ市民に対する差別的なヘイトスピーチを 紙面上で繰り返している。今回の「合意」に関する報道でも、過去の罪に対する日本の国家としての責任に基づく後悔、反省の念のかけらも見られず、日本政府によるヘイトに満ちた反韓国のプロパガンダをただ繰り返すのみだ。
「慰安婦」問題を盾にオリンピック出席を渋らせ韓国政府を懲らしめようと躍起になる安倍氏は、国家の長としてこれまでにも増して醜態をさらしている。今日本が平和な未来を建設する上で必要としているのは、人間の尊厳に基づいた世界市民の共存を志す、誠実で清廉な指導者である。
我々は今後、これまでより一層多くの平和を愛する日本の市民の方々が、国際的な「慰安婦」正義運動に積極的に加わり、日本政府の欺瞞を暴き、「合意」の名の下に安倍政権が行った不正に満ちた外交の責任を正し、「合意」を無効とし、日本が過去に犯した犯罪を償うための全国民的な運動を繰り広げて行くことを望む。植民地・帝国主義の過去ときちんと向き合うことを避け続けることで、日本はその民族差別や偏狭なナショナリズムの深刻な問題を未だに抱え続けているばかりでなく、安倍政権のもと戦前のファシズムに逆戻りする道をひた走っている。日本政府もアメリカ政府も共に、「慰安婦」問題をアジアの(再)軍事化を妨げる厄介な外交問題としてしか捉えていない。日本の与党の指導者たちは安倍首相のオリンピック出席を求め、このまま慰安婦問題をうやむやにすることも企んでいるようだ。
しかし安倍政権のこのような政策は、世界の潮流に逆行している。例えば、アメリカの黒人女性活動家によって始められた#MeToo運動は海を越え、世界中の女性やトランスジェンダー・ジェンダークイアの人々を奮い立たせている。私たちはアメリカ社会の中の性暴力と対峙する中、日本の「詩織さん」の訴えについても読んだ。ここで忘れてならないのは、この世界的運動が始まる何十年も前に、日本軍「慰安婦」制度のサバイバーのおばあさんたちは声をあげ、特に性差別、民族差別、植民地主義が交差し増幅させた暴力の被害者として、果敢に日本政府に立ち向かい正義と女性の人権を求める運動を牽引してこられたことだ。その歴史の流れの中に現在の女性の人権と尊厳を求める運動がある。サバイバーのおばあさんたちが長年にわたって訴え続けてこられた要求を一つ一つ実現させていく道こそが、性暴力を恐れることなく、全ての少女、女性、そして全ての世界市民が尊厳を持って生きていくことのできる、平和で豊かな世界を実現させる唯一の道である。
世界の皆さんとの連帯を心から願いつつ。
2018年1月18日
「慰安婦」正義連盟




On January 9, 2018, the government of the Republic of Korea (ROK) announced its position, in alignment with the UN’s Committee on the Elimination of All Forms of Discrimination against Women, that the 2015 ROK-Japan Agreement fails to take a “victim-centered” approach and does not constitute a true resolution of the issue of the Japanese Military “Comfort Women” System. Subsequently the ROK urged Japan to make a sincere apology to the victims, whom, with hideous dehumanizing violence, the Japanese Imperial Army had sexually enslaved as “war ammunition” for Japan’s imperial wars of aggression in dozens of countries across the Asia-Pacific region. Signalling displeasure with the ROK’s demand, Japanese Prime Minister Shinzo Abe will reportedly boycott the Winter Olympics in the ROK next month, while stubbornly insisting that the Agreement had already resolved the “Comfort Women” issue — “fully and irreversibly.”
This Agreement, however, not only lacks official documentation, but fulfills none of the principled demands that, during the two decades preceding it, victims had outlined, as follows:
1. Acknowledgement of Japan’s military sexual slavery
2. Comprehensive investigation into the crimes
3. Official and legally-bound apology
4. Government reparations to all victims
5. Prosecution of the criminals
6. Ongoing education in Japan’s history textbooks
7. Construction of Memorials and Museums to remember victims and to preserve history
The Government of Japan (GOJ) used the 2015 Agreement effectively as a vehicle for shielding itself from having to fulfill any of these demands rather than restoring the victims’ dignity by means of a genuine resolution. The true goal of the Agreement is to promote the illusion that Japan has indeed apologized while simultaneously insisting the crimes did not occur. In the Agreement, the GOJ even prohibits the ROK from using the term “sexual slavery” and disapproves of memorial statues, while spending half a billion dollars for allegedly “recovering the honor and dignity” of the victims.
A sense of irony is not lost on us, when Prime Minister Abe accuses the ROK of foul play by allegedly breaking “an international and universal principle” of diplomacy in demanding Japan’s sincere apology. Isn’t it Japan that is engaging in foul play, to deceive the victims and the conscientious people of the world about the true intent of the Agreement? In complicity with the GOJ, all major Japanese press outlets, including Asahi, Yomiuri, and Mainichi, normalize the GOJ’s deception. With hateful language against Korean and Chinese communities, they recently mischaracterized our “Comfort Women” Memorial in San Francisco as a symbol of Japan bashing, while attacking our multi-ethnic and transnational solidarity for upholding the fundamental principles of justice and human rights. Instead of showing any hint of remorse, the Japanese media escalates the GOJ’s hateful anti-ROK propaganda.
By taking the Winter Olympics hostage, in a desperate measure to punish the ROK, Mr. Abe has hit a new low. What Japan needs in a leader today is integrity and commitment to humanity for a peaceful tomorrow. We call on the peace-loving people in Japan to join the international “Comfort Women” justice movement in denouncing the GOJ’s deception, demanding a full investigation of the Abe administration’s faulty diplomacy in the name of the Agreement, and leading a nationwide act of atonement for Japan’s past crime. By refusing to confront its imperial aggression, Japan has not only failed to end its racism and nationalism but is already turning back onto a path of full-blown fascism under the Abe administration. While the GOJ and the United States consider the “Comfort Women” issue as a mere stumbling block in their re-militarization agenda, it is the victims’ principled demands to the GOJ that will guide us on an alternative path to a peaceful and prosperous world free from fear of sexual violence, where all women, girls, and all people can live a life with respect and dignity.
January 18th, 2018
“Comfort Women” Justice Coalition

2018年1月19日金曜日

多文化共生の問題とは何かについてーFBでの議論の紹介

 FBでIssei Takechiさんが多文化共生の問題とは何かということで歴史認識の欠如であることをご指摘されています。それに対して私は基本的に賛同しながら、私の経験から、多文化共生は外国人の文化には言及し関心を示しても人権を保障しているのかという観点から、国民国家の限界・問題点を突く問題であるという点を記した内容を投稿しました。それに対して、Takechisaはご丁寧に「現在の多文化共生が満州統治と「五族協和」にさかのぼるという点は共感」するという点と「国民国家の限界は、私の関心事項」でもあるとのご意見をあげられました。ありがとうございます。これからのtakeichiさんと対話を深め、問題の本質を議論していきたいと願います。読者のご参加をお願いします。

Issei Takechi
1月17日 22:49 · Saitama Prefecture埼玉県 さいたま市 · 
「多文化共生」という分野があって、今や大学にもそのようなことを教えるクラスがあるけれど、そもそも行政用語で、主に地方自治体が掲げる、外国人と共存しようと言う政策分野のことである。もっとも、「外国にルーツを持つ人たち」などと表現されるのが普通で、「外国人」という言葉は使わない場合が多い。その歴史的ルーツや定義については、関連の書物など当たっていただくとしても、「多文化共生」に決定的に欠けているのが歴史認識の問題である。地域社会の現場に歴史認識の問題を持ち込もうとすると、まとまるものもまとまらんということは現実問題としてあるので、私もいちい顔をあわせるたびに、個人にそういうことは問わない場合が多いし、商売人は政治や歴史認識の問題には近寄りたがらないのが常だが、行政機関は税金でご飯を食べているわけだから、戦争責任や植民地支配における日本の責任を原則的に踏まえて、そのあたりの認識をしっかり持っておかなくてはならないはずだ。

地域社会のことだから、経済や文化の交流をやっていけば、そのうち何とかなるよと言う意見もあるが、残念ながら必ずしもそうではない。今のような反動的極右政権が出来て、マスコミもさっぱりとなると、官僚機構の末端たる日本の行政機関は上につきたがるから、「慰安婦」などの件で、自治体が勝手に交流をやめてしまったりする。韓国政府は全く関係していないのに、「『合意』に反する」とか言って、サンフランシスコとの姉妹都市関係を解消したりする市長が出てくるのはその例だ。他にも、姉妹都市に「少女像」が建って、交流を中止したり延期したりする自治体があるが、相手のほうは交流の続行を望んでいる場合が多い。国レベルの話だとか言ってみたところで、都市間や民間の交流にも結局のところ影響してしまうのである。日本の地方自治体の首長がドイツの加害責任のことを語ったとしても、それで交流を取りやめたりする都市がドイツにあるとは思えない。まあ、日本では、国も市民も反省していないから、そんなことになるのだと言ってしまえばそれまでだが。朝鮮学校への補助金が打ち切られるなどのことも、これに関連した問題だ。日本の自治体の「多文化共生」からは、特別永住外国人が抜け落ちている場合が多い。

Seungkoo Choi 「多文化共生」に決定的に欠けているのが歴史認識の問題であるというご指摘に賛成します。同時に、そもそも「多文化共生」
とは何なのか、についてもその本質を見極める必要があります。私見を投稿させていただきます。

現在「多文化共生」のメッカとなっている川崎で、私たちは50年前に在日川崎教会を中心に日立の就職差別と闘う「日立闘争」をはじめ、並行して保育園を中心とした地域活動をはじめました。そのときにはまだ「多文化共生」という言葉はなく、「共に生きる」とかそれを縮めた「共生」という言葉を使っていました。70年台はじめのことです。そして地域の子供を集めた学園のようなものをはじめるなかで、地域の在日の父母を集めた「日立勝利集会」の場で、同じ地域に住み、同じく税金を払っているのに法律によって児童手当や年金が日本人に限られ自分たちはもらえないというのは差別ではないのかという問題提起が父母の中からでてきました。そこから川崎市長との交渉がはじまり、法律では日本人だけが対象になっているが川崎市の外国人にも児童手当を支給するということが実現されました。国籍条項の撤廃です。その動きが全国にひろがったのです。

法律より人権こそが優先されなければならないということを学んだからこそ、私たちは3・11フクシマ事故において、原発事故の責任はすべて原子力事業者にあり、原発メーカには一切責任はないとする原子力損害賠償法にも拘らず、東芝と日立、GEの責任を問う原発メーカー訴訟を提起することができました。40ケ国、4000人の原告を集めた裁判の原点はまさに川崎での小さな集会にあったと私たちは考えています。しかし川崎での民族差別と闘う砦づくりをめざした「共に生きる」運動は、行政と一緒になって子供文化センターの運営を委託される中で、行政と運動体が一緒になって「多文化共生」を謳うようになっていきました。

私たちは70年台後半から、「多文化共生」の問題点を指摘し、それが戦前の満州における「五族協和」と本質をともにするのではないかと考え始めました。すなわちそれは国家が統治のために外国人を受けいれるスローガンであって、そこでは文化を強調しても決して外国人の人権が尊重しれたり、その地域の構成員としての権利・義務を保障するということではなかったからです。

そのもっとも象徴的なものが「当然の法理」です。日本の独立前に作られた台湾人・朝鮮人公務員を排除するための政府見解です。そのためにそれ以降、外国人は地方公務員にはなれませんでした。その壁を破り最初に門戸開放を実現したのが川崎です。しかし川崎の運動は、その門戸の開放を制度化するために、課長職以上の管理職には外国人は就けない、地域の住民に命令をするような職務には就かせないという「川崎方式」を川崎市、市職労、市民運動体が一緒になって作りました。差別の制度化・構造化です。それが全国のすべての地方自治体のモデルになりました。この「川崎方式」と「多文化共生」が一つになって全国で、まさに日本政府の肝いりで展開されたのです。

「多文化共生」の問題は歴史認識の問題でありながら、さらに外国人もまた日本社会の構成員であり、構成員としての権利は保障されているのかという、国民国家の限界・問題点を突く問題でもあるのです。長くなりました、私の上記の意見は、「多文化共生と原発体制」『戦後史再考』(平凡社)、及び『日本における多文化共生とは何かー在日の経験から』(新曜社)を参考にしていただければさいわいです。合わせて私自身のオクロスというブログもお読みいただければと願います。http://oklos-che.blogspot.jp/

Issei Takechi 返信が遅くなりました。ご主張、ブログなどを拝見し、およそのところは理解をしております。上記の考察は的を得ていると思います。特に、現在の多文化共生が満州統治と「五族協和」にさかのぼるという点は共感します。それは、大東亜共栄圏の思想とも無関係ではないと思われます。戦前の日本は、今と同じく、極めて多文化主義的でしたから。「国家主義に立脚する国際主義」という言葉を使った人もいました。『日本における多文化共生とは何か』はかなり前に読んでおりますが、「当然の法理」の問題に関連して、理解を新たにしたいと考えていて、再読いたします。その他の書物につきましても、なるべく早く読んでおきたいと思います。国民国家の限界は、私の関心事項でもありますので。

2018年1月17日水曜日

慰安婦問題「合意」に対する日韓両国民の対応について




「慰安婦「未解決」、日本53%・韓国75% NPO調査」
朝日新聞デジタル 2017年7月27日
「日韓合意を「評価しない」としたのは日本側で25%、韓国側で55%。韓国側で理由を複数回答で問うと、最多は「慰安婦の意見を反映せず合意した」の77%だった。」

 遅ればせながら朝日新聞の記事を直接確認しました。「合意」をめぐる両政府の見解の相違が今年になって決定的になっています。問題は両国民の「合意」に対する意見の根拠です。
 韓国側は、「合意」を評価しない理由として「最多は「慰安婦の意見を反映せず合意した」の77%」とあるので、これはまともな反応だと思われます。

 一方日本側は、「日韓合意への韓国人の不満をどうみるか」に対する質問に対して、「「理解できない。合意を結んだ以上は履行すべき」が最多の49%で、「なぜ不満があるのかわからない」の22%・・・「日韓合意を知らない」が14%」とあり、95%の国民が韓国人の「合意」に対する反発を理解していない、ということになります。

 これをみると「合意を結んだ以上は履行すべき」という意見が日本では大多数だということになります。もちろん、それも一理あります。いろいろと問題があったが両政府が合意したのだから、いまさら何を言うのか、ということでしょうか。しかし「合意」内容とその過程が明らかでないこと、また韓国外務省の「合意」調査報告書が公表されたにもかかわらずその内容に対する日本政府の説明が行われず、マスコミも市民運動体も日本政府の説明を求めていません。
 この数字を皆さんはどのように読まれるでしょうか。私は政治化した日本社会の<システム>が、マスコミ報道や政府の政策に影響を受け自分で調べ判断できない国民を作って来た結果だと考えています。これこそ日本の民主主義の危機なのではないでしょうか。
参考までに:
2018年1月16日火曜日
反韓感情と北朝鮮恐怖について
http://oklos-che.blogspot.jp/2018/01/blog-post_31.html

韓国外務省 韓日日本軍慰安婦被害者問題合意検討 翻訳全文 Wikisourceより
https://ja.wikisource.org/wiki/日韓日本軍慰安婦被害者問題合意(2015.12.28.)検討結果報告書 

毎日新聞   慰安婦問題 日韓合意検証報告書(要旨) 2017/12/27
https://mainichi.jp/articles/20171228/k00/00m/030/110000c

2018年1月16日火曜日

反韓感情と北朝鮮恐怖について

 反韓感情と北朝鮮恐怖がマスコミでも取り上げられるが、この正体は何なのか?北朝鮮の核とミサイルの恐怖が問題にされ、北朝鮮が標的にされているが、その認識には問題があるのではないか。また韓国は日韓条約ですべてが解決済みなのに抗日的で文句ばかり言ってくるというという認識も間違った情報に基づいている。ということは、日本国民の反韓感情、北朝鮮恐怖は日本政府とその意向を受けた、ないしは政府の意向を忖度したマスコミによる操作によるものなのではないのか。
 この議論は実はFBで延々としてこれはブログで書いておくべきだと思った次第。
今日の朝日新聞でも日本の反韓感情が当たり前のこととして書かれていたが、しかしこれは日本社会がどのような社会なのかを深く洞察するいい例になるように思う。まさに私が今読み始めたウオルフレンが書いてあるその通りではないか(『人間を幸福にしない日本というシステム』『日本/権力構造の謎』上下)。韓国や北朝鮮と日本の関係によって嫌韓や北朝鮮恐怖が生じるというより、それがどのような過程を経て日本市民・国民に定着していくのかということに注目したいと思う。まさに日本市民・国民はどのようにして、個人の主体性を破棄させないようにしているこの社会構造を変えていけばいいのかという観点から。
①朝鮮戦争は停戦状態であり、終戦を明確にした平和条約が米朝間で締結されていない(平和条約を提案してきたのは北朝鮮で米国はそれを受けなかった)という事実は知る必要がある。
アメリカは北朝鮮に対していつでも核攻撃できる準備ができておりそのための演習を毎年やっている。北朝鮮は自己防衛のために核兵器を持たなければならないという認識は、イラクやリビアが兵器を放棄したとたん米国によって国を滅ぼされたいう実例を見ている。
日本には植民地支配の清算のためには北朝鮮と国交樹立をして賠償金を支払わなければならないという歴史的な課題が残っており、①と②の状況から、北に対して最大限の圧力をかけて屈して来るのを待つというのでなく、積極的に北との対話を求めるべきではないか。
④日韓条約ですべてが解決したということは事実でなく、問題があるとどちらかがいい出したときには話し合いをすること、それでも解決しない時に第三者(国際機関)に委任することが明記されている。だから日韓条約で全て解決したというのは日本政府の一方的説明にすぎない。
⑤慰安婦問題解決のために、日本政府が慰安婦当事者に誠意ある謝罪をしたことがない。形式的な文書やお金で解決したというのはあまりにもこの問題に対する認識が浅すぎる。慰安婦制度は日本の海外侵略のために派兵した軍人の「性のはけ口」として軍隊によって作られたものではないか。
⑥韓国政府は「合意」をそのまま受け容れ、日本政府が慰安婦当事者に誠意ある謝罪と教育で二度と女性の人権と尊厳を傷つけることがないように約束すれば彼女たちは納得すると助言しているにすぎない。「合意」の内容とその決定過程を明らかにすることを日本政府に国民は明らかにせよと迫ったのか。それは国民主体であるべき民主主義の基本ではないか。
 以上、簡単に書きました。ご意見がある方はどうぞご意見をお寄せ下さい。誠実な議論を約束します

2018年1月8日月曜日

慰安婦「少女像」があるべきところー韓国人知識人は日本社会をどのように見ているのか

韓国知識人は、日韓両政府の慰安婦問題解決「合意」に対する日本の世論をどのように見ているのか、韓国の「緑色評論」発行人の金鐘哲氏の見解を紹介します。氏は慰安婦問題に対する日本社会の反応にたいして、「共同体の道徳的・倫理的土台」の問題と見なし、そこに「人倫」の欠如を指摘します。これは歴史認識の違いではすまない、日本社会に対する最も厳しい警告でしょう。




         「少女像」があるべきところ

                     金鐘哲 『緑色評論』発行人


 日韓の両政府が妥結したと言っていた2015年12月の所謂「慰安婦問題に関する合意」というのが、とんでもないデタラメであることが明らかになった。去る12月27日特別検証チームが発表した調査結果をみると、それは政府間の正当な合意というより、安倍政権の根本的な非道徳性と朴槿恵政権の極端な無責任と愚かさが相まって生じた外交的参事であったに違いない。

 それなのにこの検証結果が発表されるや否や、日本政府はもちろん日本の主要メディアまでもが一斉に非難と憂慮の声を上げた。政府間の約束は守るべきであり、韓国は今になってガタガタ言わず合意に伴う事項の履行に徹するべきだという主張である。なかには ーートランプのパリ気候協定の脱退については一言も言わなかったくせにしてーー 韓国に対しては「未開な行いはやめて国際的なルールをきちんと守れ」とまで、無礼な言葉を発する媒体もある。そして安倍総理は「一ミリも動かない」と、極めて乱暴な言葉を用いながら不快感をあらわにした。

 そこで驚くべきは韓国のいくつかの「保守派」メディアも日本のマスコミと似た反応を示したことである。例えば、こうだ。「それに大きな問題は経緯調査の名の下で外交上超えてはいけない線が守られていなかったという事実である。30年の期間をもって秘密とされるべき外交文書が2年で公開されてしまった。これから文在寅政府はもちろん、今後の全ての政権にとって大きな外交上の負担となるのは間違いないだろう。日本は言うまでもなく、いったいどの国が韓国政府を信じて秘密の取引を行おうとするのだろうか。」(『中央日報』社説、2017年12月28日付)

 このような憂慮に一理あるのも否定できない。「秘密の取引」を公開してしまった結果、以後の韓国の外交能力に支障が生じる可能性が全くないと断定することはできないからである。(しかし、国家間の交渉は基本的に互恵原則に依拠するものであること、そして政府間の「秘密」というのも多くの場合、民衆の意思とはかけ離れた権力者同士の話にすぎないということも忘れてはならない。)ところが、残念なことに、「保守派」メディアが意図的であろうがなかろうが、完全に看過している事実がある。

つまり、慰安婦問題は決して条約や合意の遵守といった外交的原則や国益などの次元をもって論じ得るテーマではないということである。簡略に述べると、「慰安婦問題」というのは国家権力が何の罪もない女性たちを強制的かつ組織的に動員し、戦場の「性奴隷」とし、その女性たちの一度だけの生涯を徹底的に踏みにじった、極端な反人倫的蛮行に関わる問題である。したがってこれは被害当事者だけではなく、この世を人間として生きていくためにも必ず解決していかねばならぬ、我々皆の問題だといっても良い。人間らしく生きるための共同体が成立するには物理的な土台だけでは不十分なのだ。それより根本的なのは共同体の道徳的・倫理的土台である。

 慰安婦問題の解決は結局この倫理的な土台を、遅まきながらも復元しようということと同然である。したがってこれは日韓の間の単なる外交問題でもなければ、謂わば国益に関わる問題でもない。これは韓国人、中国人、日本人を問わず人間らしく生きることが如何なるものであるかについて思考する能力を持つ全ての人間の共通の関心事でなければならない。東アジアから遠く離れた米国のサンフランシスコに慰安婦を念う「少女像」が建てられたのもまさにこのような普遍性のためである。

 しかしながら日本はこの事実を直視しようとしない。未だ国家主義の迷妄にとらわれている人たちは論外にしても、常識的に見える人でさえもこの問題に関しては、不思議にも、退嬰的な態度を示している。彼らはこういう。「ドイツのように日本も戦争で被害を受けた隣国に対して潔く謝罪すべきといった主張もあるが、ドイツと日本は状況が根本的に異なる。ドイツが謝罪したのはユダヤ人に対する大虐殺である『ホロコスト』のためであり、戦争を起こした責任のためではない。歴史上戦争を起こしたとして謝罪した国はない。」そして戦争責任について発言する数少ない知識人でも、植民地支配を言及することはほとんどない。英国がインドに対する植民地支配について謝罪したことがあるのか、というのが彼らの論理である。その上、今日の日本はナショナリズムからはすでに脱しているのに、韓国や中国は未だナショナリズムという「非合理的な」情緒的監獄に閉じこもられていると、軽蔑な口調で話す日本の知識人も少なくない。

 そして彼らは絶えず言う。もうやめましょうと、いつまで過去に囚われているのかと。真の意味において一度も謝罪したこともなく、またきちんとした歴史教育も行なっていないのに、そういった状況のもとで東アジアの国家間協力と連帯が可能だとも思っているのだろうか。一時期「東アジア共同体」というアイディアが日韓の知識人の間で流行ったことがあった。勿論ヨーロッパ連合を念頭においた発想だったが、EUの実現に決定的だったのは自らの歴史的な過ちを素直に反省したドイツ人たちの謙虚な姿勢にあった。慰安婦問題がこのように未解決のままなのは、結局自分たちには謝罪すべき過ちなどないという日本人の傲慢さによるものであろうが、そのような歪んだ感情の構造をそのままにして東アジアの国々の善隣関係を夢見てもそれは無駄である。

 事実、慰安婦問題に関連して日本側の根本的な態度の変化がない限り韓国政府にできることはあまりないようにみえる。今韓国のメディアは文在寅政府の賢明な対応を求めているが、自らの歴史における、聞きたくない、見たくないこと全てをなかったことにしようとする、非常に浅い精神世界をもつ人たちと、いったいどのような対話あるいは交渉が可能なのだろうか。

実際に今の日本の学校では近現代史をほとんど教えておらず、日本の高校卒業生のなかでも朝鮮半島が如何にして分断されたのか、その経緯を理解する若者はほとんどいないらしい。「少女像」問題もそうである。合理的に考えればナチス・ドイツによる犠牲者を追悼する追悼碑が現在ベルリンの中心部に建てられているように、慰安婦関連の「少女像」もソウルや釜山ではなく東京や大阪にあるのが自然で当然だと言えよう。しかし最近サンフランシスコの少女像設置に反発して大阪市長はサンフランシスコとの姉妹都市関係を破棄すると宣言したそうだ。

 今年はちょうど明治維新150周年にあたる。明治維新はそもそも「薩長」の武士達が起こしたクーデターであった。そのため政治的正当性の欠如という危機を乗り越えるために彼等が急造したのが天皇制国家主義、そして「征韓論」という名のもとで実行された朝鮮侵略と支配であった。その結果朝鮮半島はもちろんアジア全体において草の根民衆の生活は長い間残酷に蹂躙され、歪んでいた。そしてその後遺症は実際に今でも続いている。(在日朝鮮人歴史学者キム・ジョンミは日本が植民地支配と戦争に対してきちんとした謝罪を行わない重要な理由として、謝罪とそれに伴う補償ないし賠償が行われることになれば、それは現在の日本の経済力では担いきれるものではないという点を挙げている。それほど日本帝国主義が犯した蛮行が多大で広範なものであったことを意味する。)

 日本の知識人の多くには日本によるアジア侵略と反人倫的蛮行には歴史的に不可避な側面があったと説明する傾向がある。しかしそのような論理は、歴史というのは結局人間が作り上げていくものであり、したがって人間自ら責任を負わねばならない問題であることを、無視してしまう論理だと言える。我々が慰安婦問題に関して日本の歴史的責任を問い続けているのは、ナショナリズムからでも、また国益のためでもない。それはただ、人倫を忘却した生は人間らしい生ではないと思っているからである。(同じ論理に基づいて、私達はベトナムにて犯した韓国の歴史的な過ちについても、素直にそして徹底的に反省しなければならない。)
(『ハンギョレ新聞』コラム、2018年1月5日付)

参考資料:
2018年1月6日土曜日
6ヶ月前の文在寅大統領の「ベルリン宣言」に再び注目するー 金民雄 韓国 慶熙大学政治学教授
http://oklos-che.blogspot.jp/2018/01/6.html

金鐘哲氏講演録「原子力事故、次は韓国の番だ」ー3・11韓国における講演の紹介
http://oklos-che.blogspot.jp/m/2012/03/3.html

2012年4月25日水曜日
あの韓国の論客の金鐘哲氏の新聞コラム(その3)ー放射能、言論、想像力
http://oklos-che.blogspot.jp/2012/04/blog-post_25.html

2012年4月24日火曜日
あの韓国の論客の金鐘哲氏の新聞コラム(その2)ー福島と想像力
http://oklos-che.blogspot.jp/2012/04/blog-post_24.html

2012年4月20日金曜日
あの韓国の論客の金鐘哲氏の新聞コラム(1)ー原子力と人間性の喪失
http://oklos-che.blogspot.jp/2012/04/1.html

2012年7月5日木曜日
金鐘哲氏の対談、 "韓国の原発稼働率90%、事故の確率は80%を超える"
http://oklos-che.blogspot.jp/2012/07/9080.html

2012年5月31日木曜日
韓国は日本の再稼働をどう見ているのか?(エネルギー正義行動の声明文)
http://oklos-che.blogspot.jp/2012/05/blog-post_31.html

2012年5月26日土曜日
韓国の大法院(最高裁判所)で画期的な判決がでました
(三菱重工業株式会社 及び 新日本製鉄株式会社という「日本企業は損害賠償をしなければならない」)
http://oklos-che.blogspot.jp/2012/05/blog-post_26.html

2012年6月23日土曜日
崔勝久「3・11」を踏まえて韓国の民主化闘争とは何であったのかを考える ー反原発運動の国際連帯を求めて(韓国 緑色評論)
http://oklos-che.blogspot.jp/2012/06/blog-post.html